32.エピローグ -リンデンベルグ-

「お姉ちゃん、痛いの大丈夫?」


 店を訪ね、ヘリオの開口一番はシリスに対する気遣いだった。服の端を掴む小さな手に、シリスは自分のそれを重ねる。

 昨日手を繋いだ時と違い、指先は冷たい。彼女を見上げる瞳が揺れている。それを見ないフリして、シリスはもう片方の手でヘリオの頭を撫でた。


「昨日はよく眠れた?それとも、大きな音で起きちゃった?」

「うん……」


 それはどちらに対する肯定なのか、ヘリオの様子を見れば一目瞭然だった。

 ヘリオはシリスの服に顔を埋めて、ヴェルへ目線をだけを投げかける。


「お兄ちゃんは怪我ないの?元気がないよ」

「兄ちゃんはちょっと頑張ったから疲れたんだよ。怖いやつ、全部無くしてきたから安心しろよな」

「本当?」

「本当、本当。約束したろ?」


 嘘は言っていない。ただ、全部を伝えていないだけだ。

 今度は彼も「そのうちわかるのだから」と、無配慮に伝えるのは避けたようだった。未だざわつく店内で、ヘリオはそっかと一言だけ呟くと2人の手をひいて歩き出す。


「ねえ、お腹減ってるでしょう?頑張ってくれたお姉ちゃんとお兄ちゃんに、何か美味しいもの作ってもらうね」




 ───軽食だったが、やはり出された料理は美味しかった。


 今日が帰還の日だと伝えると、ヘリオは目を見張った。しかし直ぐに笑顔を浮かべて別れを告げる。瞳は、ほんの少し赤くなっていた。


「お兄ちゃんお姉ちゃん、またね」

「またな」

「元気でね」


 戸口に立つ親子3人。ヴェルとシリスはそれぞれ手を振り、別れの挨拶を告げる。ヘリオの父は申し訳なさそうに頭をひとつ下げた。


「今日帰られるとは思わず……何か包めば良かったんですが」

「気にしないで下さい!今は町の人の方がここの美味しいご飯を必要としてると思いますし」

「そうそう。それにまた来れば良いだけの話だし」


 笑顔を崩さないままの2人に、ヘリオの父もつられて笑顔を見せる。あいも変わらず気の弱そうな微笑みだったが、それでも最後まで気後れされるよりはずっと良い。

 ヘリオの母が一歩前へ歩み出て、シリスの手に小さなバスケットを手渡した。僅かな重さ。蓋もない口からは可愛らしい布が覗いている。


「そうは言っても、皆さんにはヘリオの事も町のことも助けていただきましたから」


 ふんわりと乗せられた布の下は見えないが、その隙間から立ち上るのは香ばしいパンの匂いだ。やさしいその香りに、思わずシリスの頬が緩む。


「いいにおい……」

「2人とも、フライを気に入ってたでしょう?サンドイッチにしたから、お昼にでも食べてくださいね」


 少ないけど、と付け加えるヘリオの母に向かって首を横に振る。シリスはバスケットを大事に抱えて、満面の笑みを浮かべてヴェルへ顔を向けた。


「守れて良かったっしょ、ヴェル?」

「───まあ、そうだな」


 その言葉に、ヴェルはぶっきらぼうに答えた。家族と比べればヒトなんて、と言った手前、素直に頷く事はできないのだろう。シリスはそんな弟の手を引いて、今度こそ最後の挨拶を告げた。


