コリンナは無限地獄の中、勇者の帰還を待つ。
一人当たりの強さが百の騎士にも相当する七十の悪魔の群れを、一瞬で無に帰した神の雷から受けた衝撃は、白猫の悪魔カチューシャの心胆を寒からしめてみせた。
「い、一体何が起こったのかにゃ〜」
戦々恐々と背後を振り返り、今は亡き手下たちがいた場所を愕然と見詰めている。
先程までの余裕は露と消え失せ。
顔色を蒼白に尻尾を丸めてプルプルと震えている。
悪魔とは魔力の塊、魔力で肉体を構築している精神生命体である。
頭を飛ばされたとしても残存する魔力が有る限りは、復元して元通りである。
直ぐに死んでしまう人類よりも優れた存在であり、膨大な魔力量だけでなく魔法の技術にも絶対の自信がある。
故に、魔力に、魔法に優れているが故に、理解させられた。
普通の雷などでは悪魔は滅びない。消し炭となったところで直ぐに復元する筈だ。
しかし、手下たちはチリ一つ残らずに消滅した。
碌な抵抗も出来ずに、復元する事も叶わない。
それは遥か格上の、神の領域に至る者、超越者による所業だ。
異次元の大魔法を目にしたカチューシャは動揺を隠せない。
「っ!」
その震える白猫から二十間ほどの離れた地点、コリンナの目がギラリと光る。
――隙ありですよ!
獅子奮迅に舞う中、コリンナはカチューシャを注視していた。
眷属を生み出している元凶である。
何処かでコイツを止めなければ、そう考えていた。
その親玉が隙をみせているのだ。
ならば躊躇する理由などはない。
「えいっ!」
半円を描く横薙ぎの一閃。
前方百八十度の眷属をまとめて撃墜して、ひとまずの時を稼ぐと。
「むん」
瞬時に練り上げた魔力を聖女の杖に纏わせ、その先端を隙だらけの白猫へと向けて果敢に吠える。
「【
ピシューンと、レーザービームの如く放たれた聖なる光は、群がる白猫の眷属たちをまとめて貫き、そのままカチューシャ目掛けて一直線に伸びていく。
「っ!」
間一髪。
カチューシャは身を捩り、ギリギリで回避する。
「油断したにゃ」
続け様に腕をぐるぐると回して大きな声を張り上げた。
「全員戻るにゃ!
牛頭、馬頭!お前たちもにゃ〜!」
「っ!」
ザザザと潮目が引くように、猫型が脱兎の如くカチューシャの下へとひた走る。
数は二十余りか。
「「ブオオオオ!!」」
牛頭と馬頭は大斧をブーンと力一杯に振るい、纏わりついていた牙狼をまとめて退かせて、警戒しながら後退する。
「ハズレましたか」
残念そうに呟いた指揮官の少女は、直ぐに顔を上げて、未だ幼い声を張りあげた。
「皆さん集合です!コチラも一旦、態勢を整えましょう!」
「応よ!」
牙狼十人、コリンナの下へと集結する。
コリンナを中心に前方にリリー、左右に牙狼の五名ずつという布陣を組み上げる。
対するカチューシャは牛馬の悪魔を左右に従え、その周りに眷属の群れが取り囲む形となる。
両陣営の距離は十間と離れて、此処で水入り、一旦仕切り直しだ。
「やるにゃあ人間。
吾輩は直接戦闘するのは苦手なんだにゃ。
魔を滅する聖にゃる光か。
喰らっていたら、死にはしにゃいが、痛かったはずだにゃ。だから―――」
そこで区切ると、カチューシャは薄笑いを消した。
無だ。
色のない表情のまま、一段と低く、苛立ちを込めた声で平坦に続ける。
「本気でいくにゃ」
パチーン!
