第8話:父と聖

 イルミネーションを堪能して家に帰ったのは午後七時過ぎ。玄関の鍵が開いていた。恐る恐るドアを開けると、父の靴が置いてあるのが見えた。足音が近づいてくる。


「お帰り。すう


「ただいま。早いね」


「早く帰れそうだったからパパ頑張ったよ」


「そう。……お疲れ様」


「うん。それで……」


 父の視線が隣のギャルに向けられる。彼女はにこりと笑って「すうの恋人です。黒須聖って言います」と自己紹介をした。「友達って聞いてたけど?」と父はニヤニヤしながら私を見る。


「あ、あの時はまだ友達だったから……」


「へー」


「……顔がうるさい。普通の顔して」


「いやぁ、だって、雛が恋人連れてくるの初めてだし。雛の父の鷹臣たかおみです」


「たかおみさん? 鳥の鷹ですか?」


「うん。鷹に、大臣の臣で鷹臣だよ」


「なるほど。すうは鷹のひなだったのか……」


「……鷹よりハヤブサが良い」


「ハヤブサ?」


「お母さんの名前。隼って書いて、しゅんって読むの」


「えー! かっけえ!」


「うん。カッコいい人だった」


「ぴよりんはかっこいいより可愛いけどねー」


「な……ぴ、ぴよりんはやめてって言ったでしょ! しかもお父さんの前で! もー!」


「……ふふ」


 私たちのやりとりを見ていた父が笑う。そして慈愛に満ちた表情で言った。「聖さんは本当に、雛にとって特別な人なんだね」と。それに対して聖は「そうなんすよー」と否定せずにヘラヘラ笑いながら返した。それを見た父は「雛のこと、これからもよろしくお願いしますね」と彼女に笑いかける。「はい!」と元気よく返事をする聖。勝手によろしくしないでほしいしされないでほしい。味方が一人もいない。仮にここに母が居ても多分、父側についていたのだろう。


「も、もう。お父さんはお風呂でも沸かしてきて!」


「ふふ。はいはい」


 父を風呂の方に押し出し、キッチンへ。


「クリームシチュー、もう温めちゃっていい?」


「うん」


 聖がクリームシチューを温めている間にチキンをオーブンにセットし、ポテトサラダを分ける。冷蔵庫にはケーキが入っていた。父が買ってきてくれたのだろう。箱の中を覗く。ショートケーキが四つ入っていた。それを見た聖が「あれ。なんか一個多くない?」と首を傾げる。


「お母さんの分。まぁ、結局二人で分けて食べるんだけど。今年は聖もいるから、三等分だね」


「え。あたしもママの分もらっちゃって良いの?」


「うん。むしろ食べて」


「やったー。ありがたくいただく」


「うん」


 チキンが焼き上がる前に風呂が沸いた。お父さんは最後に入るとして、どちらが先に入るか話しあおうとすると聖が「女同士なんだし、一緒に入ればよくない?」と言い出した。いや、確かに女同士だし、体育の時は同じ部屋で着替えているし、野外学習の時も一緒にお風呂に入っているのだが。あの時はただのクラスメイト、友達だった。今は違う。


「……嫌?」


「……」


 とりあえず彼女を風呂場まで押していく。「変な目で見ないでよ」と言うと「ちょっとそれは保証出来ないかも」と笑った。


「じゃあ先入って。私後で入る」


「あーん! ごめん! 見ないから! 見ないから一緒に入ろうよー!」


「……下心は?」


「無いとは言えない」


「……」


「あー! 待って待って! ちょっと聞いて!」


「……なに」


「……すうがお風呂入ってる間、あたし、パパと二人きりになるじゃん? 恋人のパパと二人きりとかちょっと……気まずいじゃん……」


 だから私と一緒に入りたかったのだと、彼女は語る。嘘をついているようには見えない。


「……聖も緊張とかするんだ」


「するよー! めっちゃしてる!」


「……分かったよ。良いよ。一緒に入ろう」


「わーい」


「あんまりじろじろ見ないでね」


 そんなわけで彼女と一緒にお風呂に入ることに。彼女がパジャマを取りに行っている隙に服を脱いで洗濯機に入れて、頭を洗い始める。

 頭を洗い終え、身体を洗い始める頃に彼女が戻ってきた。鏡に彼女のシルエットが写り、布が擦れる音が聞こえてくる。シャワーの音でかき消して、邪な気持ちを泡と共に洗い流して、湯船に浸かって、頭だけ出したまま風呂の蓋を閉める。


「おまたー。って、生首! びっくりした!」


「……シャンプー、勝手に使っていいから」


「あ、ほんと? あたし家から持ってきたんだけど、いいなら使っちゃおうかなー。恋人が使ってるシャンプー使って、おんなじ匂いになるのお泊まりって感じよね」


「……やっぱ、自分の使って」


「残念。もう出しましたー。てかすう、もう洗ったん? 早くない? ちゃんと洗ったんかー?」


「洗った」


「ほんとかぁ?」


「洗ったってば」


 彼女の方を見ないように視線を逸らす。まだ数秒しか浸かっていないのにもうのぼせそうだ。


「……さ、先上がるね」


「ええー! まだ居てよー!」


「外に、いるから。髪乾かして、待ってる……」


「どんだけ照れてんだよ。えっち」


「う、うるさい。どっちがだよ……」


「ちゃんと待っててよ。先に行っちゃやだからね」


「はいはい」


 先に出て、身体を拭いて髪を乾かす。聖と違って短い髪はすぐに乾いてしまう。待ち時間が長い。

 座ってしばらく待っていると、ザパァと水の音が聞こえて、風呂のドアに湯船から上がってきた彼女のシルエットが写る。慌てて風呂の方から顔を逸らす。


「おまたー」


「早く服着て」


「の前に保湿させてー」


 そう言いながら彼女は近づいてきた。伸びてきた細長い腕が、鏡の前に置いてあったポーチを持ち上げる。思わず鏡の方に視線を向けてしまうと、鏡越しに彼女と目が合う。「いやあん。えっち」と笑う彼女は頭にタオルを巻いていたが、身体にはなにも身につけていなかった。


