パパは末っ子と娘には甘いものだ。

 フワフワとした雲の上にいるような、ポカポカとした暖かい陽だまりに包まれた、まるで天国のような空間。

 ここは、次元を超えた先にある、天上人たる神族が住まう領域、いわゆる天界である。


「ほらほら、見てよ」


「どれどれ」


 そこには、ポッカリと空いた雲の切れ間から、下界を見下ろす双子の女神様がいた。

 ゴロンとうつ伏せになって寝そべり、仲良く額を突き合わせながら、自分たちが統括する世界の営みを眺めているところである。

 あっはっは、と、なんとも機嫌が良さそうに談笑している。


「あ、あの子の服、可愛いくないー?」


「可愛いいね。あの赤ちゃん」


「あのケーキ食べたい。今度お供えするように神託を下そう」


「あ、勇者と聖女が仲間に隠れてイチャイチャしているよ。

 天罰ものだな。

 とりあえずは大聖女に神託を下して雷を落としてもらおう」


「アッハッハ。人族の世界って面白いね」


「ねー」


 双子の役割は大陸を繁栄させることだ。

 種族同士の諍い事に、直接手を出す事は、神の掟によって禁じられている。

 基本的には見守るという方針である。

 しかし、極稀に起こる未曾有の災禍など、人類では対処出来ない時に限り、神力を使用して問題を収めたりしている。

 神力とは、神の魔法の動力源であり、下界の人々の信仰心から得ることが出来る。

 数ある種族の中でも、脆弱な人族が一番彼女たち双子の女神を崇め奉っているのと、人族の食事や娯楽が好みのど真ん中のため、人族のちょっとしたファンである。

 また、偶のご褒美と称して、その神力を拝借して下界の営みを楽しむことを至上の喜びとしている。

 まぁ、とても俗っぽい神様である。


 …………


「「ああっ!!」」


 まったくの同時。

 双子は示し合わせたように声を合わせては驚き、飛び跳ねるようにして立ち上がってみせた。

 和やかだった甘美なる一時は、過去最悪となる異常事態の発生によって、終わりを告げる。


「やっばぁ〜、アレはマジで、やっばいわ〜」


 両手で口元を抑えてアワワと、なんとも大袈裟に狼狽してみせたのは双子の姉の方。

 純白なヒラヒラの天女のような衣装を、雪のような白い柔肌に纏いし水の女神。

 御身の名前は、アクア・ルミナシオン。

 光の円環を頭上に浮かべ、背には六対十二枚の白き翼を持つ光輝なる者なり。

 腰まで伸ばしたサラサラと揺れる長い髪は、生命の根源たる水を示す透き通るような青色だ。

 コロコロと表情を変えるリアクション多めの、二十歳くらいに見える美女である。


「やばー」


 抑揚のない声で。

 直立不動で死んだ目をして同調したのが妹の方である。

 御身の名は闇の女神アーク・ルミナシオン。

 姉と瓜二つの容貌で、その違いは髪の色だ。

 全てを吸い込んでしまいそうな漆黒は、星の無い夜闇の如し。

 此方は感情を感じさせない、いわゆる無表情だ。

 目が常に死んでいるのをクールだと勘違いをしている光輝なる美女である。


「むむむ」


 姉は、眉間に皺を寄せた難しい面持ちで、顎を撫で撫でしながら口を開く。


「ねえねえ、妹よ」


「なんだい、姉よ」


 姉が人差し指で指し示しながら。


