第19話 新生活
ガイゼイクの遺骸は無残という言葉も生ぬるい有様だった。それは破片と呼ぶべきものだった。
屋敷に戻ったのは、ほぼ中央から両断された頭部の右半分と右腕だけだったのだ。
一応は棺に入れられているが、棺はほとんどがらんどうだった。
エイクはその棺の傍らに立ち、ただ茫然と、半分になった父の顔を見つめた。
エイクは何も考えられず、感情を表すことすら出来なかった。彼の心が、現実を理解するのを拒否していた。
そんなエイクに、ガイゼイクの最期に立ち会ったという炎獅子隊の隊員が当時の状況を説明した。
「隊長と私たちは、5人で編成された分隊で索敵及び掃討任務に就いていました。通常の作戦行動です。
野伏の技能を持つ一人が先行し、他の者が後に続く隊形でした。
先行する隊員が大声で前から何かが来ると叫びました。
私たちが前を見ると、直ぐにそれを見つけることが出来ました。
それは、二つの首を持つ黒い虎に見えました。ただ、大きさは5mほどにもなり、背に蝙蝠のような羽が生えていました。そんな魔物はそれまで見たことも聞いたこともありませんでした。
それは5匹のヘルハウンドを引き連れて、すごい速さで近づいて来てきました。
私たちは先行する隊員と合流しようと全力で走りましたが間に合わず、彼はその魔物の爪の一撃で殺されました。目にもとまらぬ速さの、恐ろしく強力な一撃でした。
私たちはヘルハウンドの相手をするのがやっとで、隊長は一人でその恐るべき魔物と戦う形になってしまいました。
それでも隊長は優勢に戦っていました。
私はヘルハウンドと戦いながら隊長の方を気にしていましたが、隊長は確実に魔物に傷を負わせているようでした。
私がやっとヘルハウンドを倒して、隊長の援護に向かおうとした時の事でした。隊長が一瞬ふらつきました。何が原因だったのかは分かりません。
その瞬間、魔物は後ろ足で立ち上がり、左右の爪を猛烈な勢いで振るいました。
左爪の一撃が隊長の兜を弾き飛ばし、そこに右爪が襲い掛かりました。
ほとんど同時に隊長の剣も魔物の胸を貫きましたが、今一歩足りず、ほぼ真上から振るわれた魔物の右爪は隊長の頭と右腕を切り裂いていました。
しかし、魔物の胸の傷も深く、苦しげに呻くと隊長の体を咥え、巨大な羽を広げ何処かへ飛び去って行きました。
近隣にあのような魔物がいたのでは民はまともに暮らせません。
もし王都に襲い掛かってくる事があれば、何千人が犠牲になったか分かりません。
隊長は命を賭してあの魔物を撃退して、この国を守ってくれたんです。
隊長こそ、真の騎士です。
私は……」
そのギスカーという名の隊員は、尚も何かを言い募ろうとしたが、茫然自失のエイクの有様を見て口をつぐんだ。
そして「ご冥福をお祈りします」と言い残して去っていった。
エイクは、なおもしばらくの間、何も考えることが出来ず、ただ棺の傍らに立っていた。
やがてエイクは跪き、父の遺骸に手を伸ばし、半分だけになった父の顔に触れた。
父の骸は冷たかった。
先日の抱擁と、自分を誇りだと言ってくれたことが思い起こされた。
「父さん……」
エイクは、それ以上何も言葉を発する事が出来なかった。
父一人子一人の家族だった。
エイクは父の他に血縁者の存在を知らない。
それでも問題ないと思っていた。
母すらいないのは寂しかったが、偉大な父がいてくれれば耐えられた。
父は、粗暴で不器用だったが、エイクには常に真剣に向き合ってくれていた。
自分の人生を語って聞かせてくれた。母の思い出も教えてくれた。異常を来たしたエイクの為に最善を尽くしてくれた。
剣の鍛錬にも出来る限り付き合ってくれて、いつまでたっても弱いままのエイクをけして見捨てず、その実を結ばぬ努力を認め、誇りだとまで言ってくれた。
これからいろいろ話そうと、酒を酌み交わそうと言ってくれていたのに。これから父さんに褒めてもらえる人間に成ろうと思っていたのに。
もう、褒めてはもらえない。二度と、その声を聞くことも出来ない。
父は、自分を愛してくれた父は、いなくなってしまったのだ。
エイクの瞳から、涙が流れ落ちた。
そして、嗚咽が漏れる。
「ッ、うッ、父さん、父さん、何で……」
エイクは、溢れ出る涙と悲痛な思いを、抑えることが出来なかった。
―――エイクが声を押し殺して泣いている間にも、周りの者は淡々と動いていた。
戦神トゥーゲルの司祭の指揮の下、葬儀の日取りが決められ、遺骸も荼毘に付された。
死体がアンデッドに変ずる可能性があるこの世界では、火葬が一般的だ。
灰となった父は、本当に一握りでしかなかった。
エイクに出来たことは、父は母と供に埋葬されることを願っていると主張して、ハイファ神殿の墓地にある、母の墓の隣に埋葬してもらったことだけだった。
埋葬が終わると、ほとんどの参列者は直ぐに姿を消した。
ガイゼイクの従者や炎獅子隊の隊員の中には別れを惜しむ者もいたが、職務があるとの事でその場にとどまることを許されなかった。
