06 新たなる未来に向かって その一

 リガーシア大陸の北東部にある、三方を険しい高山に囲まれ、残る一方を沼地とれき地で塞がれた陸の孤島『グース』。

 精霊に愛された風猫人族フェルミアである貴猫姫たかねこひめが支配する、強靭な肉体や飛行能力を持つ種族しかたどり着けないこの地は、古来より竜や獣人、一部の人類にとっての楽園だった。


 そこに、世界に広く繁栄する最弱の人類『玲人族ヒュメア』が、ついにたどり着いた。

 玲人族ヒュメアは道を造り、村を造り、町を造り、国家を創った。

 勢力を拡大させ、この楽園を壊す玲人族ヒュメアの蛮行に他の種族が反発。各地で争いが勃発する。

 最終的に玲人族ヒュメアは、貴猫姫たかねこひめの支配を受け入れた。

 それが、多人種国家『グーネリア王国』の始まりだった。


     ───◇◆◇───


 身体が重い……

 身体が怠いとか、そうこうことではなく、身体全体に圧迫感を感じる。


『スティーリア』


 心の中で念じると、どこからともなく半透明な白猫が現れる。


『リットくん、おきたにゃ? 今日は少し暖かいにゃ。でも、夕方ぐらいに雨が降るかもにゃ』


 いつもの優し気で若々しい女性の声が、頭の中でにゃあにゃあと響く。

 しっかりと鎧戸が閉じられているので、外の様子は分からない。

 すでに少し光量を強めていた四つの霊光灯が、更に光量を増して部屋の中を照らし出す。


「あれ……? ここは予備部屋?」


 怪しげな国家機関に属している以上、危機管理は重要だ。

 私は他人名義で隣の部屋を借り、いざという時の為の備えをしていた。

 隠し扉で行き来できるようになっている。

 それはいいのだが……


「なんだこれ? 喉がやられたのか?」


 喉が変なのか、それとも耳がおかしくなっているのか。自分の声がやけに甲高く、まるで子供のように聞こえる……

 いや、声だけではない。


「これ……、私の手、なのか?」


 ぷにぷにとした血色の良さそうな瑞々しい手。

 まるで剣など握ったことのない、シワやシミのない無いキメ細かい綺麗な手の甲、剣ダコの無い柔らかそうな手のひらを見つめる。


『スティーリア。私の全身を見せてくれ』

『わかったにゃ』


 半透明な白猫が重力を無視して横に滑ると、空いたスペースに新たな表示領域パネルが現れて、布団の上にちょこんと座る子供の姿が現れた。

 

「これが……私?」


 この身体だから、こんな布団でも重く感じたのだろう。


「そうにゃ。思い出したにゃ?」

「……っ! 悪霊!」


 いつの間にか部屋の中に、宙に浮かぶ猫の幽霊が……


「……そうか。ミズネコ……だったな。私は少女になったのか……」


 ようやく、あの暗闇での出来事を思い出してきた。

 目覚めか死かを迫られた同じ日に、女の子か死かという二択を迫られ、女の子になってアップリーナ姫を……オベリアを助ける道を選んだ。

 その結果が、この姿というわけだ。


 肩甲骨の辺りまで伸びた銀色の髪、深い海のような青い瞳、見た感じは六歳ぐらいだろうか。

 自分で言うのもなんだが、あどけない表情が庇護欲をそそり、贔屓目を差し引いても抜群に愛らしい……と思う。

 ぶかぶかの服がずり落ちているのも、純真無垢といった感じがする。


「ん~……」


 不意に、全身に震えが走る。

 急いで立ち上がると、ズボンもパンツもずり落ちた。

 でも、それどころではない。

 漏れる……


 どうせ他に誰もいない。

 素っ裸のままトイレに駆け込む。

 ドアノブの位置が高くて戸惑ったけど、何とか間に合った。


「本当に、女の子になってしまったのか……」


 解放感と共に、大きく息を吐き出す。

 前の身体の感覚が残っていて、そのギャップに戸惑いがあるが、不思議と嫌な感じはしない。

 今は、そのひ弱さ、頼りなさも含めて自分の身体なんだと認識できている。

 だが……


「こんな身体で、本当にオベリアを護れるのか?」


 それが一番の問題だ。


「リットくん。そろそろ落ち着いたかにゃ?」

「うひゃっ!」


 つい、変な声が出てしまった。

 扉をすり抜けて入ってきたのは、ミズネコだった。


「はぁ……、脅かすなよ。……そういえばミズネコ、スティーリアはお前なのか?」

「そうにゃ」


 見事、ミズネコと支援妖精スティーリアがシンクロした動きで答える。


「……あれからどうなった? 私がここにいるのは? いや、それよりあれからどれだけ経った?」

「ちょっ、ちょっと落ち着くにゃ。いっぺんに言われても答えられないにゃ……」

「……悪い。順番に説明を頼む」

「わかったにゃ。あの後は人が集まって大騒ぎになったにゃ。その前にウチがリットくんをここに運んだにゃ。運んだのは昨日にゃ。リットくんは半日ほど寝てたにゃ。あの子も無事なはずにゃ」