「魔族領に現れたアレってルシフェルだよね。

 あれだけボコボコにしてやったのに、綺麗に復活しちゃってるじゃない」


 突如下界に現れたのは知っている顔、元筆頭側仕えの大天使ルシフェルだった。

 その昔、双子が余りにも我儘だったので、耐えかねて反逆した。

 結果は見事に敗北。

 無茶苦茶にボコられ、そして魔界に堕とされてしまった。


「間違いない」


 妹が目が死んだままの無表情に、口すらも動かさずに続ける。


「エンジェルリングが黒い。

 と、いうことは、悪魔に身を落としたということだよ。

 翼も黒い。

 何よりも、捻れ曲がった悪魔のツノが生えている。

 いわゆる堕天使というヤツになったということ。

 神族と敵対すると、奴は示したのだ。

 あ、翼の数が増えているな。

 進化したようだ、まったく生意気な」


 神族にとっての、翼の数や大きさは強さを示す指針となる。

 ルシフェルの背には五対十枚の黒き翼が。

 大天使時代は四対八枚だったはず。

 どうやら女神に準ずる力を手に入れたようである。

 自信満々の不敵な面持ちで、背後に悪魔たちをゾロゾロと引き連れての、人族の国へと進軍中である。


「アイツ、人族を滅ぼすつもりだよ。

 我らに対する嫌がらせだね。

 許すまじ所業なり。

 それにしても、よりによって悪魔へと身を堕とすとは。

 我らの不倶戴天の敵ではないか。

 アイツには神族としてのプライドがなかったのか」


 この野郎と眉を吊り上げて拳を握る姉に対して、妹は変わらずの無表情に、口すらも動かさずに言う。


「姉お気に入りの人族、大ピンチ」


「ぬ?」


 姉は、悔しげに唇を噛む表情から一転、揃えた両手を頬に添えて大きな瞳を輝かせた。


「人族って弱くても頑張っているところが堪らなく良いのよ。

 努力して磨かれた技は美しいし、極々稀に現れる英雄たちもスーパーレア感があって良き。

 ついつい頑張れって応援したくなっちゃうわ」


「私たちを一番崇めてくれる種族だし」


「そうそう。お供え物もくれるし。

 数々の人間ドラマは観ていて面白い。

 色んな遊びや美味しい食べ物もある。

 人族が一番刺激をくれる種族だよ」


「クールという素晴らしい概念を私に教えてくれた」


 無表情ながら、何処か喜色を滲ませる妹の言葉に、姉は、反射的に、ビシッと、人差し指で妹を指し示し。


「それな!

 私もカッコ良いポーズにイカした決め台詞というものを教えてもらったし」


「でも、あれだけの悪魔を率いているという事は、アイツ、人っこ一人残さない気だ。

 つまりそれは絶滅の危機。

 人族の社会が無くなったらこれ以上の繁栄は望めなくなる」


「それすなわち、ママに怒られる案件となる」


「ママ怖い」


「パパは優しいのにね」


「うん、チョロい」


「しっかし、ルシフェルめ。

 直接こっちまで来いよな。

 タイマンで勝負してやるのに」


 水の女神はしばしの間、ぐぬぬと口端を歪めた後。


「そうだ」


 ポーンと手を叩いた。


「勇者でいけないかな?

 女神の加護があるし、私たちの聖剣もある。

 アレは悪魔に特化したものだからギリで大丈夫じゃないかな?

