蒼い三日月、それは何よりも誇らしい魔法。



「ねぇリューク、もう一回見せてよ」


「えー、しょうがないな。

 いくよ、【雷刃】!」


「わああ、凄い綺麗。もう一回」


「ただの初級魔法だよ。大した威力は無いしね」


「あらそうなの?でもコレが一番綺麗よ。

 この蒼い三日月が私の一番のお気に入りになったわ」


「そうなの?」


「うん、だからもう一回やってよ」


「しょうがないなぁ。【雷刃】!」


「あ、さっきの方が綺麗だった」


「えー?そうかな?」


「もう一回やってよ」


「えー?」


 コレは、とある血の繋がらない姉弟の、些細だが、とても大切な思い出の一節である。


 ◆◆◆◆◆


 剣聖リュウキの弟、大魔導士リューク。

 彼もまた勇者パーティの一員である。

 魔力に優れた彼は、幼い頃から神官としての素質を見出されていたが、兄であるリュウキがアニエスを守るべくして剣聖への道を選んだ事から、彼もまたアニエスを守る為に魔法使いとなる道を選んだ。

 神官と聖女は共に回復魔法に秀でている。

 次期大聖女に選ばれるようなアニエスだ。

 それは国で一番という事を意味する。

 回復職ではとても越えられないと悟り、魔法使いへの転職を決意した。

 攻撃魔法ならば負けない。

 アニエスに立ち塞がる敵を吹き飛ばしてやる。

 その一心で修行に励んだ。

 魔術の才に恵まれていた彼は、恐るべきスピードで上達し、遂には神聖国一の魔法使いとなった。

 そして、兄である剣聖リュウキが勇者パーティに入った事をきっかけに、自らも名乗り出て参入を果たした。



 ◇◇◇◇◇


 リュークは真っ暗闇の中に居た。

 風一つない無風状態で、まるで宇宙空間のような世界。

 頭上には見事な満月が、暗闇の世界を照らす月光を降り注いでいる。


「ハッハッハッハ!」


 その満月と重なるようにして、一人の大男が宙に浮いていた。

 黒いローブ姿でフードを深く被り、額には一本の捻れた悪魔のツノが聳り立つ。

 イカつい感じで腕を組み、なんとも邪悪な容貌で、リュークを見下ろしている。


 ――デカいな。アレが悪魔か。圧倒的な魔力を感じる。正に化け物といったところか。


 身の丈は三メートルを越えるくらいか。

 袖から覗かせる太い腕に装着したゴツい籠手が物々しさを強調している。

 周囲に闇の魔力をゆっくりと漂わせるその姿がなんとも禍々しく、三年前に対峙した魔王以上の脅威度を肌で感じ取る。


「よお、人族の魔法使い」


 野太い声で、太々しい態度。

 その眼光は見下している色を見せる。


「お前が魔王なのか?」


「あー?違うな、まぁいい。

 俺の名は星を司る悪魔グリュエルド」


「……。」


 なんだと。これで魔王ではなく、コイツ以上に強いのがまだいるというのか?


