39.アーリィ

 はたして、現場は凄惨さに満ち満ちていた。

入り口で群がるヒトに断りを入れながらその部屋に足を踏み入れた瞬間、濃密な鉄さびのにおいが鼻を突く。


 散らばる肉片は、どれもこれも元のピースが分からないほど損壊し、潰れ、すり潰されている。適当な生肉を渡されて「今からこれを適当に切り分けろ」と言われてもよりはマシな仕上がりになるだろう。

 肉塊とも呼べぬ、細かな残骸は天井にまで及び、振り回されたのか叩きつけられたのかしたのだろうということを窺わせる。

 辛うじて残る服の切れ端やベルトで、はらわたが念入りに食い尽くされていることは分かった。


「うっ……」


 ディクシアが思わず袖で鼻を覆った。元々あまり日に焼けていない白い肌が、今は青いと形容できるほどに色が悪い。


「下がるか?」


 よろめいた彼の背を支えて、クロスタが問う。その気遣いに手で謝辞を示しながらもディクシアはゆっくり首を横に振った。


「いや、大丈夫だ。後で被害の状況報告する時のためにも、確認は必要だから」


 周りを見れば、この場に居合わせている者は一様に顔を顰めるか顔を背けており、命が散ったにおいにあてられたのはディクシアだけではない。

 彼のことはクロスタに任せておけば大丈夫だろう。友人たちのことを横目で見ながら、シリスはさらに一歩その場へ足を踏み入れた。

 つん、とするようでどこか粘り気を帯びたにおいで鼻頭に皺が寄りそうだ。


「丁寧に食べられててもヤだけど、こんなに汚く食い散らかされるのも嫌なもんねぇ。汚いし」


 シリスの隣にレッセが並ぶ。酷い有様の現場だというのに、彼女の顔色は少したりとも変わらない。


「先輩は"こういうの"慣れてるんですか?」


 特に他意はない。ルフトヘイヴンも基本的には平和な場所だと聞いていたので、ただただ純粋な疑問だ。

 ライナーとシャドウで縁取られた瞳がぱちばち数回瞬きを繰り返し、やがて質問を理解した彼女は吹き出して笑った。


「やぁねぇ。ここルフトヘイヴンばっかりを担当してるわけじゃないし、行くとこによっちゃよくあるコトよ〜。ここだって、たまには"こういうの"が起こることもあるし」


 どうしてなのだろう。

 この場で、この話題で、口元に笑みを浮かべられるのが、シリスには到底理解できなかった。


 



「邪魔しないで!」


 にわかに入口が騒がしくなった。


「お前は今回、選考漏れだろう!?なんでわざわざここに来た!」

「痛い!離して!」


 肘と肩の半ばから羽と化した腕、鳥そのもののような鱗のついた脚を持つ少女。

 歳の頃ならシリスたちよりも少し幼い、金鷲人ハーピーの小さい体躯が、自分より大きな大人たちに囲まれていた。

 朝と夜の間を思わせる薄紫のボブカットは乱れ、間近の男に掴み上げられているのが見える。意志の強そうな金の瞳には薄く涙が浮かび、愛らしい顔立ちは痛みに歪んでいた。


「痛い、やめて!ワタシはあのヒトたちに話をしに来ただけよ!」

「誰がそれを信じるんだ、お前も裏切るつもりだろ!」

「違う、ワタシもパパも何も悪いことなんてしない!実際に何があったのか、誰も見てないクセに!」

「この───ッッ!」


 少女の髪を掴んでいた男が拳を振り上げる。


 ガツン、と一瞬響く鈍い音。


「あ…….」


 場が瞬時に静まり返った。


 男が自らの拳を抱えて一歩後退あとずさった。ついぞ今まで怒りに染まっていた顔は青冷め、自らが殴ってしまったシリスの左頬へとその視線は向いている。


「す、すまない、その……。アンタを殴る気は……」

「いいです、あたしが前に出たのが悪いんで。落ち着きました?」


 ジンジンと熱を訴える頬に手を当てる。鈍い痛みはあるが、これならヴァーストの拳骨の方が痛かったし腕を折った時の方が痛かった。丈夫な自分だからその程度だが、シリスよりも小さな少女であればこれくらいでは済まなかっただろう。