ラウンド2開始となる両の指を盛大に打ち鳴らした。
「っ!」
咄嗟に身構えるコリンナ陣営の面々。
その周囲に召喚される再びの眷属たち。
恐ろしい数がニョキニョキと生えてくる。
群れ、群れ、群れ、群れ、群れ。
それは最早軍勢である。
全方位にぐるりと三百六十度。
見渡す限りの白猫の群れが隙間なく生えてくる。
その数、あっという間に五百にまで到達し、それでも尚、終わらないし止まらない。
逃げ場など無く、敵陣真っ只中のど真ん中。
この場は完全なる死地へと成り下がった。
「皆さん!」
しかし若き指揮官は諦めないし悲観もせずに顔を上げる。
未だ幼く可愛らしいが、しかし、覇気のある面持ちで力強く叫んだ。
「ここからです!私を中心に、円陣を組みましょう!」
「おう!」
「私が必ず回復させます!」
「おう!」
「全員、死なせません!」
「おう!」
「お兄様たちの帰還まで何としても生き延びましょう!」
「おうよ!」
コリンナを中心とした円陣を組んで迎え撃つ。
「にゃははは」
その様子を乾いた笑いで見詰めるカチューシャ。
防御陣形の完成を見届けると、静かに号令をかけた。
「者ども、行くにゃ。
さぁ、人間たちよ。
せいぜい抗ってみせるにゃ」
ザザザザザザザザザザザザザ
白猫の群れが一斉に動く。
猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫。
全方位からの殺到が次々と訪れる。
――お兄様。
かくて、勇者を待つコリンナたちの無限地獄が始まってしまった。
◇◇◇◇◇
その頃、希望の星、悪魔の結界に囚われている勇者ジークハルトは。
「うおおおお!」
激闘の真っ只中にあった。
そこは薄暗い深い海の底のような空間で、息苦しくて動きづらい、まるで水の中に居るような、そんな世界だった。
◆◆◆◆◆
囚われた直後まで時間を巻き戻す。
目の前に姿を見せたのは、背の高いスレンダーな女だった。
体温を感じさせない青白い肌に、透ける程に薄い白のワンピースを纏う凍える眼差しをした美女。
腰まで伸びた漆黒の黒髪に、頭には捻れた悪魔のツノが二本生えている。
「フフフ」
広げた扇子を口元に当てて薄く笑い、ジークを見詰めている。
「お前は何者だ?」
ジークは聖剣を構えたまま問いかける。
「悪魔なのか?」
女は扇子で口元を隠しながら素直に応じる。
「妾の名はレヴィアタン。海を司る悪魔よ」
「そうか、ここから出して欲しいのだが?」
「ククク、勇ましいのう。流石は勇者か。
ならば力を示せ。妾を倒せば此処から出れる」
「そうか、ならば押し通る!」
ジークは一足跳びで距離を詰めると、そのまま上段からの振り下ろしに一閃とする。
「喰らえ!」
女は抵抗もなくそのまま両断されて、ボフンと煙となって霧散した。
「………。」
呆気ない。コレが悪魔なのか?
聖剣を両手持ちの中段構えのまま警戒は緩めない。
油断などはしない。
相手は悪魔だ。
こんなもので終わったとはとても思えない。
「ククク」
頭上から聞こえてきたのは、あの女が喉を鳴らす音だった。
「それが本性か」
見上げると、その女が姿を変えていた。
全長十メートルは優に越える真っ青な大蛇だ。
全身に黒い瘴気を漂わせて、口元から鋭い牙を覗かせている。
「クックック、そうじゃ。これが妾の本性じゃ」
大蛇は前方二十メートルというところにズズンと着地、そして舌をチロチロと出し入れしながら続ける。
「さぁ、此処からが本番じゃ。妾を楽しませてみせよ」
言って、顎門を大きく開いた。
大きくのけ反り、息を吸い込むような仕草。
開いた口奥には、黒い魔力が収束されていき―――発射。
瘴気を纏う黒い弾丸が一直線に放たれた。
「シッ!」
ジークはそれを横薙ぎに一閃して蹴散らし前へと踏み込む。
レヴィアタンは顎門を開いたまま、次々と弾丸を発射する。
その数、一瞬で十を越え、
逃げ場の無い、回避不能の弾幕となり得る。
「っ!」――被弾するのは覚悟の上。
ジークは回避を諦めると勢いをそのままに、ダメージ覚悟で一直線に突き進む。
ドドドドドド!