「ちょ! なんで身体隠さないの! もー!」


「すうが見たいかなって」


「バカ! 早く服着て! 風邪引くよ!」


「あ、そっち? やさしー。好き」


「う、うるさいよもー……」


 両手で顔を隠す。「すうにバカって初めて言われた」と嬉しそうな独り言が聞こえてくる。確かに言ったことない気がするが、そんなに嬉しいことだろうか。


「服着た?」


「着た着た。髪乾かすからドライヤー貸してー」


「……ここ座って。乾かしてあげる」


「えー! やったー! うれし」


 席を譲ると、彼女は嬉しそうに小走りで向かってきて勢いよく座った。濡れた髪に触れて、お風呂に入る前までは赤かった毛先が元の色に戻っていることに今更気づく。


「どしたー?」


「髪、いつもの色だなって」


「何それ。落ちるって言ったやん」


 ドライヤーのスイッチを入れて彼女の長い髪を根本から乾かしていく。髪を動かすたびに、いつも使っているシャンプーの香りが広がる。嗅ぎ慣れた匂いなのに、彼女の髪からその匂いがするのはなんだか、恥ずかしい。


「すうはもう乾かしちゃったよね」


「うん」


「だよねー。乾かしてあげたかったなぁ」


「乾かしてもらったところですぐ乾くよ」


「そうかもだけど、髪乾かして貰うって恋人って感じしない?」


「そうなの? わかんない。今までは乾かしてもらったことある?」


「ママにならやってもらったことあるよー。あと、お兄に練習台にされたり」


「練習台?」


「彼女が出来た時に髪乾かしてやりたいからって。出来たことないんだけど。キモいっしょ」


 ケラケラと笑いながら言う彼女。キモいと言いつつも、その声色は優しい。わざわざ付き合ってやってることからも、お兄さんとの関係の良さが伝わってくる。


「ブラコンなんだね」


「ちょ! 人聞きの悪いこと言わないでよね! なんで今の会話からそうなるわけ!? てか、あたしがブラコンなんじゃなくて、お兄がシスコンなんだよ! 彼氏出来るたびにどんな奴だ、紹介しろ、お兄ちゃんは認めんぞってうるさいし」


「ふふ。他には妹が二人いるんだっけ」


「うん。中2と小6。ちなみにお兄もあたしと二つ違い。お兄とあたしはアニメとか全然興味ないんだけど、妹達は結構オタクでさあ。二人ともクズ君にはハマらんかったみたいだけど」


「人を選ぶ内容だもんね。アニメ化したのが不思議なくらいだよ」


「でもさぁー! 神アニメじゃない!?」


「いや、アニメは正直微妙」


「ええー! 急に裏切るじゃん!」


「私、西園寺さいおんじ孝文たかふみルート推しだから」


 西園寺孝文。クズ君の攻略対象の中では最年長のおじさまキャラだ。ヒロインアリスの父親のビジネスパートナーなのだが、実は詐欺師。ファンの間では彼のルートが一番人気が高いのだが、アニメは起業ルート軸に進んでいく。明光アリスは大企業の娘で、最終的には母親の後を継いで経営者に、攻略した男が夫としてアリスを支えることになるのだが、起業ルートではその名の通り会社を継がずに独立する。その際、四人の男たちは全員アリスの会社で働くことになる。誰とも付き合わないが全員が幸せになる友情エンドだ。


「アニメだと孝文の影が薄いんだよぉ……」


「そうかなぁ」


「聖はアリス推しだから他のキャラはどうでも良いんでしょ」


「アリス様も好きだけど、三島みしまも好きだよ」


 三島みしまゆき。クズ君の攻略対象の中では一番人気があるキャラだ。マザコンでニートなのだが、彼の母親が過保護なタイプの毒親で、お母さんが居ないと何も出来ないと洗脳されて生きてきた幸が少しずつ母親に抗い支配から脱却して自立していく姿を描いている。幸のために母親と対峙するアリスを見て、アリスのファンになったという人も多い。


「三島ルートのアリス様マジでかっこいいのよ」


「それは分かるけど私はやっぱり西園寺孝文が好き」


 私達はそれからしばらく、クズ君の話で盛り上がった。父が風呂に入っている間もずっと。風呂から上がってきた父は盛り上がる私達を見て「なんか隼さんと付き合った頃を思い出すなぁ」なんて微笑ましそうに呟く。そこに聖が食いつき、両親の惚気話を聞きながら食事をする羽目に。母のことを語る父は、楽しそうだった。父もまた、私以外に母のことを語る機会はなかなかなかったのだろう。初対面の父とこんなにすぐに打ち解けてしまうなんて。やっぱり聖は凄い人だ。

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