14.エーテルリンク
扉の先は広く長く続くホールだった。
幸いにも、たった今歩いてきた道よりも照明が設えてあるようで、ホールの先もそれなりに見える。
4人までしか並んで歩けないのが先程までの道であれば、この空間の幅はその5、6倍はあるだろう。レンガと石でできた町の様子とは打って変わって、鈍色の鉄材で覆われた光景は一瞬にして異世界へ迷い込んだようでもあった。
空間の左右には、入り口から奥まで柱廊のようにアーチを描く鉄柱が整列している。アーチから覗く壁にはそれぞれ鉄扉がついており、それらは全てしっかりと閉ざされ中は見えない。高い天井の中心には一定間隔で四角い穴が開いていた。そこからごうん、ごうんと空気を混ぜ返す音が漏れてくることから、恐らくあれはダクトなのだろう。この空間で聴こえるのはその音くらいだった。
「思った以上に広いな」
「同感」
まさかこんなにだだ広い空間が先に続いているとは思わなかった。
思った以上に扉は多く、一つ一つを調べるには確かに時間がかかるだろう。1番奥には壁半分ほどの大きな鉄格子が見えるが、その奥に光源がないのかここからでは中を窺い知ることはできない。
シリスは口元に指を当てて暫し考え込むと、ヴェルに目を向けた。
「手分けする?念の為一緒に回ってく?」
「時間勿体ねぇし、分けるか。もし鏡像出てもまだやれる余力残ってるだろ?」
「余裕。ヴェルは?」
「余裕」
そもそもここは鏡像の目撃された場所の中心に位置している。ここに至るまで姿を見なかったことの方が気になるくらいだ。昨日までに見たレベルのものが"潜む"なんて知能を持つかは別の話だが、何処からか急に出てくることもあるかもしれない。
しかし、彼らにとってそれは所詮恐るるに足りない相手だ。
「それより、エミリオって奴が隠れてたときのが注意だな」
「本当にそのヒトがグレゴリーさんに何かしてたなら、ね」
「ここまで来て"無関係です"は、ないだろ」
今一番懸念される事は、エミリオが何処かに潜んでる事だった。
聞かなければいけない事は沢山あるのだ。逃げられると困る。
「奥が一番気になるから、そっちから見て行くね」
「じゃあ俺は手前から挟んで行く形にするか───なんかあったら叫べよ。これくらいの広さなら聞こえるから」
「お互いにね」
シリスは左手を、ヴェルは右手を。
触れ合った手のひらがパン、と乾いた音を響かせる。そのままヴェルは左側の壁に位置する扉の方へ向かっていく。
広いが左右の扉を交互に調べるには特に手間もかからないような距離だ。左の扉を開けて中を確認し、何も無いことをハンドサインで送るヴェルに片手を上げてシリスは奥の鉄格子へと向かった。
明るいといえ、照明は白ではなく黄昏前を彷彿とさせる薄橙の光。地下という前提条件が頭にあるからか、乾いた光は暖色の温かみというよりもむしろ陰鬱で錆びた様相を演出している。
「あー、そっか」
鉄格子に至る直前という所でシリスが思い出したかのように右手を目の前に掲げた。
彼女の右の中指に幅広のシルバーリングが鎮座し、照明を仄かに受けてくすんだ色を跳ね返している。
「連絡取ることばっかり考えてたけど、別の使い方したらいいじゃん」
言うが早いか、シリスはエーテルリンクを付けた指先をじっと見つめる。
りん。
程なくして淡く白い光が滲み出るようにリングを覆い、同時に鈴を鳴らしたような高く澄んだ音が空気を微細に振動させる。
りん。
数秒を置いて、もう一回。
りん。
同じだけ時間を置いてもう一回。
ダクトの重い駆動音にかき消されてしまいそうな細やかな音を逃さぬよう、シリスは真剣に耳を澄ませた。
エーテルリンクの機序は簡単だ。
発信端末に魔力を流し込む事で空気中のエーテルと反応し、特定のシグナルを放つようになっている。受信端末はそのシグナルを受け取り、魔力を流し込む事で通信の経路が開かれるというものだ。
