7.腹拵えも終えて

「うま……もはや味の芸術……」

「パスタおいしい」

「ガレットうま……」

「お魚おいしい」

「あ、卵先に潰すからな?」

「は?ちょっと待ってよ、それあたしの楽しみのひとつ……あ゛あ゛あ゛あ゛〜〜!!黄身が流れ出す瞬間が1番幸せなのにいぃぃ!!」



卓いっぱいを超えた皿の量に、最初は不安顔だった双子も先程からずっとこの調子だ。


そんな2人を見ながら、自分も初めてここに来た時はそんな感じだったと数年前を振り返るグレゴリー。最初に酒を注がれていたジョッキは既に3杯目である。


微笑ましい教え子の様子を見ながら、グレゴリーはピッチャーを運んできたヘリオの父に声をかける。


「先程の話に戻るが……まだ人間が対処できるような鏡像しか現れていないということだな?」

「恐らくは。黒いモヤの話は何人からかありましたが、自警団が直ぐに対処したらしく誰かが怪我をしたなどと言う話は聞きません」

「幸い、と言うべきか……。教育は行き届いてないといえ、"かげを鏡に投影するべからず"という教えくらいはまだ残っているのか?」


鏡像はその性質上、鏡を介して白の世界へ侵入する。


彼らが白と黒の境界線を越える経路として利用できるのは、通れるだけの大きさを持つ鏡だ。それも、ヒトの負の感情に晒された事があるものに限る。

負の感情から生まれた鏡像が、写された負の感情をしるべにしているというのが通説だ。


無論、鏡像との建設的な対話を試みた者はいない為、真偽のほどはわからない。


「ええ、それは流石に。そもそも、沈んだ姿を自ら見ることができても、さらにネガティブになるだけですから」

「それもそうだ」


グレゴリーは短く揃えた髭を指の腹でなぞる。


彼も別に、負の感情を持つことが悪いことだとは思っていない。ヒトである限り、誰しも心が沈み、澱み、暗くなる時もあるだろう。

そんな状態で鏡を見るなと言われても、タイミングというものもあるかもしれない。


だからそもそも、何処の世界でも一般に流通しているのは顔の映る程度の小さな鏡だった。

仮に媒介になったとしても、その大きさの鏡像であれば強さなど、たかが知れている。たとえ彼らが共喰いだの人を喰らうだのして成長する前に、倒してしまえばいいだけの話だった。


「世の中の鏡を全て破棄することは、土台無理だからな」


ヒトは便利なものを取り入れるのは得意だが、その逆が出来るかと言われれば答えはノーだ。

いつか鏡像が経路として利用することになる"かもしれない"というだけで、生活に根ざしたものをいまさら取り除くことは不可能に近い。


だからせめて、姿見などの大きなものは守護者が把握している特定の場所にしか存在しない。



「この町には大きな鏡などは無かったはずだが、最近どこかに設置された……などということはあるまいな?」

「そういう話は全く───ああ、ですが」


ヘリオの父はグレゴリーの言葉に一瞬だけ首をひねる。が、不意に思い出したかのように手を打った。


「ニーファさんなら何かご存じかもしれません」

「誰だ?」

「エミリオさん……町長の秘書の方です。今の時間なら、夕方くらいまでは停泊船の管理で港の方に居られるかと思います」


今度はグレゴリーが首を捻る番だった。残念ながら、というと語弊があるが、この町は大きなトラブルもなく視察で鏡像を見かけることも無かった。守護者は雇われて視察をしているわけではない。必要でなければ、町の上層部とわざわざ顔を合わせることもまれだ。

思い出しても、視察担当になった当初のぼんやりした記憶しかない。さらにその秘書というと全く姿すら浮かばなかった。


「当のエミリオさん自身はどうした?秘書の方が町の把握をしているのか?」

「それが……エミリオさんはせって居られまして、代わりに彼女が現在の実務と管理を担っておられるのですよ」

「臥せってる……ご病気か?」

「いいえ、その」


言いにくそうにヘリオの父は口籠り、グレゴリーの顔を見ては目線を落としもう一度見ては目線を落とす。

やがて意を結したように、重々しく言葉を絞り出した。


「き、鏡像が現れてからというもの、外部の方の混乱を招かぬよう情報の統制や緘口令でかなり忙しくされてましたから。疲労がたたっていたようで」

「ほぉう」


つまりは

最初にも聞いたが、改めて伝えられたグレゴリーの顔に険しさが宿る。ヘリオの父が怯えを見せたので、どうやら彼の顔が怖いらしい。グレゴリーは気持ちを落ち着かせるためにもジョッキを呷り、3杯目を空にした。