都合六発の被弾に、ジークは黒煙に巻かれて姿を消失。
次の瞬間、その黒煙の中から勇ましい声が。
「聖剣アクアよ!我に力を!」
飛び出して来たのは、金色の魔力を纏いし勇者の姿。
ダメージは確かにある。血に塗れた貌がそれを示している。
しかし、怯まずに加速しながら果敢な面持ちで吠えた。
「おおおおおお!!」
距離を一瞬で溶かし、両の手で握る聖剣を突き出したままに。
「【聖・魔滅剣】!」
見事、大きく開いた顎門ごと貫いてのけた。
ザシュッ!
両雄背中合わせとなる。
ジークの背後には首無しの大蛇の姿。
しかし。
頭は直ぐに復元して元の姿へと戻ってしまう。
「チッ」
すかさず舌打ちして距離を取るジーク。
「ククク」
なんて事のない、ダメージなど無かったかのように、レヴィアタンは余裕で口を開く。
「我ら悪魔は魔力で出来ている。
残存する魔力ごと滅しない限り、悪魔は滅びないのじゃ」
「そうか」
「この程度の威力では、百回喰らったところで妾は滅びぬよ」
「なるほど、把握した。ならばこちらも全力を尽くそう」
三年前の不死の魔王と対峙した時は、今の段階の強さでも十分だった。
聖女に剣聖に大魔法使いに凄腕の女シーフ。
頼れる仲間たちがいたのだから。
全力を出す必要も無く、無事に討伐を遂げてみせた。
しかし分断された今は一人。
しかもこの場は悪魔の結界の中につき完全にアウェー。
そして、この大悪魔は不死の魔王よりも強い。
ならば出し惜しみなどする必要はない。
――出来ればこの状態で勝ちたかったが、やむを得ない。
女神の加護とは、ただ恩恵を受けるだけではなく、デメリットも存在する。
強大な力は脆弱な人の身には余るというもの。
肉体は元より、魂にも負荷がかかり、場合によっては寿命が削られてしまうのだ。
大悪魔レヴィアタンは想像以上に強い。
そしてこの結界は悪魔の力を増幅させているようである。
ジークはこのままでは分が悪いと、全力を出す覚悟を決めた。
「聖剣アークよ。此処に顕現せよ」
目の前。
黒い魔力が渦を巻いて顕現する。
そこに右の手を入れて、勢いよく引き抜くと、刀身が黒曜に煌めく一振りの剣が握られていた。
闇の女神アークの加護を宿した聖剣アークである。
「女神アークよ、力を貸してくれ!」
握るアークから女神パワーが注がれていき、瞬く間にポンプアップが完了を遂げる。
ジークの纏う魔力が二種となり、水を示す青と闇を表す黒が交互の煌めきを始める。
「さぁ、ここからが本番だ」
女神パワーが二倍となり、勇者本域の力を手に入れたジークハルト。
左右の聖剣を十字重ねに、腰を入れたイカしたポーズで決める。
「行くぞ、大悪魔レヴィアタン」
その一部始終を邪魔する事なく、黙って眺めていた海の悪魔レヴィアタン、愉快げに喉を鳴らして応える。
「ククククク」
膨れ上がった女神の威光を前にしても、微塵も怯まずに堂々と告げる。
「せいぜい抗ってみせよ、人間の勇者よ」
魔王を超える存在である大悪魔、その余裕はチリほどにも揺るがない。
かくて、死闘の幕が上がった。
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