「ここは通称悪魔の世界という、まぁ簡単に言えば俺の結界の中だ。

 ここから出たければ俺を倒してみろ、人間」


「なるほど、単純明快だな」


 ふぅと息を吐いて、まずは気を落ち着かせる。

 冷静になれ、まだ魔王がいるのだ。

 ここで死ぬ訳にはいかない。


「やるしかないか」


 リュークは覚悟を決めると、魔導士の杖を構えて、魔力を練り始めた。


「ハッハッハッハ!」


 グリュエルドが獰猛に歯を剥いて告げる。


「さぁ、やり合おうぜ!」


 ガキンと左右の拳を叩きつけて、いざ開戦と相成る。


 初手はリューク。 

 グリュエルドは腕を組み、ニヤニヤと待ちの姿勢を見せる。


 頭の中で、四つの魔法を思い浮かべる。


 リュークの目の前に、四つの魔法陣が構築された。

 パチパチと、蒼い雷閃が小さくスパークする。


「遠慮なくいくぞ」


 杖を勢いよく振るって告げる。


「【雷槍】!」


 四本の雷の槍が魔法陣から顕現を果たし、ミサイルの如く発射される。

 バリバリと、空気を切り裂きながらグリュエルドを強襲する。


「ふんっ!」


 なんとも雑に。

 腕を振るうだけで、最(いと)もあっさりと、まとめて撃墜されてしまった。


「ハッハッハ。弱いなぁ」


 邪悪に歯を剥いて笑うグリュエルド。


「じゃあ次は、こっちの番だなぁ」


 そう告げるやいなや。

 既に。

 お返しにと、四本の黒い槍が発射されていた。


 余りの発動の早さに、リュークがギョッと目を剥いた。


「っ!」


 ――早い、発動が早すぎるだろ。


 通常、魔法とは、魔法陣を構築して、練り上げた魔力を注ぎ、そして発動するという、三手の工程を必要とする。

 しかし、今のグリュエルドは一手。

 こっちの番だと言った瞬間には既に発射されていた。

 魔法が発現する時に発生する、魔法陣特有の魔力の揺らぎすらも無く、息を吐くようにして魔法を使ってみせたのだ。


 コレが種族の違いなのか。とりあえずは防御を。


「【土壁】!」


 間一髪。防御する事に成功する。

 大きな土壁が構築されて、黒槍をまとめて防いでみせた。

 リュークは魔法を放った直後には、この防御壁の準備を進めていた。

 通例として、魔法使いは身体能力がそれほど高くはない。

 その為に、回避するよりも防御障壁を張って防ぐのが基本的な戦術となる。

 リュークも魔力には優れていたが例に漏れずに身体能力は並である。


「はっはっはっはっはー。

 なんだ、その顔は。

 まだ始まったばかりだぜ。

 どんどん来いよ。

 目の前の絶望に抗ってみせろや。

 はっはっはっはっはー」


「ち」


 なんて性格の悪い奴だと、リュークは舌打ちした。



 ◆◆◆◆◆


 兄であるリュウキがサムライの弟子となり、修行の旅に出る直前の出来事。


「兄さん」


 どうしても聞きたい事がある。

 何故、急に強くなりたいなんて言い出したのか。

 穏やかで、あんなにも平和主義者だったのに。

 まさか。

 兄さんも僕と一緒なのだろうか。


「何?」


「兄さんは、アニエスが好きなの?」


「好きだよ」


 微塵も迷いなく言い切ったその言葉に、この上なく動揺する。

 しかし誰よりも優しい兄なら、それも仕方がないと、思い切ってストレートに聞いてみた。


「じゃあ結婚するの?」


 リュウキはフッと苦笑してから続ける。


「何を言うんだ。しないよ。する訳がない」


 はにかみながら、ゆるゆると首を振る兄にホッとする。


「アニエスは大好きだけど、それは家族としてだよ。

 異性として見れる訳がない。

 姉と弟の関係は、これからもずっと揺るがないよ。

 それは、アニエスも同じ思いのはずだ。

 結婚なんて、とてもじゃないけど考えられない」


「そ、そう」


「ただ、そうだな。

 恩を返したいんだ」


「恩返し?」


「そう、恩返しだ。

 今までは守ってもらうばかりだったから。

 力を手に出来るとわかった今は、弟として守ってあげたい、そう思っただけだよ」


「そうなんだ」


 ならば僕の気持ちを聞いてくれ。


「じゃあ、僕がアニエスをお嫁さんにしても祝福してくれる?」


「それはもちろんだ。

 アニエスが望んだのなら、喜んで祝福するよ」


「わかった。約束ね」


「ああ、応援するよ」


「ありがとう。僕、頑張ってアニエスを守れる魔法使いになるよ」


「じゃあ、俺は姉を守れる剣聖でも目指すかな」


 後押しされた言葉に無敵になれた気がして、魔法の修行も全然辛くなかった。


 そして、時が経つ。