 背中で庇った少女が細かく震えているのを感じて、シリスは安堵のため息を溢した。


「こんな震えてる子を殴らなくてもいいじゃないですか。なんでそんなに怒ってるんです?」

「あ、アンタには関係ないだろ!殴ったのは悪かったが、これは俺たちの問題だ!」

「でもこの子、いまあたしたちに話をしに来たんですよね?」


 男は喉を鳴らして一歩身を引く。殴ってしまった負い目があるのか守護者だからなのか、シリスに対して強く出られないようだった。拳を止めることもできたが、それならば男の激昂を止められないと思った末の行動だったが功を奏したらしい。痛みを感じた甲斐はあったわけである。


同じように少女を止めていた有翼種たちが動きを決められずザワつく中、事の次第に気付いたクロスタが人垣を割って渦中へとやってきた。


「お前、それ」

「衝動的でーす。反省はしてまーす」


 彼の言う“それ”が何を指す言葉なのかはよくよく理解しているが、聞くのはディクシアの小言だけで十分だ。


 自分はヴェルじゃない。口先で黙らせるよりも、行動する方が性に合ってるのだから仕方ないじゃないか。


 シリスは何かを言いかけたクロスタを手で制し、後ろで震える少女に向き直った。


「あたしたちへの用で、間違いなかった?」

「はい。あの、大丈夫ですか?ワタシの所為で傷が」

「大丈夫、どうってことないから気にしないで。それより用件は何だった?」


 少女は目を伏せてほんの少しの躊躇いを見せる。翼を胸の前で交差して祈るような姿勢をとったあと、彼女は意を決したように顔を上げた。


「アーリィ・エリィといいます。守護者様、ワタシたちと母なる島エンブリオスへ向かって下さい」

「何を言ってるんだ!」


 今度は別の場所から彼女に向けて怒声が上がった。


「お願いします!私なら皆さんをお連れすることが出来ます、どうか」

「今度は何を企んでる!?」

「何も企んでないわ!今回こそ成功させたいって気持ちだけよ!」

「誰がお前のことを信じるんだ?もしかしたら、父親と同じように裏切るつもりかもしれないだろ!」

「だから、パパは裏切ってなんかない!それに、みんながそう言うのをわかってたから守護者様に同行をお願いしてるのよ。この人たちが一緒なら、ワタシがなにかしたってすぐに止められるでしょう!?」


 周りの大人から口々に罵声を浴びせられようと、彼女は言葉を止めることはない。置いてけぼりをくらったシリスも、呆気に取られて口を挟むことができない。

 ヒートアップし始める有翼種たちは尚もアーリィを怒鳴りつけ、それでも彼女は引き下がりはしなかった。


「あの」


 結局、本来聞きたかった少女の話へ本筋を戻そうとシリスが口を開いた時だ。




「それに、守護者つったって所詮はじゃないか!」


 ───そのワードに、刹那にしてあたりが水を打ったように静かになる。


「ちおち……?」


 聞きなれない単語だ。脳内で意味のある言葉に変換しようにも、どうもピンとくるものがない。

 シリスは口の中で呟いた……つもりだったが、静寂の満ちる空間の中では誰かの息を呑む音すらよく通る。

 その言葉を口走った男が、慌てて自ら口を塞いだ。肩を張っていたのが嘘のように、きまり悪く目を逸らす。


 あまりいい意味の言葉でないことだけは、すぐに理解ができた。


「へぇ〜。私たちのことも、やっぱそういう風に思ってる奴らは一定数いるのねぇ」

「いや、それは……」

「別に悪いと思ってないからいいわよ。私たちだって同じようなもんだし。




ねえ?のみなさぁん?」



「先輩!!」


 レッセの言葉に、再び周りが色めき立った。

 今度の罵倒はシリスにでもわかった。養成所でも、同じように他種族を侮辱しているのは聞いた事があったから。


「そんな言い方ないじゃないですか!」

「なによぉ。自分たちだって似たようなこと言ってたんだから、そりゃ同じだけ返されるなんて当たり前の話でしょ?」

「だからって……!」

「良い子ちゃんぶってるの?ウザいわね、アナタ」


 鬱陶しそうな目をシリスに向けてレッセが続ける。


「地に落ちた飛べない他種族が"地落ち"なら、ネガティブになっちゃったら鏡像生み出す奴らは"劣等種"。ほら、フェアじゃない?仮にアナタがそう思ってなくても、半数くらいの守護者はそう思ってるわよ」


