最終話:大好きな恋人
母親のことを思い出して泣いてしまった彼女をあやしていると、啜り泣く声はやがて寝息に変わった。
恋人と一緒の布団で寝たことは、何度かある。だけど、こんなにも何も無い穏やかな夜は初めてかもしれない。一緒の布団に入るということは、セックスをする合図のようなものだったから。それが当たり前だった。だけど、彼女に添い寝をしてほしいと言ったのはそういう誘いではない。ただ、隣に居てほしかった。
身体を求められることは、別に嫌ではなかった。セックス自体は嫌いではない。だけど、それが毎回毎回続くと流石に嫌になる。たまにはこうやってただ抱き合って眠るだけの穏やかな夜を過ごしてみたかった。初めて叶った願いを噛み締めるように、腕の中で寝息を立てる彼女を抱きしめる。柔らかい。やっぱり、男とは違うなと思う。だけど、嫌いじゃない。むしろ、さっきまであたしを抱いていた男の腕の中で眠るより安心する。
触れてほしい、触れたいという気持ちはあるけれど、今はこれで良い。こうやって抱きしめるだけで充分満たされる。今までだってずっとそうだったけれど、相手はそうじゃなかった。相手が性欲が強い人ばかりだったのか、それとも愛されていなかっただけなのか。前者だと信じたいが、仮に後者だったとしても別にどうでも良い。そう思えるほどに今、満たされている。
「……大好きだよ。すう」
夢の中に居る彼女に囁く。届いたのか、彼女は寝ぼけた声で「うん」と相槌を打った。思わず笑ってしまう。
「……可愛いなぁ」
柔らかい身体、長いまつ毛、丸みを帯びた顔立ち。どこからどう見ても女の子だ。同性だ。ずっと、異性に恋をしてきた。これからもそうなのだと思っていた。
アリス様は同性だけど、それは推しに対する感情であり、恋とは微妙に違う。そう思っていたが、彼女に恋をした今はもしかしたら、違うくはないのかもしれないと思ってしまう。しかし、あれを恋とするとなんだか二股をかけているみたいで嫌だ。やっぱり恋ではないことにしておきたい。アリス様のことは今でも好きだ。多分、一生好きだ。彼女を好きになったから、すうと友達になれた。アリス様は推しであると同時に、恋のキューピッドだ。ありがとうございますアリス様。
と、心の中でアリス様に感謝していると、腕の中の彼女が小さく呟いた。「お母さん」と。その寝顔は穏やかだ。悲しい夢ではなさそうでホッとする。夢の中の母親とどんな会話をしているのだろうと微笑ましく思っていると「洗濯機に入れるのはじゃがいもじゃなくてテニスボールだよ……」と、気になる寝言を言い始めた。マジでどんな会話してるんだ。気になってしばらく寝言に耳を傾けていると「えっ。じゃがいもでも良いんだ……知らなかった……」などと言い出した。どういうことなんだよ。気になって仕方ないが、これ以上彼女の謎の寝言に関して考え出したらきっと眠れなくなるなと思い、彼女を抱き枕にして目を閉じる。
「おやすみ。すう」
夢には彼女が出てきた。彼女の変な寝言のせいか、彼女とダブルスを組んでテニスボールの代わりにじゃがいもを使ったじゃがいもテニスをするという変な夢だった。変な夢だったけど、幸せな夢には違いなかった。
ちなみに結局あの寝言の意味は分からずじまいだった。
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