 大人となり、勇者パーティに初めて姉兄弟が揃った夜の出来事。

 姉兄弟水入らずと気を使われて、三人だけの夕食となる。


「聞いてよ、弟たちよ」


 開口一番、アニエスは立ち上がり、頬を染めて言った。


「私、恋をしたみたいなのよ」


「え?」


 兄弟の目が点になった。


「は?」


 その後、詳しく。

 アニエスから勇者ジークが好きだと明かされた二人は、兄は苦笑いで、弟は男泣きをしながらも応援する運びとなった。

 アニエス大好きな二人は、何の疑うこともなく、ジークもアニエスが好きなんだろうなぁ、そして、このまま結ばれるだろう、そんな予感がしていた。

 しかし真面目なジークは魔王討伐を第一としていた為、誰にも自分の気持ちを告げる事は無かったが。


 しかして二人の予感は的中する。


「アニエス、結婚してくれ」


「はい」


 魔王を討伐した後。

 勇者ジークがアニエスに告白して結婚する事が決まったところで、リュークの初恋は終わりを告げた。


 ◇◇◇◇◇


 一時間が経過する。


「ハッハッハッハッハッ!」


 豪快に笑う余裕のグリュエルドに対して、肩で荒い息を繰り返すリューク。

 その面差しは悲壮感に苛まれていた。


「はぁはぁはぁはぁ」


 もう何度目の攻防だろうか?

 リュークの魔法をグリュエルドが防ぎ、グリュエルドの魔法をリュークが防ぐ。

 その繰り返しだ。

 グリュエルドは全くの無傷、魔力も十全に残っている。

 対するリュークは、まさに満身創痍だった。

 全身傷だらけで出血も多量、魔力も三分の一を切り、意識も混濁してきた。

 全ての魔法が簡単に防がれ、肉体にまで到達出来ずにいた。

 リュークは天才だ。

 魔法陣を五つまで同時に展開して、好きな時に発動する事が出来る。

 遠隔で操作して離れたところからも発動する事が可能だ。

 敵を囲むようにセットして、全方位からの攻撃なんて事も出来る。


 しかし、それはあくまでも人族の中では優秀、ということだった。

 魔法の得意な魔族にはリューククラスはゴロゴロとしているし、相手はその魔族の始祖たる悪魔だ。

 それも上位の存在の大悪魔である。

 肉体スペックが圧倒的に違っている。魔力においては十倍にまで及んでいた。


 ――どうしても防御を突破出来ない。


 理由は明白だ。

 圧倒的な火力不足に尽きる。

 腕の一振りで全てが散らされてしまう。

 膨大な魔力量による防御障壁が鉄壁過ぎて、突破する事が出来ない。

 グリュエルドはリュークの魔法と全く同じ威力のモノを返してくる。

 嬲るように、楽しむように、まるで遊戯をするかのように追い込んでくる。

 このままでは間違いなく負けて死ぬ。


 ――負けたらどうせ死ぬのだ。ならば命を賭ける。


 それは天啓なのか、死の覚悟を持った途端に閃く。

 生存本能が働いた結果、今までの魔法研究で積み上げた経験が此処で花開く。


 足りないのならば重ねれば良い。

 五個では全然ダメだ。

 今、此処で、限界を超えるのだ。

 出来るだけ、可能な限り。

 頭の中で、超がつくほどの超高速で築き上げる。


 ツーと、一筋の鼻血が垂れ始め、コメカミの血管がプチプチと切れた。


「ゴフッ」


 小さく咳き込む、その口端からは血がこぼれ落ちる。

 此処が限界のギリギリ。

 これ以上は頭の回線が焼き切れてブラックアウトしてしまう。


 その限界ギリギリを迎えた頭の中。

 描き上げた魔法陣は十にまで成った。

 その全てが同じ出力で構築した、一ミリの狂いのない見事な幾何学模様だ。

 それは、これまでの弛まぬ研鑽の成果だった。

 アニエスに何度もせがまれて磨きあげた精密な技術。

 如何に綺麗な三日月を作り上げるかと、何百も、何千も、何万回も繰り返して研究したその果ての結果。

 それが今、この土壇場で結実する。

 十の魔法陣を寸分違わずに重ね合わせた。

 まるで一つに融合したかのように完成する。

 これで、威力が格段に跳ね上がる筈だ。

 これが研究の果てに導き出した答えである。

 単純に十倍ではなく、百倍となる計算だ。

 そしてそれは、自身の中で、刻一刻と跳ね上がっていく魔法陣の魔力をもってして、その答えが合っていると確信する。

 ここに、残存する全ての魔力をブチ込んでやる。

 全てを、意識が飛ぶ寸前のガス欠となるまで。

 防がれたらどうせ死ぬのだ。

 後の事など考えない。


「お、おお」


 その結果。

 未だかつてない、とんでもない手応えを感じ取る。

 しかし、肉体が限界なのか、血の涙と鼻血が止めどなく溢れ出した。

 

