第47話 ファインド家の屋敷

 エイクが屋敷に着いた時、屋敷の引渡しは全て滞りなく終わっていた。

 エイクたちが今まで使っていた家から運ぶ荷物はそれほど多くはなかったし、シャムロック商会は事前にすっかり準備を整えていたからだ。


 エイクは1人でゆっくりと屋敷を見て回った。

 エイクはこの屋敷で生まれ、13歳まで育った。鍛錬に明け暮れるばかりの生活だったとはいえ、思い出はたくさん残っている。


 父がエイクの事を誇りだと語り、抱擁してくれた父の自室。

 それは、ちょうど4年前の事だった。


 鍛錬を行う場所になっていた中庭。

 父も何度もそこで鍛錬に付き合ってくれた。

 エイクはこの場所で、父の圧倒的な力強さと驚くべき精緻さを兼ね備えた剣技に憧れ、己の弱さに歯噛みして遮二無二鍛錬に励んだ。

 また、この場所は“伝道師”と何度も語らった場所でもある。


 その“伝道師”に食事を振舞ってもらった食堂。

 あの時の事は、今までのエイクの人生の中で最良の出来事の一つだった。


 シャムロック商会はこの屋敷にほとんど改装を施しておらず、家具なども概ねエイクがいた頃のままになっていて当時の面影は色濃く残っていた。

 エイクには、父の気配が感じられるような気さえした。

 廊下の先から父が現れるのではないか、そんな思いにかられた。

 だが、それがただの願望に過ぎない事も分かっていた。


 父の思い出は、寂しさと悲しみとなって、エイクの心を締め付けた。


 やがてエイクは、一通り屋敷の見回りを終えた。

(見た限りでは、おかしな仕掛けはされていないようだな)

 彼はそう判断した。

 彼がしっかりと屋敷を見て回ったのは、思い出や懐かしさに浸る為だけではなく、何らかの仕掛けが施されていないかを確認するという現実的な目的もあった。

 エイクはシャムロック商会やルーベン・シャムロックの事を必ずしも信用してはいなかった。


 といっても、エイクの罠察知能力が通用するのは主に屋外におけるものに限られ、屋内についてはそれほどは役に立たない。魔法的な仕掛けを感知することも出来ない。

 しかし、エイクには心から信頼できる斥候や魔法使いはいないので、完璧に安全を確保することは元より諦めるしかない。

 このことをエイクは既に割り切っていた。


 いちいち完璧な安全性まで求めていたら、全く身動きが出来なくなってしまう。

 今の自分に出来る限りの最善をつくしたならば、それ以上の事はとりあえずは諦めるしかない。そう思っていた。




 やがてエイクは、父の自室に戻ってきた。

 今後はこの部屋を自分の部屋として使うつもりだった。


(父さんは、今の俺を見たらどう思うだろう)

 エイクは自分のことを誇りだと言ってくれた父の事をまた思い出し、そんな事を考えた。

 彼なりの理由付けはあったとはいえ、何人もの女を犯し、盗賊ギルドと協力関係を築いている今のエイクは、悪人と呼ばれるべき存在だろう。

 父にまた誇りと言ってもらえるとは、とても思えなかった。


 もっとも、エイクが行っている程度の悪事は若き日のガイゼイクも行っていた事だ。エイクはそのことを他ならぬガイゼイク自身から聞かされて知っていた。

 だから、父は自分のことを棚にあげて怒ったりもしなかっただろう。とも、エイクは考えていた。


(まあ、それでも、今の俺が父さんが望んだ者とは程遠い存在になっているのは間違いないな。

 俺が父さんの後を継げば、父さんが喜ぶだろうというのも、本当だろう)

 エイクは近衛騎士隊長カールマン・ドゥーカスが語った言葉を思い出していた。


 実際、もしもガイゼイクが存命で、エイクが王国軍に仕官したならば、そして親子で活躍することが出来たならば、ガイゼイクはこれを手放しで喜んだだろう。

 ガイゼイクはそうなる事を誰よりも望んでいたはずだ。


 エイクは父と支えあって共に戦い、父と語り合う自分の姿を想像してしまっていた。

 それは、かつてエイクが、悲しいほどに切望していた理想の未来でもあった。


 だが、その未来は永遠に失われた。

 何者かの手によって奪われてしまったのだ。


 エイクは両手を握り締めた。その拳に込められる力は徐々に増し、ついには血が出んばかりに堅く握り締められた。そして改めて思った。


(俺は父さんの仇を必ず討つ。俺が仇を討ちたいからだ。他の理由で誤魔化すつもりはない。

 父さんの意思すら関係ない。

 俺は俺の意思に、俺の欲望に従って復仇を成し遂げる)

 それが、エイクの答えだった。


 確かに父は、エイクが復讐に拘るよりも、世の役に立つ存在になることを望むかも知れない。

 だがそれすら関係がない。


 エイクは自分が望むとおりに行動すると決めた。

 かつて、強くなりたいと願う事は自分の欲望に過ぎないと教えられ、それでもなお強くなる事を諦めないと決めた時。

 そして、多くの民衆の安全よりも自分が強くなる事を優先して、バフォメットとの戦い方を変えた時。

 その時既に、エイクは一線を踏み越えていた。


 それは、父が傾倒したハイファ神の教えに背を向ける道を歩むことを意味していた。

 エイクはそのことを自覚して、自らそれを選んだのだ。


(父さんとの約束もなかったことにするつもりはない。世の役に立つ存在になることも目指す。

 だがそれは神の教えとは関係ない。俺が父さんとの約束を守りたいと思うからそうするんだ。

 そして俺は今、その約束を守ることよりも、父さんの仇を討つ事の方を強く望んでいる。だから、そっちを優先する)

 エイクは、そうして自分の目的をもう一度確認した。




 しばしそうやって、己の決意と目的を確認して、エイクは気持ちを落ち着ける事が出来た。

 エイクは改めてこの屋敷に帰って来たということを実感していた。

(これは、一つの区切りとはいえるかな)

 そして、そう考えた。


 父の仇に関する情報は今のところ全く得られていない。

 しかし、仇を探す為の態勢は整いつつあると考えてよいだろう。

 少なくとも、資金や自分を補佐してくれる人材を得る事は出来た。


 ダグダロア信者の動きは気になるところだし、国の有力者達との関わりにも注意が必要だ。更に森に潜む魔法使いなどという全く想定外の相手からの接触は、エイクを困惑させていた。

 しかし、それらは父の復仇というエイクの目的の妨げになるものではない。むしろ手がかりや手づるとなる可能性もありえる。

 エイクは自分は確実に前に進んでいると思っていた。


(今のところ俺の邪魔になるのは、レイダーとかいう盗賊だけだ。だが、こいつも弾き飛ばしてしまえばいい)

 エイクは、邪魔な石ころを蹴り飛ばす程度の感覚でそう思った。


 エイクがレイダーの事をこれほど軽視しているのは、レイダーが一度は自分の前から悲鳴を上げて逃げ出した者であり、今も自分の事を恐れおののいているらしいからだ。

 そしてまた、レイダーが企んだエンリケらの襲撃を、いとも容易く撃退したという実績に基づく判断でもあった。

 だが、それでもなお、そこには慢心があった。

 そして、この時エイクは、己が慢心している事に気付いていなかったのだった。


 ――― 第2章 完 ―――

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