 毎回魔王を倒してる訳だし、此度の勇者は過去最強な訳だし。

 いざとなったら奥の手もあるしね」


 勇者とは女神に選ばれた正しき心を持つ魔を討ち破りし者である。  

 脆弱な人族の為に女神が加護を与えた人族の最高戦力である。

 これまで代々の勇者たちは度々現れる魔王を全て退けている。


「うーん」


 闇の女神が無表情に悩んだ後、ゆるゆると首を振り。


「今までの魔王だったら全然いけただろうけど、アレはダメ。

 人類を凌駕する超越者だもの。

 神族の中でも上位の実力者、次期神候補の大天使筆頭だった訳だし。

 それがなりふり構わずに悪魔へと身を落とし、そしてパワーアップを果たしている。

 翼は私たちよりも少ないけど、悪魔のツノから翼と同等の力を感じ取れる。

 最早、神の領域にまで至っているほどだ。

 恐らくは、私たち二人がかりでないと対処できないほどの脅威。

 人類である勇者では時間稼ぎが精々だ」


「だーよーねー。

 それに連れている悪魔たちも厄介だよ。

 他の種族ならばともかく、脆弱な人族では呆気なく滅ぼされちゃうに違いない。

 私達のせいだし、困ったな」


「信仰心が無くなっちゃう」


「それは切実な問題だよ。

 お小遣いが減るようなものだし」


「温泉とかお菓子とか、色々と楽しみも無くなっちゃう」


「それはまずい、本当にどうしよう」


 双子は悩みに悩んだ。

 水の女神は難しい面持ちで腕を組むという、絵に描いたような仕草で、闇の女神は無表情のまま、ポーッと何も考えていないような仕草で、共に妙案を捻り出そうとする。

 彼女たち双子は神族の中でも最年少の、とびきり若い神様なので、加護などを与える為に使用する神力が少ない。

 故に人族を救う為の新たな力を授ける事が出来ない。

 かと言って、下界の争いに直接出向く事は、神の掟によって禁じられている。

 視察と称してお忍びで楽しむ分には可能だ。

 ただし神力をゴリゴリに使うし、諍いを起こしたらペナルティが発生する。

 それは部下の天使たちにも適応されている。

 それはともかく、八方塞がりである。


「うーん、うーん」


 無駄に悩みに悩むこと、五分が経過したところで。


「よーし、こうなったら」


 水の女神はお得意の最終手段に出た。


 スーーーっと、大きく息を吸い込むと、天を仰いで精一杯に声を張った。


「パパー!」


 必殺、困った時の神(パパ)頼みだった。

 この双子、末っ子なので、とても甘やかされている。

 二人は共に、女神、娘なので尚更だ。

 どんな種族もパパという生き物は、末っ子と娘には甘いものだ。


「……。」


「……。」


 双子が顔を見合わせながら耳を澄ましていると、何処からともなく、しがれたジジイの声が響いてくる。


『おお、愛する娘たちよ』


 双子の父、全知全能の神ゼウスだ。

 姿は見せない。声だけである。

 双子と違ってとっても忙しいから。


『一体どうしたというのじゃ』


「このままでは人族が滅ぼされてしまうのよ」


『ふむふむ』


 水の女神は大体をかい摘んで伝えた。

 大陸を繁栄させることが神様としての職務だ。

 それが今、害されようとしている。

 パパの選んだ元側近の手によって。

 一体全体、どういう事?

 パパの人選ミスだったのではないか?

 そこのところを中心に必死に訴えてみた。

 自分たちが行っていたセクハラ&パワハラ行為についてはまるっとスルーして。

 まぁ、全知全能の神なので、大体の事情は把握済みである。

 そして、パパなるゼウスの答えはいつも一つ。


『うむ、パパに任せなさい』


 イエス、イエス、イエス一択である。

 双子にノーと言った事は、厳しいママの前以外では未だかつて無い。

 愛する娘たちのお願いだ。大陸が衰退してしまうのも本意ではない。

 ならば断る理由など無いし、未だ未熟で成長途上である娘たちでは解決出来ないことも理解している。


「え、マジで。やった〜!

 パパありがとう〜!」


 策は成ったと、よっしゃと握り拳を振り上げて、ヤンチャなガッツポーズを決める水の女神。


「ふふ」


 闇の女神は直立不動のまま、しかし、僅かに口端を持ち上げていた。

 目は死んだままなのに、なんだかホワホワとした喜色を浮かべている。

 全くもって器用な娘である。


 パパは付け加えるのを忘れないようにする。


『その代わりに』


 単に聞き入れるだけだと甘いとママに怒られてしまう。

 軍神パンチを喰らって、滅びてしまうかもしれない。


 なので、保険をかける。


『二人には三年間、パパの仕事を手伝うように』


 教育を兼ねての仕事を強制的にさせる事にした。

 双子が仕事を天使任せに、サボりがちなことはご存知だ。

 いい加減に独り立ちをして欲しい。

 とっても忙しいから。

 それに、これならば、ママも納得してくれるはず。


「えーーーーーーーーーーー」


 顔のパーツを中央にムギュっと寄せるという、なんともいえない渋顔を作り、遺憾の意を表面する水の女神。


「え、私もなの?姉のお願いなのに?」


 自分を指差し、無表情に惚けるというなんとも器用な闇の女神。


『ふおっふおっふお』


 ゼウスはそんな娘たちを可愛いなぁとは思いつつも、聞こえないフリをして、神の大魔法を唱えるのだった。


『【神の奇跡】!』


 唱えた途端に、


 ――むむ?!これは?!

 我が魂の、実に三分の一を消費してしまうとは?!


 自身の急激なパワーダウンを感じ取った。

 そして、察する。


 ――新たなる神の誕生じゃな!?


 ◇◇◇


 場面は変わり、次元を超えた先の下界。

 大陸の東の端の端。

 とある国の領主の屋敷に、七色に輝く全属性の魔力がパアアと降り注いだ。


 その屋敷の中の、女領主の寝室にて。


 ドクンッ!


 太鼓を打ち鳴らしたかのような、力強い鼓動音が鳴り響いた。

 産まれて間も無いが、しかし絶命していた赤子の、止まっていた心臓が動き始める。


 ――む?コレは、一体?


 後に月の女神となる双子の妹で、人族の救世主となる銀の薔薇は、こうして誕生したのだ。

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