「まだだ」


 そう、まだだ。

 これでも、大悪魔の防御障壁を突破するのには、未だ足りていない。

 そこで、奥の手。

 生命力を使用するのだ。

 兄から教わった氣という南の島国の秘術だ。

 練習しておいて良かった。

 コレが無ければ完全に詰んでいた。

 それを一息で練り上げて、これで準備は完了とする。

 後は発現するだけだ。

 選んだ属性はもちろん雷。  

 アニエスに綺麗と褒められた誇らしい魔法だ。


「どうした人間。早くしろよ」


 腕を組み、挑発するグリュエルド。

 ニヤニヤと馬鹿にするような笑みを向けてくる。


「もう、しばし、待て」


 幸い奴はこちらを舐めている。

 攻撃を受け止めて、やり返すという繰り返しだ。

 今回も避けるつもりはないだろう。

 ならば今、命を燃やして、その全てをぶつけてやる。


「限界までいくぞ!」


「はっはっは。早く来いや」


 舐めた視線を向けてくる悪魔に、乾坤一擲となる魔導士の杖を向ける。

 その先端部分。

 十の魔法陣が一つに重なって浮かび上がった。


「おおおおおおおお!」


 勇ましく吠えながら、最後の仕上げに取り掛かる。

 目の前の魔法陣へと、練り上げた氣を惜しげもなく注ぎ込む。

 ほぼ全生命力だ。

 心臓が痛みでどうにかなりそうだ。

 命を削っているというのがわかる、そんな痛みに、奥の歯をギリギリと噛み締める。

 魔力と氣がグルグルと混ざり合い、渦を巻きながら膨張していく。


 バチ!バチバチ!バチバチバチバチ!


