第二十八話  取引

 俺たち3人は建物の裏口から外へ出て、仙丹房せんたんぼうがある裏庭へと向かった。


 裏庭に出るなり、俺は地面に生えていた植物を見回す。


 さすが薬屋の裏庭だ。


 さくなどがないため一見すると雑草と勘違かんちがいしてしまいそうだが、よく見ると裏庭に生えているのは薬草ばかりである。


 根気よく雑草を抜いて1つ1つ植えていったのだろう。


 まあ、それはともかく。


 例の仙丹房せんたんぼうは裏庭の奥にぽつんと建っていた。


 名前こそ仙丹房せんたんぼうと立派だったが、建物自体はに毛が生えた程度だ。


 俺はそんな仙丹房せんたんぼう全体を食い入るように見る。


 くだんの相手の姿はどこにも確認できない。


 てっきり建物の入り口の近くにいると思ったが、玄関の扉が開けっ放しなところを見ると、どうやら仙丹房せんたんぼうの中に居座いすわっているようだ。


 などと考えていると、春花しゅんかが「なあ、兄さん」と声を掛けてくる。


「うちの仙丹房せんたんぼう占拠せんきょしているのが妖魔やないってホンマなんか?」


「私もそれが気になった。本当にあそこにいるのは妖魔ではなく、仙獣せんじゅうという特別な獣なの?」


 俺は2人の問いに対して「ほぼ間違いない」と答えた。


 こうして一定の距離まで近づくとよく分かる。


 仙獣せんじゅうが放つ独特の気が、仙丹房せんたんぼうの中から大気を伝って感じられたからだ。


 おそらく何十年か何百年か前に、神仙界しんせんかいから仙人せんにんたちとともにやってきた仙獣せんじゅうたちの中の1体なのだろう。


 何かしらの理由があって仙人せんにんの元を離れるか逃げ出すかして、そのまま人間界にとどまることを余儀よぎなくされた仙獣せんじゅうは多くもないが少なくもない。


 実際に華秦国かしんこくの人々に伝説上の聖獣せいじゅうとして広く知られている、麒麟きりん応龍おうりゅうなどと呼ばれている存在もそうだった。


 元々は神仙界しんせんかいに生息している高位の仙獣せんじゅうたちであり、はるか昔に仙人せんにんたちの乗り物としてこの人間界にやってきたのだ。


 では仙丹房せんたんぼうに居座っている仙獣せんじゅうは、麒麟きりん応龍おうりゅうなどと同等の力を有する高位の仙獣せんじゅうなのか?


 答えはいなだ。


 明確に感じ取れた精気の濃度からして、仙獣せんじゅうとしての力の格は中の下ほど。


 それでも第1級の道士どうしが太刀打ちできないのは当然だった。


 力の格が中を超える仙獣せんじゅうを人間が相手にするには、それこそ〈宝貝パオペイ〉を現出げんしゅつできるほどの〈精気練武せいきれんぶ〉を使いこなせないことには話にならない。


 ただし、それは確固かっこたる理由があって仙獣せんじゅうと闘う場合だ。


 そして相手が妖魔ではなく仙獣せんじゅうだと分かった以上、もう俺たちがここにいる理由が無くなってしまった。


 俺たちの目的は、魔王と呼ばれるほどの妖魔を倒すことなのだから。


「ねえ、龍信りゅうしん……これって私たちがここにいる理由がもうないわよね? だって、あそこにいるのは魔王じゃなくて獣なんでしょう?」


「ああ、それは間違いない。少なくともアリシアが探している魔王じゃないのは確かだ」


 そんな俺たちの会話を聞いて春花しゅんかは、「なあ、さっきから言うとる魔王って何や?」といてきた。


 聞き慣れない単語に興味をそそられたのだろう。


「実はね……」


 と、アリシアは春花しゅんかに魔王に関する事情も話し始めた。


 先ほども俺たちの旅の事情は話していたのだが、ある妖魔を倒すということしか伝えてなく、西方の魔王に関することははぶいていたのだ。


「そんな凶悪な化け物がこの国に来ているやなんて一大事やないか……せやけど、あんたらは何の手がかりも無しに東安とうあんへ行こうとしているんか?」


「仕方ないだろ。それだけ情報がほとんどないんだ。どうやらアリシアが言うには、その魔王は人間に憑依ひょういして悪事を働くらしいからな。よほど凶悪な事件を起こさないと手がかりがつかめない」


 そうである。


 アリシアの話によれば、西方では魔王というと人間に憑依ひょういして悪逆非道あくぎゃくひどうの限りを尽くす妖魔のことをすらしい。


 現にアリシアが最初に魔王と相対したとき、魔王は小国の国王に憑依ひょういして残虐極ざんぎゃくきわまりない行為をしていたというのだ。


 そのため他国にも魔王が憑依ひょういした国王の悪評あくひょうが広まり、アリシアがいた国が率先して魔王をつべく立ち上がったという。


「だから、俺たちはせめて東安とうあんに行けば何か情報がつかめると――」


 思ったんだ、と俺が言葉を続けようとしたときだ。


「ちょい待てよ。何かそれらしい話を聞いたことがあるで」


 と、春花しゅんかがぽつりとつぶやいた。


「さっきも話した大口のお客はんと以前に世間話をしとったとき、確か東安とうあんのある場所で異常に血生臭い事件ばかり起こると言うとったような……」


「そ、その話をもっと詳しく教えて――っていうか、そのお客さんって誰なの?」


 話に真っ先に食いついたのはアリシアだ。


「あほか。薬士くすしが自分のお客はんの情報なんて教えられるわけないやろ。それにただでさえ仙丹房せんたんぼうが使えんから、そのお客はんにおろす薬が作れんのや。なのに個人情報だけを他人に教えたら、そのお客はんに顔向けできんわ」


「なあ、春花しゅんか。そのことなんだが……」


 一拍いっぱくを置いたあと、俺は春花しゅんかにある取引を持ち掛けた。


仙丹房せんたんぼうにいる仙獣せんじゅうを何とかする代わりに、その客のことを俺たちに教えてくれるっていうのはどうだ?」


 俺はたたみ掛けるように言った。


「俺たちは魔王に関連するような情報が欲しい。春花しゅんか仙丹房せんたんぼうにいる仙獣せんじゅうを何とかしたい。そして魔王の情報を持っているかもしれない、その客が求めている薬は仙丹房せんたんぼうでないと作れない……どうだ? 全員の希望を叶える手段は1つだろ?」


 う~ん、と春花しゅんかは複雑な顔でうなった。


 色々なことを頭の中で天秤てんびんに掛けていると見える。


「ホンマに仙丹房せんたんぼうにいるヤツを何とかしてくれるんか?」


「ああ、それは任せろ。必ず何とかする」


 やがて春花しゅんかは「しゃあない」と観念かんねんしたように首を縦に振った。


「ただし、そのお客はんにはうちから聞いたなんて言わんといてくれや。それが絶対条件やで?」


「もちろんだ。アリシアもそれでいいよな?」


「ええ、絶対に春花しゅんかから聞いたなんて言わないわ」


 これで話がまとまった。


 そして仙獣せんじゅうと闘う確固かっこたる理由ができると、俺は勝手に〈無銘剣むめいけん〉と呼んでいた剣に視線を落とす。


 ちょうどいい好機チャンスだ。


 久しぶりにを試してみるか。


 意を決した俺は、次に春花しゅんかとアリシアに顔を向けた。


「そうと決まったら2人は建物の中に入っていてくれ」


 俺は2人に対して堂々と言い放つ。


仙獣せんじゅうの相手は俺1人でやる」

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