第73話 その存在に対する考察

 その存在は唐突に活動を停止した。その様は、死亡したというよりもアンデッドが滅びるのを連想させるものだった。

 エイクは、その異様な存在からオドが抜け出ていくのを感知していた。だが、それでもなおしばらくは、クレイモアを構えたまま警戒を解かない。


(油断した)

 エイクはそう考え、気を緩ませて最後に敵の攻撃を受けてしまった自身の不甲斐なさを自省した。だが、そのきっかけになった言葉についてはやはり気になった。


(間違いなくフィントリッド・ファーンソンと口にしていた。聞き間違いではない。

 偶然音がそう連なっただけという事もないだろう。こいつは、フィントリッドと関係があるのか?)


 エイクは、そんなことを考えながら、警戒して様子を伺っていたが、その存在が動く事はなかった。特に不穏な気配なども感じられない。

 エイクは、この存在について何事か知っているらしいアズィーダに声をかけた。


「こいつの事を何か知っているのか」

「ああ、スクリーマーと呼ばれる、悍ましいアンデッドの一種だ。

 特に強い恨みや後悔を抱いて死んだ者が稀に変化するのだそうだ。まったく、汚らわしい」

 そう応えるアズィーダの口調は大変厳しいものになっており、嫌悪を隠しもせずにスクリーマーと呼んだものを睨みつけている。


(アンデッドだというのが本当なら、単純にフィントリッドに恨みを抱いて死んだ者がアンデッド化しただけという事なのだろうか? まあ、フィントリッドも善人というわけではないし、そういう事もあるかも知れない。

 だが、あのオドはアンデッドのものとはかけ離れていた。何か本質的に違うものだった気がする。

 それに、こんな魔物は全く聞いた事もない)

 エイクは改めて、最早動くことがないスクリーマーの残骸を観察した。


 そして、アズィーダに重ねて問いかけた。

「こいつについて知っている事を出来るだけ教えてくれ」

 エイクは、自分が知らない魔物の事をアズィータが知っていた事が気になった。


「私も詳しくは知らない。

 だが、数年に一度くらいは発生したという話を耳にするな」

(結構な頻度だな……)

 アズィーダの答えを受けエイクはそう思った。

(それほどの頻度で発生するこれほど強い魔物の事を、俺が今迄知ることが出来なかったとは思えない。

 多分この魔物はヤルミオンの森の深部以西に固有の存在か、少なくともこちらでの出現頻度は相当に低いのだろう)

 魔物に関する知識に、それなりに自信があるエイクはそう考察する。


(それに、こんな魔物が、アズィーダが知る範囲だけで数年に一度程度の頻度で現れるとなると大変なことだぞ)

 そして、更にそんな事も思った。

 アズィーダがスクリーマーと呼ぶその存在が、かなりの強さだったからだ。

 エイクが思いの外大きなダメージを受けてしまったのは、動揺して不覚をとったからだったが、それを差し引いても相当に強かった。


(ドラゴ・キマイラなどよりよほど強敵だった。

 攻撃の速さだけならバフォメット並みだ、動きが単調な分バフォメットよりは避け易かったが、侮れるものではない。耐久力の高さは相当なものだったし、グレーターデーモンの中でも上位の存在と同じくらいの強さはあっただろう。

 その上、叫びの能力で全範囲を攻撃して来るから、格下の者が周りを囲んで、数で対抗する作戦も使いにくい。かなりの強者がいなければ倒せないだろう)


 エイクは今まで戦った事がある魔物と比較して、この魔物の強さについてそんな感想を持っていた。

 それはつまり、スクリーマーが並みの成竜を優に超え、大竜並みと言えるほどの脅威である事を意味している。

 しかも、先ほどの行動を見ても分かる通り、相当攻撃的で交渉の余地もない。


「現れる度に相当な被害が出るんだろうな」

 エイクはそんな事を呟いた。

 だが、アズィーダから否定の言葉が返って来た。


「いや、スクリーマーは、直接的な恨みを晴らすと速やかにどこかに去ってしまうのだ。だから、それほどの被害は出ない。

 どこに行ってしまうのかは不明といわれていたのだが、この森に入り込んでいたのかも知れないな」


「どういうことだ?」

「実は、少し前にもこの森の中で他のスクリーマーに遭遇しているんだ」

「何だと」

 エイクは思わず厳しい口調でそう告げた。

「それはいつ頃の話だ? 場所は?」

 そして続けてそう聞く。


「私があの洞窟に住むようになって少し経ってからだ。

 洞窟の周辺で見かけた。その時はこちらから攻撃して、もちろん破壊してやった」

 アズィーダはそう返した。


 ちなみに、闇の神々の中でもアンデッドの存在を許しているのは冒涜神ゼーイムと悪神ダグダロアだけで、他の闇の神々もアンデッドを許すべからざる存在とみなしている。

 中でも、破壊神ムズルゲルはその傾向が顕著で、ムズルゲル信者はアンデッドに対して非常に攻撃的だった。


 アズィーダの言葉を聞きエイクは思うところがあった。

(大陸の西の果てで比較的頻繁に発生して、どこかへ去ってゆく魔物。

 そんな魔物が2体、短期間の間に続けてこの森で見かけられた。しかも、その場所はいずれもフィントリッドが設定した防衛線が綻びた場所の近くだ……)