 薄暗い月明かりだけの世界の下、蒼い閃雷が音を立てて顕現を果たした。

 蒼白の煌めきが明滅を繰り返し、その輝きを徐々に強めていく。

 それはまるで、噴き上がる花火のようにして迸り、

 エキセントリックなその瞬きが、最高潮を迎えたその時。


「喰らえっ」


 命を賭した発動のトリガーが引かれた。


「【雷刃】!」


 目も眩む明滅の最中。

 放たれたのは雷で構築した蒼い三日月。

 アニエスに綺麗と言わしめた見事なクレッセントムーンである。

 それは、見事、見事に、ムカつく大悪魔の予想を超えてみせた。


「お?」


 間抜け面を晒したグリュエルドの太い首元を、スルリと、なんともあっさりと通過してみせたのだ。

 大悪魔が誇る魔力障壁を、脆弱な人族が打ち破った瞬間である。

 これは歴史的快挙と言える。

 大悪魔の魔力障壁は、防御力もさることながら、恐るべしはその特性、魔法攻撃を吸収してしまうのだ。

 それをリュークは魔法で打ち破ったのだ。

 それは他種族を含めても、人類では初めてのことであった。

 それは偶然なのか、はたまた必然であったのか。

 この上なく高めた魔法に、氣という生命力を融合した事で、その威力は十倍にまで跳ね上がっていたのだ。

 奇しくもこの事が、人族が進化するきっかけとなるのは、もう少しだけ先のお話しである。


「グッ、馬鹿、な。

 こんな、初級魔法が、我が魔力障壁を、撃ち破る、とは」


 震える太い首筋に一本の線が走り抜け。


「信じ、られん。見事、だ。人族の魔法使い、よ」


 震え声でそう言うと、ゴトリとその首が落ちる。


「………か、勝ったのか?」


 首無しの身体は仁王立ちのまま。

 その足下。

 驚愕を浮かべる生首が、コロコロと転がる。


「グッ」


 リュークはそれを確かめた後、ガクリと力尽きたように片膝を付いた。

 顔面は蒼白で、震える手を見詰めながら自身の状態を確かめる。


 魔力は底をついた。

 体力はおろか、生命力も心許ない。

 寿命が縮まり、あと三年も生きることは出来ないだろう。

 まさに瀕死の状態。

 気を失わないのが不思議なくらいだ。

 だが勝った。

 恐ろしい強さだった。

 もう一度やれと言われても真っ平ごめんである。

 間違いなく負けると確信している。

 ともかく、何とか倒したのだ。

 ならばこの結界も解除されるはず。

 早く仲間と合流して魔王を倒す、死ぬのはその後で良い。


 意識を失わないよう気持ちを強くして、その時を待つ。


「………。」


 しかし、黒い闇の世界は晴れなかった。

 それは未だ倒していないという事を意味する。

 心に絶望の闇がさし込んでくる。


 ふと、落ちている生首に目をやる。


「クックック」


 その生首が喉を鳴らした。


「勝ったと思ったのか?人間」


 ニィィと口端を吊り上げた、なんたる邪悪な笑み。


「やはり、か」


 首を落としたくらいでは死なないと。

 初めから勝負になっていなかったという事か。

 性格の悪い。これが悪魔か。

 魔力もなく、立っているだけで精一杯。

 万事休すか。


「惜しかったなあ」


 なんとも愉悦に歪む生首。

 大悪魔は、それをヒョイと拾い上げると、そのまま元の場所にグリグリとはめながら続ける。


「俺が魔族だったらちゃんと死んでたぜ。

 だがよ、俺は悪魔だ。

 首を落とそうが心臓を貫こうが、残存する魔力ごと滅っしない限り、悪魔ってのは滅ばないんだぜ。

 それにだ。

 魂ってのは、精一杯頑張らせた方が美味くなるんだ。

 絶望感も良いスパイスになる。

 ハッハッハッハ!

 お前の魂は両方を満たしたって訳だ」


 終幕を悟ったリュークは、瞳を閉じて、囁くような声で呟く。


「クソ、が」


 それは、精一杯の抵抗だった。

 もうこれ以上は悪態を吐く事すら出来ない。

 身体もプライドもズタボロで。

 早く倒れて楽になりたいところだが、しかしと唇を噛み締める。

 せめてもの最後の意地として、平伏すのだけはと、何とか堪えているのだ。


 グリュエルドが右手のヒラを突き出して告げる。


「たかが人族にしては、まぁ強かったぜ、お前。

 悪魔の防御障壁を魔法で破ったんだからな。

 実際、本当に驚いたんだぜ。

 まぁともあれ終わりだ。

 良い夢を見れたのだから良かったな。

 その分、丸ごと、余すことなく、美味しく喰らってやる。

 あばよ。【闇の穴ダークホール】!」


 指先から放たれたのは、小さな黒い玉だった。

 それはぎゅるぎゅると渦を巻きながら、うな垂れるリュークへとゆっくりと近づいていく。


 ――すまない、アニエス。祝福はあの世からになりそうだ。


 脳裏に過ったのは金髪の可愛らしい聖女。

 共に笑い、涙を流して成長した、戦友にして最愛の姉の姿。


 音もなく、黒玉はリュークを丸ごと呑み込むと、方向転換をしてグリュエルドの下へと舞い戻り、そのまま吸収された。


「ハッハッハッハ!」


 醜悪な笑い声が響き渡る中。

 愉悦に悪魔の貌がこの上なく歪む。


「ごちそうさん。美味いなぁ、お前の魂。

 やっぱり無駄に頑張らせると、一味違うな。

 頑張った甲斐があったぜ」


 しばし堪能してから、姿無きリュークへと語りかける。


「へえ、なるほどな。

 お前、アニエスって聖女が好きだったのか。

 コイツもまた、すこぶる美味そうじゃねーか。

 お前の気持ちを伝えた後、ちゃんと喰ってやる。

 だから安心して、俺の中から見届けてくれや。

 はっはっはっはっはー!」


 ペロリと舌舐めずりをするその貌は、邪悪な悪魔そのものに歪んでいた。


 ――腐れ悪魔が、ふざけた真似をしてくれたな。


 この一連の闘いもまた、彼女の記憶に刻み込まれた。


 ――必殺だ。必ずお前を殺してやる。

 決して許さず、慈悲も与えず、何の容赦もなく、害虫を潰すように。

 絶望に塗れたお前を、必ず、必ず殺してやる。


 その結果。

 この大悪魔は、惨めにも無惨に、なんともアッサリと。

 プチッと、ノミ虫のようにして鏖殺されることになる。

 それは変えようにも変えられない運命、もはや天命である。

 たかが悪魔如きの大悪魔の位でしかない愚か者が、神の領域にまで至るとんでもない魔力を、生まれながらに宿した神の御子に、必殺の敵討ちを誓わせてしまったのだから。


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