使用人たちは、最下層からの成り上がりで粗暴な面があるガイゼイクを良く思っていない者が多く、さっさと居なくなっていた。
リーリアだけはエイクを心配し残ろうとしたが、仕事があると言われて使用人の長に連れて行かれた。
エイクだけが頭をたれ、いつまでも両親の墓の前に佇んでいた。
「心中お察し致します」
そんなエイクに背後から声が掛けられた。
エイクが振り返ると、質素な祭服を身に付けた60歳ほどに見える痩身の男が立っていた。この国のハイファ神殿を取りまとめる大司教のユリアヌスだった。その斜め後ろには20歳ばかりに見える女性の侍祭の姿も見える。
相当忙しいはずの大司教が、時間を作ってわざわざ来てくれたようだ。
普段は穏和さと威厳を同時に感じさせる容貌のユリアヌス大司教だったが、今は沈痛な表情を見せていた。
エイクはユリアヌスと面識があった。
隠れてハイファを信仰したいという、ある意味不信心なガイゼイクの行為を認めてくれたのがユリアヌスだった。
ユリアヌスによると、父や夫に信仰を強要されている婦人などが、秘かにそのようなことをするのは意外にあることなのだそうだ。
いずれにしてもガイゼイクはユリアヌスを通じて、人に知られることなく寄進を行ったりしており、エイクにもそのことを教えユリアヌスを紹介していた。
「ガイゼイク様は真に最強の名に恥じぬ戦士でした」
ユリアヌスはそう言うと、敬意を表するように右手を自らの胸にあて、墓に向かって頭を下げた。
そしてエイクの方に向き直って続ける。
「エイク殿、故人を思い悲しむのは当然のことです。
悲しみを忘れることも振り払う必要もありません。しかし、悲しみ故に歩みを止めることは、故人も喜ばないでしょう」
「分かっています」
そう答えるエイクの顔には、今まで見られなかった深い影が刻み込まれていた。
その表情に思うところもあったユリアヌスだが、今は多くを語るべきではないと考え、「困ったことがあったら何でも言って来てください。出来る限りお力になります」とだけ告げた。
「大司教様」
後ろに控えていた女性の侍祭が、静かにユリアヌスに声をかける。
ユリアヌスは侍祭に向かって小さくうなずく。
「所要もあるので、失礼いたします」
そして、エイクにそう告げて去っていった。
エイクは尚もしばらく両親の墓から離れることが出来ず、彼が屋敷に戻ったのは、日が暮れてからだった。
その後数日して、エイクに更なる苦難が襲った。
ガイゼイクに借金を踏み倒されたと主張する商人や、賃金が支払われていないと言い立てる使用人が多数現れたのだ。
それらはどれもこれも信用し難いものばかりだった。
少なくとも確実な証拠がある物は一つもなく、それどころか辻褄が合わないものや、細かく問い詰めると主張が二転三転するものすら存在した。
明らかに虚偽の申し出だった。それもお粗末な虚偽だ。以前から周到に準備されていたようなものではない。
はっきり言えば、ガイゼイクが死んだ後で、急に思い立ってでっち上げたような、辻褄合わせさえしっかりしていない適当なものだったのだ。
ところが、個人の間の係争を裁く裁判院や、貴族の不当行為の審議や取締りを司る大審院は、その全てを事実と認め、ガイゼイクの財産は次々と差し押さえられていった。
エイクは断固として抗議した。
財産云々よりも父の名誉が傷つけられることが許せなかった。
ガイゼイクは少なくとも国に仕えるようになった後は誠実に職務を遂行し、いくつもの戦で戦った。
彼の活躍が勝利に貢献した戦も少なくない。救国の英雄の呼び名はけして誇張ではなかった。
その最期も職務の中での事であり、国にその身を奉げたとさえいえた。
その父が、虚偽の申し立てで死後に罪人扱いされるなどあってよいことではない。
しかし、13歳の少年、それも今までの人生のほとんど全てを剣の鍛錬に費やしてきた世間知らずの少年に過ぎないエイクは、法的な闘争において全くの無力だった。
彼の必死の訴えは全て無視された。
彼の力になろうとしてくれる者も幾人かはいたが、そのような動きは全く省みられなかった。
先日困ったことがあったら相談するように言ってくれたユリアヌス大司教にも支援を頼んだが、国との自主独立を原則とする教団には、仮にも貴族であったガイゼイクの権利関係に口出しすることは出来ず、まるで役に立たなかった。
エイクは深く失望した。
ガイゼイク愛用の業物の武器防具も次々取り上げられ、残ったのはガイゼイクが初めてオーダーメイドで作ったということで、記念に保管していた何の変哲もないバスタードソードだけだった。
他の品々もほとんどが失われ、エイクに残されたのは母の形見として父が所持していたペンダントと、他にほんの少しの物品だけだった。
そして屋敷からも追い出された。
そんなエイクに、使用人の長を勤めていた男が、住処と働き口を用意してくれた。