 ねぇ?と、レッセが視線をクロスタに向ければ、彼はレッセを睨むように一瞥する。

 次に矛先が向いたのはディクシア。入口の方に止まったまま、戸惑った顔で視線を彷徨わせ───ゆっくりと目を伏せた。


「ほらね、ちょうど半数」

「ッ……だとしても、直接人前で言うような言葉じゃないです」

「どうでもいいけど、その子を手伝うならアナタ1人の責任よ。本来、この世界の問題はこの世界のものなんだからね〜」


 鼻で笑ったレッセが、シリスから目を逸らした。最早彼女との言葉の応酬にすら、興味を失ったと言わんばかりだった。

 その態度に言いたいことはまだあれど、シリスは強く口を引き結んで耐える。ここで言い合いを続けても、何も進展がないことはわかっていたからだ。


 深く息を吸って、吐く。

 頭に上った血は、瞬間の熱さはあれど冷めるまでも早い。


 成り行きを不安そうに見守っていた少女に向かって、シリスは微笑んだ。


「あたしは何をすれば良いの?」

「あ……まずは、祭司長様の許しを───」


「許可します」


 ふくよかなのに、重さを感じさせない流れるような動きで男が姿を現す。


 部屋に入ってきたのは、祈りの儀レゾを取り仕切っていた空翼人アラサリだった。かたわらにはアーリィよりも色の淡い鳩羽色はとばいろ の髪をもつ金鷲人ハーピーの青年を伴っている。


「ディラン!」

「祭司長!」


 青年に向かって声を上げたアーリィと、誰かが祭司長に非難めいた声を上げたのは同時だった。


「何故ですか!その女はヴィクターの娘ですよ!」

「今年の選出された彼らは、自力で母なる島エンブリオスまで飛べる数少ない者たちでした……しかし、残念ながら鏡像の前にはそんな事情なんて関係ありません。浮遊石の余裕もないに等しい状態で、その力を借りずに母なる島エンブリオスまで飛べる自信のある者はここに 居ますか?居るのであれば名乗りをあげてください」


 その言葉に、誰もが目を逸らして俯いた。祭司長はひとつ、ため息を落とす。


「その点、アーリィ殿は強靭な羽を持つ鷲翼人ハーピーです。昨年の飛行大会などで優勝も果たしていたでしょう?守護者様に目を光らせておいてもらえるのであれば、一考の余地はあるはずです」

「ですが……母なる島エンブリオスに向かうのは、我々有翼種のみと伝統で決まっているはずです!」


 なおも数名は祭司の言い分に渋る様子を見せる。しかしよく見れば声を上げているのは一部だけで、半数ほどは祭司が話すたびに頷く様子を見せ始めていた。

 初めにアーリィを殴ろうとした男が身を乗り出す。が、彼が何かを話し始める前に祭司長の後ろに付き従っていた青年が歩み出た。


「ヴィクターの親族が儀式に関わる資格がないと言うのなら、甥のボクが祭司であることも不適切なのでしょうか?」

「ディラン副祭司、そんなことは!」

「アリィ……アーリィがいくら娘と言っても、ヴィクター当人ではありません。不確定な彼女への偏見よりも、2年連続で儀式が失敗するリスクを考えた方が建設的ではないでしょうか?」


 落ち着いた物腰で朗々と語られる文言に、反論するものはもう誰もいない。


 しん……と、静まり返った場を見渡して祭司長は徐に頷いた。


「アーリィ殿、守護者の方々をお連れする手段はお持ちなのですね?」

「はい、祭司長様」

「では、あなたに今年の奉納の儀レンダをお任せします。多くのヒトの生活があなたの肩に掛かりますが、覚悟はよろしいですか?」

「お任せください。今年の奉納の儀レンダは成功させてみせます。金鷲人ハーピーの羽に誓って」

「無翼の方を連れて行けるのであれば、彼を連れて行くことも可能でしょう───ディラン副祭司、もう1人の選出者はあなたです。異論はありませんね?」

「承知致しました」


 ディランと呼ばれた青年は、腕から伸びる羽を胸に当て恭しく頷いた。


「では、守護者様方と選ばれた2人は私と共に。残りの者は無念にも命を落とした2人に哀悼を───」


 納得しきっていない表情の者もいながら、祭司長の言葉に残った者たちは散らばる肉片へ黙祷を捧げてそれぞれ動き出す。

 促されるまま、シリスたちは歩き出した祭司長の後を着いていくのだった。

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