「町が早く元通りになることを祈ってますね」

「妻と私は、ここで料理をお出しすることしかできませんが、全力を尽くします」

「おじちゃんにもよろしくね!また来てね」

「ああ。どっかでまた来れるようにするから、ヘリオも元気でな」


 惜しめば、別れの言葉を延々と交わし合うに違いない。

 2人はきびすを返して店の前から離れる。目指すは、ポータルのある空き家だ。

 後ろからは未だ見送りの視線がひしひしと感じられる。それも路地を暫く進み、角を曲がったところでふつりと途絶えた。


 踏みしめる地面には金属の残骸のような物が落ちている。砕けてしまったレンガの破片のような物もある。

 2人はそれを横目で見ながら、並んで路地を進んだ。


「パレードの写真、撮りたかったなぁ」

「いつかは撮れるかもしれないだろ。全部ぶっ壊したから時間はかかるだろうけど……この町の観光資源だったんだしさ」


 これからこの町がどう復興していくかは分からない。人形はこの一件で住民に恐れを抱かせただろう。観光街としての大通りは損壊し、形だけが元に戻ったとてヒトの足が再びこの町へ向くかは神のみぞ知る、だ。

 それでも、この町でヒトの営みは続く。今までの生活に付随してつちかわれたものが全て無くなったわけではない。


 初日に見たパレードを見ていた住民たちの目。

 微笑ましいものを見ていたあの瞳。

 美しかった記憶が失われない限り、彼らはもう一度人形と手を取り合って町を興そうとするかもしれない。


 ヴェルの「いつか」は、不確定でも優しい希望だ。シリスは素直にその未来の展望に乗る。


「そうだね、次はたくさんご飯も持ち帰れたら良いな。海沿いで食べる魚があんなに美味しいなんて、きっとみんな知らないでしょ」

「そのうち休み合わせて来れば良いんだよ。これが終わったら俺たち、もう成人なんだし」

「ふふ、お酒と一緒に食べられそうなものも多かったもんね。グレゴリーさんもよく飲んでたみたいだし───もうグレゴリーさんは待ってるかな?」

「さあね」


 他愛もない会話をしながら歩を進める。

 シリスはちらりと弟の横顔を見たが、その表情に浮かぶ色は把握しきれない。いくら双子だからといえ、他人なのだから分からないことがあって当たり前だった。


 それでも、今はそれが少し寂しく思える。


「ヴェル、だいぶ怒られた?」

「……まあ。そりゃあシリスの3倍くらいは絞られたんじゃね?お前、帰ってくるの早かったじゃん」

「あたし、怪我の治療が先ってコトで簡単なお叱りしか受けてないよ。後日もう一回絞られる予定なんだよね」


 全く悪びれてない顔でシリスが笑えば、ヴェルが虚をつかれたように目を丸くする。

 それも一瞬のことで、彼は肩をすくめて「なんだよそれ」と、姉と同じ顔で笑った。


「戻ったら今日はもう家に帰っていいんだもんね?さっさとやっちゃう?折角美味しいご飯貰ったんだし、それを片手にさ」

「それはそうなんだけど」


 肯定が返ってくると思っていたシリスは、首を傾げてヴェルを見上げた。


「帰ったらとりあえず食って寝たくない?どうせ報告書も反省文も出すのは明日以降だろ」


 エミリオとの戦闘に魔導人形の処理。その後はヴァーストからのお叱りと治療で、思えば2人とも昨日は一睡もしていない。

 一度意識してしまえば、興奮も冷めてしまった体は確かに睡魔を訴えている。何より、腹を満たした後にやるべき事を放って惰眠だみんむさぼるという背徳感はとても魅惑的だった。



 陽光は高く、路地の上から差し込み双子の明るい金髪を煌めかせる。



 茶目っ気のある笑いを零すヴェルが片手を上げる。シリスは弟と似通った顔で同じ笑みを返すと、バスケットを下げていない方の手を挙げた。


 返答なんて、既に決まっている───







「ダメに決まってんじゃん。面倒な事は早く終わらせよ」

「まじかよ、今の流れで?」


 ぱん、と乾いた音が高らかにリンデンベルグの路地に響いたのだった。




***

これにて1章:リンデンベルグ編は終了となります。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました!

あと少し、この町の話には蛇足として閑話がございますので、よろしければまたお付き合いくださいませ。

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