ヘリオの父が慌てて代わりを持って来ようと奥へ向かうが、グレゴリーはそれを止める。

代わりに新たにグラスに水を注いで飲み干すと、彼は大きなゲソの唐揚げに豪快にかぶりつく双子に向かって言った。


「食べ終わったら出るが、お前達は港に行ってニーファという女性から話を聞いてもらいたい。ここ最近で姿見の設置をした場所や、そういった荷物の取り扱いがあったかどうかの心当たりを聞いて欲しい」

「おっけー」

「はーい。グレゴリーさんはどうするんですか?」


咀嚼そしゃくしながら頷くヴェル。同じくシリスも咀嚼しながら、それでも口元を手で隠してグレゴリーに聞き返す。


「俺は町長の家に行く。この事態を隠そうとしていたことに対して、厳しく聞かねばならんからな」

「「あ〜……」」


唸るようにグレゴリーが言えば、双子は呆れたような納得したような顔で頷く。


「俺らは港の方で良いんすか?一緒に行って圧かけた方が良いんじゃない?」

「一応、病人だそうだから大勢で乗り込むのだけは避けておこう」

「その人病気なんですか?」

「いや、隠蔽工作で忙しくした結果で身体を壊したそうだ」

「「あ〜……」」


2度目の頷き。

2人の顔には"ご愁傷様"と書かれてある。だが、それはグレゴリーにではなく、今からグレゴリーが詰めに行く人物に対してだろうと言うことは明らかであった。


「あとはそうだな。そのニーファという女性は町長の秘書だそうだから、彼女にも鏡像の件について把握してるのか確認するんだ」

「でも、あたし達だとグレゴリーさんみたいに怖い顔して詰め寄るの無理ですよ?」

「怖がらせんで良い。普通に聞け普通に……必要に応じて、彼女だけなら守護者の身分を明かしてもいいから」


そう何度も怖い怖いと言われれば複雑な気持ちが湧き起こってくるが、グレゴリーとしては別に怖がらせるつもりではないのだからどうしようもない。

それでも少しだけ気にして眉間を揉みながら、グレゴリーは刻まれかけた皺を指で伸ばした。


「道中、町の人間にも何かしら話が聞けるなら、鏡像について何か知ってることがないか探りを入れてくれ。緘口令があるならあまり期待はできんだろうが……」

「圧かけなくて良いすか?」

「普通に聞け普通に」


とにかく、方針は決まった。


双子には仮に自分たちに手が負えないような事態が起こった場合や判断に悩むことが起こった場合には、エーテルリンクを使って連絡を取る事を約束事とする。


エーテルリンクは、魔術が認知されている世界では殆どの世界が取り入れている一方向連絡端末だ。一方向でしか伝達ができないが、リング型で持ち運びがしやすい。2つあれば、お互いがそれぞれの方向性の端末を持つ事によって双方向での連絡も可能にする優れ物だ。

難点はやや高価というところか。


残念ながら支給品は1つのためシリスとヴェルが発信端末を、グレゴリーは受信端末を持つことになった。


「ヴァーストさんから聞いていると思うが、いくら話を聞くためといえ守護者であることは名乗らないように」


そもそも2人は本来見習いのため、正式に守護者だと名乗ることは出来ない。

ヘリオのように、他世界への移動を素直に羨ましいと思えるだけのヒトばかりならば良い。

だが、生きとし生けるもの全てが善人ばかりであろうはずがない。世の中には守護者を捕らえてその血筋を悪用しようとする者も居る。

外の世界をよく知らない見習いは、そういう悪人にとっては格好の餌食にもなり得る事は2人にも十分に教えていた。


見習いこどもが無作為に身分を明かして生じる問題に、責任が持てないからこその措置だ。


「ニーファという人物には構わんがな。町長の秘書だ、守護者のこともよく知ってるだろう」

「りょーかい。聞ける範囲ってとこで」


軽薄に答えるヴェル。

返答に、やや不安が残るが……とにかく、ヴェルの横でしっかりと頷いたシリスがいるので大丈夫だろうと結論付けた。





「さて、向かうか……」


大皿に残った料理を全て平らげ、グレゴリーは勘定をして店を出る。


集合の約束は夕方の18時。宿に入れば情報共有も行わなければならない。エミリオの話によっては、先に今回の事態のあらまし───町の上層部が利益を優先して鏡像の出現を隠していたことを報告しなければいけないだろう。


グレゴリーとて詰問きつもんが好きなわけではないが、今回のことはいつか何処かで大きな過ちが起こる可能性が高い問題だ。それに関しては町長たるエミリオにも十分理解させねばなるまい。


町の案内をしなかった事で、双子には面倒を避けていると思われているだろうが───




「俺だって、他人ひとを責めるよりも足を動かして調査してる方が良いんだがな……まあ、こればっかりは大人の辛いところさ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る