10.グレゴリーの行方

今日も今日とて、いい天気だった。


初夏の穏やかな気候は、まだ暑くも寒くもない絶妙な温度で心地よい。太陽が南天にくる頃には少し汗ばむくらい気温も上がるだろうが、その時間にはまだ早かった。

路地には緩やかに風が吹き込み、レンガ板の隙間から顔を覗かせる雑草を揺らす。

ヘリオはそれを丁寧に指で摘んで引っこ抜いた。


「ヘリオ君!」


鼻歌混じりに手を動かしているヘリオの耳に靴音が聞こえる。間を開けずにかけられた声は最近聞いたばかりのもので、ヘリオは思わず地面に落としていた視線をパッと上げた。


「お姉ちゃん!!」


駆け寄ってきたシリスの腰に飛びつき、グリグリと頭を擦り付けるヘリオ。シリスが慌てて抱き止め、その頭を撫でる。

ヘリオは満面の笑みで服に顔を埋めていたが、そこでふと気付いて顔を上げた。


「今日はひとり?お兄ちゃんとおじちゃんは?」


ヘリオはシリスの後ろに続く路地へ目を向ける。そこに目立つ巨体は無く、目の前の恩人に似た姿も無い。昨日3人でいる姿ばかりを見ていたからか、違和感を覚えて顔を上げれば、ヘリオを映す翠色の瞳は微かに曇っていた。


「おじさんが迷子になっちゃったみたいで、お兄さんとあたしで探してるの。───お父さん、呼んできてもらってもいい?」


その瞳に僅かな不安を感じながらも、ヘリオは頷いて直ぐに父親を呼ぶために家に駆け込んだのだった。



*




朝、差し込む光で起きたシリスとヴェルは、身支度を済ませてからグレゴリーの部屋の扉を叩いた。


しかし、部屋の中からは一切何の物音もしなかった。

何度ノックしてみても同じことで、仮に寝ていたとしてもここまで反応がないのはおかしなことだ。

そう思って扉を開けると部屋には鍵がかかっておらず、抵抗もなく開かれた戸の先はもぬけの殻だった。

不安を感じた2人が宿の者に問えば、グレゴリーは見舞いに出たあとから戻って来てないのだと言う。


エーテルリンクを起動してみるが、残念なことに一方向端末であるからして役にも立たない。そもそも、発信音が延々と続いているので通信が開かれる形跡もなかった。


「道中、トラブルに巻き込まれたんじゃない……?」

「それか、エミリオさんってヒトの家でなんかあったかだな」


シリスもヴェルも至った結論は同じだった。


細かく相談をせずとも、自分がどう動けば良いかはお互いへの信頼で理解している。


「俺は戻ってヴァーストさんに確認と報告」

「あたしは先に、エミリオさんの家の場所の確認───ヘリオ君のお父さんに聞こうと思う」

「合流も楽だしな。りょーかい」


頷き合って、直ぐ宿を出て二手に分かれた。


簡単に終わるはずの任務で予想外の状況に陥ったことにお互い一抹の不安はあるが、独りじゃないだけ安心できた。加えて、一緒に動く相手が他の誰でもない"片割れ"なら尚更だ。


そうして迷いなく店にたどり着いたシリスは、ヘリオと共に出て来た彼の父へ挨拶もそこそこに話を切り出した。


「おはようございます、町長の家を教えて欲しいんですが」

「え、エミリオさんの家ですか?」


顔を合わせて即座に飛んだ問いかけに、ヘリオの父は気圧されたかのように一瞬詰まる。しかしそれも僅かな間のことで、すぐに我を取り戻すと、口を開いた。


「それは勿論、知っていますが……どうなさいましたか?」

「グレゴリーさんがその人の家に行ってから帰って来ないんです」

「何かお話しが長引いてる……というわけではなく、ですか?」

「……それ本気で言ってます?」


あんまりな予測に顔を顰めてしまったが、ヘリオの父はキョトンとした表情で首を傾げる。その顔は昨日シリス達の授業を受ける前のヘリオに似ていて、やはり親子なのだと不意に考えてしまう。

れそうになった意識を引き戻して、シリスは疑念を込めた目でもう一度ヘリオの父を見た。彼の表情は変わらないままで、本当に自分の予測に疑いを持っていないのだということがわかる。


「グレゴリー様は、この度の緘口令と守護者様への連絡のおこたりをお叱りに行かれたんですよね?」

「いいえ。そうしようとしてエミリオさんが心労で倒れたので、お見舞いに行きました」

「ですが、その場でお話が進んで……ということもあるのでは?この店でもよく、取引先と揉めている方々が朝まで話し込んでいる姿を見ることがありますが」


平穏ゆえの弊害。

それを垣間見た気がした。


彼らの常識の中では、朝まで話し込んでいてもそれはよくあることなのだろう。


だが、シリス達にとっては違う。


グレゴリーは先に寝ろとは言っていたが、少なくとも朝までかかるという意味ではなかっただろう。豪快に見えて細かい男なので、朝帰りによるコンディションの低下なんかは気にかけるタイプだ。