「そうか……」


 私はオベリアを護れたのか……


「ところで、いつまで人のトイレを見ているつもりだ。早く出てってくれ」

「それは今さらにゃ。ウチとリットくんは一心同体。トイレもお風呂も一緒にゃ」

「……いいから、出ていけ!」


 脅すように語気を強めてはみたが、この声では全く迫力がない。

 これが羞恥心なのか……

 男の時は気にならなかったが、この身体のせいなのか、あまり見られたくないと思ってしまった。


     ───◇◆◇───


 あれから三日、ニュースをチェックしたけど、王女暗殺未遂事件は闇に葬り去られたようだ。

 あの戦いも霊法武具の暴発ということになり、私とユージンは巻き込まれて殉職したと、ほんの数行程度の小さな記事にまとめられていた。

 まさか国家機関が王女の暗殺を命じたとは公表できないから、事故で死んだことにされたのだろう。

 もし私が王女暗殺を企てたなどと書かれていたら、実家に迷惑がかかるだろうから、それに関しては安堵したけど、これで王女の身が安全になるかは分からない。


 とりあえず、王女の訃報という最悪の記事は見つからなかったことで、まだ生きていると信じることにする。

 すぐにでも助けに行きたいけど、問題は私の身体だ。

 とにかく非力、それに尽きる。

 指が細くなり、身体全体が軽くなったからか、多少は器用になった気がするけど、まともに剣が握れないようでは戦えない。


「ミズネコ、何とかならないか? 剣技が使えないのはさすがに困る」


 床に座り込み、後ろ足で首元を掻く白猫に問いかける。

 幽霊姿を他人に見られたら騒ぎになるだろうし、過去の罪を突き付けられているようで精神的に辛いからと、この姿になってもらった。

 薄々分かっていたけど、実際には幽霊ではなく、名前の通り水の身体を持つ猫らしい。だから、水の質感や色を変えれば、本物の猫と見分けがつかなくなる。

 触り心地も、ふわふわしていて温かかいし、程よい重みもある。

 まあ、その姿も、消えてしまった祖父の飼い猫にそっくりだったので複雑な気分だが、頑張って慣れることにした。


「それにゃら、アルケミーシードの能力を使えばいいにゃ」

「そういえば、何かそういうことを言っていたな」

「ウチと契約したから、リットくんは、アルケミーシードとヴァンパイアシードの能力が使えるようになったにゃ」


 そう言われても、全く実感がない。

 そもそも、祖父の飼い猫を殺めてしまって以降、不可思議な力には抵抗がある。

 だから、肉体を鍛え、剣技を鍛える道に進んだわけだが……


「この身体だけに、選り好みをしている場合じゃないな」


 とにかく私には、戦えるだけの力が必要だ。

 それも、今すぐに。


「心の中で、アルケミーシード起動って念じるにゃ」

「……アルケミーシード起動」


 何か、私を中心に半径一メートルほどの結界が現れたように感じる。


「力場が形成されたにゃ。この空間が、リットくんの作業場にゃ」

「作業場……なるほど」

「次は、力場にある物体に意識を集中させて、解析って念じるにゃ」

「えっと、こうか……。解析」


 拡張視界ビジョンに文字情報が表示される。


 隠しナイフ:鉄、突く、切る


「もうひとつ、何か解析するにゃ」

「まあ、これでいいか。解析」


 スリッパ:布、綿、履く


「次は術式構築にゃ。解析結果を二つ選ぶにゃ」

「おお、何か出てきた」


 ・仕込みナイフ入りスリッパ(四十三%)

  スリッパの底敷きにナイフが仕込まれている。


 ・ナイフ付きスリッパ(五十七%)

  スリッパの先にナイフが付いている。


「何かのジョークグッズか?」

「試しにやってみるにゃ。錬成って念じるにゃ」

「あんまり気が進まないけど……。錬成」


 数秒後、ナイフとスリッパが消え……

 錬成術による私の処女作、底が少し厚くなった『仕込みナイフ入りスリッパ』が誕生した。それも片方だけ……

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