第8話 孤児院との関係④
オルリグの口調から並々ならない覚悟を感じ取ったエイクは、気を引き締めて答えた。
「俺には他人に剣を教えた事はないし、その術も知らない。だがら、稽古をつけるなんてことは出来ない。
だが、立会いなら付き合おう。痛くないのと、痛くても効果が高いのとどっちがいい?」
「効果が高い方を望みます」
「分かった。それなら、木剣で打ち合おう」
「はい、お願いします」
オルリグは、強い口調でそう答えると早速練習用の木剣を取りに走った。
そうして、エイクとオルリグは立ち会う事になったのだが、いうまでもなく、オルリグでは全くエイクに歯が立たなかった。
オルリグの木剣は、エイクに当たる気配すらない。対してエイクは木剣を振るうたびにオルリグに攻撃を当てた。十分に手加減はしていたものの、実際にオルリグの体を木剣で打ち据えたのである。
エイクは自分の経験から、痛みを感じた方が早く技術が身に付くと思っていた。
オルリグは何度も打ち倒されたが、そのたびに直ぐに起き上がり、エイクに挑んだ。
「ッ! も、もう一度お願いします!」
「悪いが、今日はあまり時間がない。ここまでにしてくれ」
痛みを堪えて立ち上がり、更に立会いの続行の望むオルリグに、エイクはついにそう答えた。
「……」
悔しげに歯を食いしばるオルリグをみて、エイクが若干の罪悪感を持った。本気で挑みかかってくるオルリグに対して、エイクはずっと本気では戦っていなかったからだ。
更にいえば、ブロンズゴーレムらと戦った時すらエイクは本気を出していない。
自分が本気で剣を振るった場合、子供達には剣の動きを目で捉えることが出来ず、何も得られないだろうと思ったからである。
つまり、まだエイクはオルリグを初めとした孤児達に、本気の攻撃を見せていないのだ。
そのことに気が咎めたエイクは、オルリグに告げた。
「オルリグ、悪いが俺は今まで手加減をしていた。折角だから本気の攻撃を見せたいと思うがどうだ?」
そうする事が、本気で打ち込んで来ているオルリグに対する礼儀だと、エイクは思った。
「是非お願いします」
その力強い答えを受け、エイクは木剣を上段に構える。錬生術も発動させた。
そして、正面からエイクを見据えるオルリグへ向けて、鋭い踏み込みと同時に渾身の力をこめて振り下ろし、即座に斬り返す。
エイクの持つ木剣は、オルリグの眼前を往復し、エイクの頭上に戻った。
強い風がオルリグの顔を打った。
オルリグは驚愕した。エイクが振るう木剣の動きが全く見えなかったからだ。自分の目の前を通り過ぎたはずなのに、である。
(こんなに、こんなに違うのか! 俺とこの人は)
オルリグは心中でそう叫んだ。自分が感じた事実が、余りにも衝撃的だったからだ。
オルリグは15歳という年齢の割には強い。例えば、並みの衛兵と戦っても普通に勝てるほどだ。
だが、以前“大樹の学舎”を襲ってきた盗賊たちは、そのオルリグよりも明らかに格上だった。
オルリグは、あんな敵にも勝てるようにならなければならないと気を引き締めていたのだが、その盗賊たちを何人もまとめて圧倒したブロンズゴーレムを、エイクはたった一振りで大きく傷つけ、容易く退けた。
それだけで既にオルリグにとっては驚愕だった。
それでもオルリグは、エイクとの立会いを望んだ。
自分ではエイクにとてもかなわないことなど百も承知だった。だが、エイクの言動に対して思う所があったオルリグは、挑まずにはいられなかったのである。
結果は予想通りで、手も足も出なかった。
しかし、それすらエイクは大きな手加減をしていた。
エイクが披露した本気の一撃は、文字通りの意味でオルリグが見ることすらかなわない遥かな高みにあったのだ。
(もし今の攻撃を受けていたら。たとえ練習用の木剣でも、俺は一撃で死んでいた)
オルリグにもそのくらいのことは分かった。
自分とたった2歳しか歳が違わないエイクとの、この絶望的な差は、オルリグを打ちのめさずには置かなかった。
エイクは、酷い衝撃を受けているらしいオルリグを、複雑な心境で見ていた。
自分がオルリグよりも圧倒的に強いのは間違いないが、そうなった根本的な原因は、運が良かったからに過ぎないと思っていたからだ。
(俺が強くなれたのは、幼い頃からの鍛錬の結果だ。けれど、そもそも鍛錬に没頭できた事自体が父さんのおかげだった。
それに、俺の素質も父さんと母さんから受け継いだものだ。俺は父さんの子に生まれたから、強くなれたんだ)
エイクはそう理解していた。
(オルリグが何かの目的の為に強くなりたいと思っているのは分かる。その気持ちが、俺が強くなりたいと思う気持ちよりも強いのか弱いのか、そこまでは分からないが……)
エイクはまた、オルリグが剣を振るう姿からそんなことを見て取っていた。
(だが、育った環境のせいで、強くなる為に全てを費やす事はできなかった。そして、生まれ持った素質も俺とは違う。
だから、どれほど強くなりたいと思っていても、仮にその思いの強さが俺と同じかそれ以上だったとしても、俺と同じくらい強くなることは出来なかった。
要するに俺はオルリグよりもずっと運が良かったんだ。だから、強くなれた)
エイクは改めてそう思っていた。しかし、それでもエイクは己の行く道を変えようとは思わない。
(だが、そんなことは関係ない。
俺は、俺の生まれも幸運も全て使って、更に上を目指す。運悪く強くなれなかった者に無用に関わって、歩みを滞らせるつもりはない)
エイクは以前にも考えたそんな思いも新たにした。
そして、だからこそオルリグにかける言葉を持たなかった。
強くなることに至上の価値を見出し、強くなるための鍛錬を極めて重要なことと思っているエイクは、同じように強さを求めているオルリグに好意的な感情を持っていた。今後も怠らずに鍛錬を続けて欲しいと思っていた。
しかし、幸運にも強くなれた自分が、オルリグに向かって鍛錬を続けろと言ったとしても、それは薄っぺらい表面だけの言葉になってしまうだろう。意味のある助言が出来るとは思えない。
そして、適切な助言が出来るように深く考えたり、上手く指導できるように努める事は、エイクにとっては無用な関わりといえるものだった。
実際、既にアルターという優れた指導者の教えを受けているオルリグに向かって、人を指導した経験など全く持たないエイクが何か助言しても混乱させるだけだろう。
強さの重要さといった心構えも、オルリグはバルバラの教えによって既に身に付いているはずだ。
そのオルリグに向かって今伝えるべきことをエイクは思いつかなかった。
「機会があったら、また立ち会おう」
結局エイクはそれだけを告げた。
「……はい、ありがとうございます」
オルリグはどうにかそう答える。
エイクはバルバラの方に向き直って告げた。
「それじゃあ、今日はこれまでにする。また時間が出来た時にはよらせてもらう。その時にはまたよろしく頼む」
「はい。畏まりました」
バルバラは深々と頭を下げてそう答えた。
そうしてエイクは、足早に“大樹の学舎”を後にしたのだった。
エイクが去った後、いまだに衝撃から立ち直れていない様子のオルリグに、バルバラが声をかけた。
「とても立派でしたよ、オルリグ。あなたの強くなろうとする意思は大変尊いものです。
目指すべき目標として、エイク様は余りにも遠いところにおられる方です。しかし、諦めずに力の限り励んでください。あなたには期待しています」
「ありがとうございます」
そう答えたオルリグだったが、それでもその心が晴れる事はなかった。
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