「エミリオさんって人が、グレゴリーさんに何かしたって可能性ありませんか?」

「何か、ですか?」

「例えば……口封じとか」

「そんなわけが……!」


ヘリオの父は声を荒げそうになったが、隣のヘリオに視線を向けてハッと口を噤む。シリスが声のボリュームを落としていたため、物騒な単語は聞こえていないようだ。彼は父の様子に首を傾げたが、話に割って入ったりはして来なかった。


「そんな事しても、いずれ他の守護者様がいらっしゃれば意味のないことではないですか」

「そうなんですけど……現状、グレゴリーさんは戻ってないですし。エミリオさんが鏡像の出現を守護者に隠したがってたのは事実なんですよね?」

「それは……」


ただの人間に守護者が遅れをとるわけがない。シリスも理解している。だがそれは面と向かって対峙した時だけで、不意打ちなんかされればその限りではない。


シリスの言ったことに不安を覚え始めたヘリオの父は、顔色を悪くして身を縮こまらせる。その様子を見ていると、シリスはただなんとも言い難い気持ちに苛まれた。

特に、横で話を聞いているヘリオが父親の様子を見て少し表情を固くしている姿は、自分が悪者にでもなった気分にさせる。会って日が浅いといえ、懐いてくれた子供に嫌な思いをさせている事実はシリスの胸をチクリと痛ませた。


「えっと、別にお父さんを責めてるわけじゃなくて……とりあえず、道すがらで何か手掛かりが見つかるかもしれないですし」


ヴェルよりもまだ社交的だという自覚はあったが、シリスもそこまで口が回るわけではなかった。特に、今のような流れでは。

どうやってこの場の空気を変えようか、そう悩み始めた時だった。


路地の奥から足音が近付く。


「わり、遅かった?」

「ヴェル!」


シリスは振り返り、自分の斜め後ろで足を止めたヴェルに安堵の表情を向けた。

特に息も切らせず走ってきたヴェルは、姉の表情とヘリオの父の表情を見て状況を察したようだった。そういう面では聡い男である。


「昨日は向こうも戻ってないらしい。朝になっても帰って来ないことと、この世界でも鏡像が出てる事は伝えて来た」

「なんて言ってた?」

「それが、ヴァーストさんも別の世界での指導で出払ってるからさ。事務担当の大人しかいなかったから待てって言われた」

「待て……って、いつまで?」

「ヴァーストさんに連絡つくか、養成所外で動ける大人見つけるまで」

「それっていつまでなのさ……!」


ヴェルの言葉に、シリスは苦々しい顔を浮かべて唸った。

人手がないとて、待てというのも酷い話だ。関わってるのは人間かもしれないといえ、行方不明者を放置しておくには長すぎる時間ではないか。


「先に探すだろ?普通に」


当たり前のように言うヴェル。


「だって仮にエミリオってヒトが、グレゴリーさん黙らせて守護者への発覚を遅らそうとしてた場合は、後手に回るほど良くないじゃん?」

「……君があたしの弟だってことはよく分かった」

「褒めてるんだよな?」


感じた懸念をそっくりそのまま口に出す弟に、シリスは思わず口元を緩めて弟の背を軽く叩く。

突き刺さるジト目には最上級の笑みを返して。シリスはヘリオの父へ再度向き直った。



「エミリオさんの家、教えてもらうことは出来ますね?」




「僕、案内するよ」

「ヘリオ!?」


予想もしなかったところでヘリオが手を挙げたことにシリスもヴェルも呆気に取られたが、1番驚いていたのは父親だった。

父の反応にも躊躇わず、ヘリオはシリスとヴェルの元まで駆け寄ると2人の間に立って父親を振り返った。


「リンデンベルグは道が分かりづらいところもあるし、僕が案内した方が早いでしょ?」

「それはそうだが……」

「近くまでにするから、お願い!お姉ちゃん達ともう少しお話ししたいんだ」


シリスとヴェルの腕を掴むと、ヘリオはにっこりと笑った。

その表情とヘリオの父親の表情を交互に見て、シリスはヴェルに目線だけで「どうしよう」と問いかける。案内してもらえるのは助かるが、ヘリオの父親が厄介ごとに首を突っ込ませたくない気持ちもわかる。


良くも悪くも、この街の人間は事勿ことなかれの姿勢を根底に持っている。それを否定する気はシリスには無かったし、きっとヴェルも同様だろう。

彼がシリスに返す目線にも同じ問いかけが込められていた。


いくら路地が入り組んでるとはいえ、地図があるので場所を教えてもらうだけでもなんとか行けそうでもある。ヴェルが懐から地図を取り出そうとしたとき、ヘリオの父が深くため息を吐いた。


「近くの道までだぞ、家の前までは行かないように」

「はーい!」

「あと、守護者様たちにはご迷惑をかけないようにな」


まさか許可が出るとは思っていなかった2人は驚いたが、ヘリオの父なりの譲歩なのだろう。平穏を享受し、厄介事の存在を認めたくはなく、しかし一方で守護者への協力を義務と感じている。そんな葛藤かっとうが見えるようだった。


許可が出たのであれば、それを拒否する理由もない。


「……じゃあ、ヘリオ君。案内お願いできる?」

「うん!こっちだよ!」


両手で2人の腕を掴んだまま路地を走り出すヘリオ。ヴェルとシリスは手を引かれるままにその後を追う。



「…………」



店の前には、心配そうにその姿を見送るヘリオの父だけが残された。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る