 それは、その2体が防衛線の隙をついてフィントリッドの支配領域に侵入した可能性を示唆している。

 更に、その2体が発見されて倒されたのは、偶然の結果に過ぎない。発見されないまま侵入したものは、もっと沢山いると考えるのが当然だろう。

 つまり、このスクリーマーという存在が、相当数フィントリッドの支配領域に侵入して来ている事が推測される。

 エイクが倒した1体だけが、偶々フィントリッドを恨んで侵攻して来たとは思えない状況だ。


(スクリーマーと呼ばれる魔物の多くが、フィントリッドを敵視していると見るべきだろう。

 種族全てが敵視している事や、あの異様なオドを持つ存在全てがフィントリッドを敵視している可能性すらもあり得る)

 エイクはそのように考えた。

 そしてまたエイクは、フィントリッドが女オーガをどうにかする話を持ち掛けて来た時に、少し気になる点があった事を思い出した。


 エイクが気になったのは、フィントリッドが防衛線を築いているという事に関するちょっとした違和感だった。

 フィントリッドは、森の深部まで妖魔が入り込むかも知れないという話をエイクから聞いた時に、身を潜めてやり過ごしても良いと言った。

 フィントリッドは自分の存在を知られたくないと思っているが、その為に自分が身を隠す事もあるわけだ。


 一方でフィントリッドは防衛線を設けているとも言った。

 防衛線という言葉からは、その内側には敵対者を絶対に入れないという印象を受ける。

 自ら身を隠す場合もあるという事と、防衛線を設ける事は、どこかちぐはぐな行いなのではないだろうか? エイクにはそのような気がしたのだった。


 といっても、決定的な矛盾というほどの事ではない。

 防衛線と言ってはいるが、それほど厳密には運用していないというだけなのかもしれない。

 そうとも考えたエイクは、少し気になった程度で、その事について深く考えてはいなかった。


 だが今、フィントリッドを狙う特異な存在がいると考えた時、エイクには別の想像が浮かんでいた。

 それは、防衛線というものは、特定の相手だけに限定して運用しているのではないだろうか? というものだ。


(敵対的な相手にも、基本的には柔軟に対応する。だが、妥協の余地がなく、絶対に侵入されてはならない相手も存在する。

 だから、そんな存在だけを対象として防衛線を築く。そういう可能性もあり得る)

 と、そんなふうに考えたのである。

 そして、その絶対に侵入されてはならない存在こそが、この奇妙なオドを持つものなのではないだろうか? と。


 だが、そう考えた場合にもやはり不自然な点がある。

 その防衛線に隙が生じたまましばらく放置して、まんまと侵入を許してしまったという点だ。

 それは、絶対に侵入されてはならない存在に対する対応としては、余りにもお粗末過ぎる。


(やはり、それほど厳格には運用してはいない、というだけの事なのかな?

 つまり、この存在も、フィントリッドにとってそこまで気にするほどの相手ではないと……)

 それが妥当な解釈であるように思える。だが、エイクは別の可能性もあるように思っていた。


(それとも、驕り故に警戒を怠っているのか……)

 エイクは、フィントリッドの言動に強者の驕りともいうべきものを感じていた。不用意な行いをする事が多いように見えるのである。

 かつて自分も陥った驕り故の過ちに、フィントリッドも今まさに陥っているのかも知れない。

 本来なら、絶対に侵入されてはならない存在に対する警戒を怠ってしまうほどに。


(まあ、だとしても俺が心配するようなことではないな)

 だが、結局エイクはそう考えた。

 そして更に、考えようによってはこの状況は好都合かも知れないとも思った。


(フィントリッドが西に敵を抱えているなら、アストゥーリア王国や俺に対しては積極的には介入し難いはずだ。

 その方が、気まぐれに介入されるよりも面倒がなくていい)


 そう考えつつもエイクは、自らが倒したスクリーマーという存在からまだ目を離す事が出来なかった。

 エイクはこの未知なる存在について大いに関心を持っていた。その正体や、フィントリッドとの関係、そしてその目的などについてだ。


(1体や2体ではなく、この存在の多くがフィントリッドを狙っているなら、そこには何か深い事情があるのだろう。

 単純にフィントリッドの事を恨んでいるというだけだとしても、これほどの強さの多くの存在から恨まれるというだけでも尋常なことじゃあない。

 しかもそれが、この森の西側でしか発生しない特殊な存在なのだとすれば猶更だ。

 この森の西に何があるんだ? フィントリッドが何かをしたんだろうか?)


 しかしエイクは、それ以上考えるのは止めた。

 今いくら考えても答えが分かる事ではないし、自分にとって最重要の事でもなったからだ。

(……まあ、いずれにしても、この存在が父さんの仇に関係している可能性は低いだろう。

 今は、この存在について深く考えている場合ではない。こんな存在が居て、フィントリッドと敵対しているという事だけ承知していれば十分だ。

 フィントリッドが、何か俺の知らない敵と戦っているなら、勝手にやっていてもらえばいい。俺には関係がない話だ。とりあえず、今の俺には。

 今は父さんの仇の情報が集まりつつある大事な時期なんだから、余計な事に関わってはいられない。少なくとも、仇を討つその時までは、な)


 エイクは最終的にそう考えをまとめた。そして、スクリーマーから視線を外しアズィーダに向かって声をかけた。

「とりあえずここから離れる。身支度を整えるなら手短にしてくれ」

「承知した主殿よ」

 そう答えたアズィーダは湖の方に向かった。

 この状況でも一応は身を清めたいようである。

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