しかし、仮に相手が魔力を流し込まなくても役立てられる手段はある。それは───
りん。
───りん。
4度目の鈴の音。そこでシリスは目を開けた。
「聞こえた」
それは、受信端末がシグナルを受け取った時に鳴らす音だ。
発信端末がシグナルを発信したときにも同様の音が鳴るが、一定の間隔で聞こえるはずの鈴の音……それに対して、明らかに間隔の違う音が聞こえた。
それは、シリス達の居る場所の右手側から聞こえた。
「……あれ?」
予測していなかった方向からの音に、シリスは思わず疑問を抱いた。
すぐ側の鉄格子。セオリーで言うならそこが1番怪しいと思っていた。グレゴリーが居るとすれば明らかにそこだろうと。
それがまさか、鉄格子の奥以外から聞こえてくるとは思わなかった。
りん。
───りん。
間違いなく、呼応する鈴の音は鉄扉の奥から鳴っている。
シリスはそっと鉄扉に耳を当てた。
りん。
───りん。
受信端末の返事。しかし、それ以外の物音はしない。
警戒をしながらシリスは鉄扉をゆっくりと押した。錆びた金属の、歯軋りのように耳障りな音。
扉が開いていくにつれ、中の光景が露わになる。
変わらず仄明るい灯に照らされる鈍色の床。雑多に転がるビスやボルト、レンチなどの工具の数々。部屋の左右に壁付けされた無骨な鉄製のラック。
そしてそのラックの間に、後ろ手に縛られて座倒れ込む2人の男の姿があった。
「グレゴリーさん……!」
弾かれたように部屋に駆け込み、シリスは膝をついて見慣れた巨体に手を当てた。
暖かい、生きている。
それだけで安心感で胸がいっぱいになり泣きそうになってくる。予想もできずに突然連絡すら取れないとなって、最悪を考えてしまった瞬間もある。それでも、その可能性をなんとか頭から追い出してここまで来たのだ。
溢れそうな安堵の溜息を押し殺しグレゴリーの体をゆする。ゆすろうとしたのだが、重たい体を動かすのはそれだけで一苦労で、シリスはグレゴリーの頬を強めに叩いた……勿論、強すぎない程度に気をつけて、だ。
「起きて、ねえ」
その手段が功を奏したかは分からないが、何度目かの衝撃でグレゴリーの瞼がびくりと震えた。
「グレゴリーさん!」
「ぐ、う……」
自らを呼ぶ声に、グレゴリーがようやくその意識を覚醒させた。冬眠から目覚めた熊のように低い唸り声をあげ、その巨体がもぞり、と動く。転がされていたからか顔や服に汚れが付着しているが、それは些細なことだった。
やがて開けられた瞼の下から茶褐色の瞳が姿を現し、焦点を合わせようと震えながらシリスに向けられた。
「大丈夫です?あたしのこと分かります?」
「シリス、か……?」
未だ瞳孔は開き切ったままでぼんやりとした視線ではあったが、声で相手が誰か判別できるくらいに意識は戻っているようだ。今度こそ本当にホッと息を吐き出し、シリスは床に両手を付くことで力の抜けた体を支えた。
「ほんともう……居なくなった時にはどうしようかと思ったじゃん……」
「俺は……ここ、は?」
「エミリオさんのとこに行って、その後から行方不明だったんですよ。ヴェルと一緒に探しに来ました」
「エミ、リオ?」
グレゴリーがゆるゆると頭を振り、記憶を探るようにその名前を呟く。
「エミリオ……そうだ、俺は、彼の家に」
その声が段々と低い声色になっていき、さらに深く思い出すように視線は床に落とされた。
「あいつ、そうだ……あいつ……!」
「グレゴリーさん?待って、今それ解くから───」
「あの女!!」
唐突。
先程までの緩慢さが嘘のような勢いで身を起こし、グレゴリーの目が見開かれる。鋭さを取り戻した眼光が刹那に彷徨い、間髪入れずシリスの後ろへ固定された。
「後ろだ!」
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