男はせめてもの恩返しなどと口にしていたが、これも善意からの行動とは思えなかった。
住処というのは、廃墟区域にある空き家のひとつであり、働き口というのはある冒険者の店への所属だったが、どちらも良好なものとは言えなかったからだ。
アストゥーリア王国の王都アイラナは、かつて王国が大いに繁栄していた頃から比べると衰退著しく、人口も大きく減っていた。その為、居住者が極端に少ない区域が発生していた。
十年以上前に、治安の観点からそのような区域の住民はまとまって住むようにされ、居住区域と非居住区域に分けられた。
非居住区域は住民が存在しなくなり、当然経済活動も一切行われない為、物乞いすら寄り付かず、廃墟区域と呼ばれていた。
その廃墟区域にある、かろうじて人が住める程度の家を、エイクが使うことが認められたのだという。
しかし、特別に認められた以上、他の場所に住むことは許されない。などという理不尽な条件がついていた。
冒険者の店、あるいは冒険者の宿と呼ばれるものは、依頼人と冒険者を仲介する存在である。
かつて冒険者が遺跡荒らしなどとも呼ばれていた時代、彼らはお互いに情報を交換する目的で、特定の飲み屋や宿を利用することが多かった。そうした場所には、彼らに仕事を依頼したい者も訪れた。
店の主人がその両者を仲介するようになったのが冒険者の店の起源である。
現在では一つの業として成立しており、一般に一つの都市の中にある冒険者の店は、互いに連携して事実上の
結果、今やいずれかの冒険者の店に属さない者は冒険者とは見なされず、まともな仕事にはありつけない。
冒険者の店は属する冒険者にエンブレムを配布しており、それを身に着けていれば冒険者と認められ、市中で武装していても咎められることはないが、エンブレムを身につけていない者は無職の無頼者と見なされ取締りの対象にすらなった。
冒険者として働くことはエイクにとって望むところだったが、勝手に所属することとなったと言われた冒険者の店での扱いは酷いものだった。
まず、エイクはまともに戦うことすら出来ない者とされ、見習いという立場におかれ、ある冒険者パーティの指導を受けることとされた。
そのような扱いは以前から戦士として役に立たないと評価されていた以上、やむを得ないことだったかもしれない。
しかしそれにしても、店主や、指導者役となったパーティ――双剣使いの若き剣士をリーダーとした“夜明けの翼”という名の若手の有力パーティ――のエイクへの態度は、余りにも侮蔑的で悪意に満ちたものだった。
そして、見習いとはいえ一つの冒険者の店に属した以上、他の店に移籍したり他の職を選ぶことは認められないと告げられた。
実際、冒険者の店が事実上の
少なくとも店同士の調整は必要で、まともに戦えないエイクを、面倒な調整をしてまで引き取ろうとする店など存在するはずもなく、冒険者として働くならばこの店に属し続けるしかないのは事実だった。
エイクは父が死んだ後の一連の出来事に、明白な悪意の存在を感じていた。
“夜明けの翼”の面々は、最初エイクを雑用に使おうとしたが、直ぐに体力が尽き荷物運びすら満足にこなせない彼の有様に辟易し、散々罵り暴行さえ加えた。
エイクは彼らと交渉して自分が得た金の3分の2を指導料として上納するという条件で、一人で狩りを行うことを許すよう提案した。
ストレス発散用に殴るよりもその方が実益があると考えたのか、この提案は認められた。
こうして、エイクの新しい生活が始まった。
それは、明らかに割りの合わない報酬を対価としつつ、妖魔を狩って生計を立てるというものだった。
しかし、エイクはこれ以上待遇の改善を求めようとはしなかった。そんな暇はないと思っていた。
エイクが不利な条件を承知で、一人で狩りを行えるように動いたのは、それが鍛錬にもなると考えたからだ。
エイクは強くなる事を全く諦めていなかった。むしろ、その渇望は今まで以上に強く狂おしいものになっている。
エイクは父の復仇を誓っていた。
父を殺した魔物はまだ生きている。必ずこれを討つ。
そして父を貶めた者たちも決して許さない。
しかし、ゴブリン1匹を倒すことすらやっとのエイクにとって、その目標は余りにも遠かった。
今や片時も鍛錬を疎かにすることは出来ない。
自分の待遇を良くする為に何らかの行動をとることなど、彼には時間の無駄としか思えなかった。
ただ、父に対する不当な行いや、日々彼に加えられる過剰な蔑みや暴行は、彼の中に強烈な憎悪を生じさせ、それを蓄積させた。
(いつか奴らを皆殺しにしてやる)
そんな暗い情念がエイクの心にこびりついた。
心に暗い憎悪と復讐の炎を燃やしながら、ただひたすら強くなる為だけに邁進する。
それがエイクの新たな日常となった。
―――そして約4年の歳月が流れた。
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