第49話 諸侯会議その後

空想時代小説

今までのあらすじ 

 天下が治まり、日の本は諸大名の元、安寧の世の中になると思われた。

 朝廷より武家監察取締役に任じられた秀頼は真田大助と上田で知り合った僧兵の義慶それに影の存在である草の者の太一と諸国巡見の旅にでた。越後からいっしょだったお糸は琉球で火事にあい、亡くなってしまった。徳川家光は後継ぎとして駿府にもどって、本多忠刻が亡くなったため、徳川家再興となり駿府藩の藩主となっている。平泉から供をしていた元山賊の春馬は震災にあった土佐の村で好いたおなごができて、そこに残った。それに鳴門で秀頼を弟の仇と襲った加代が姫路から同行した。そして高取城から連れてきた者どもと一緒に伊賀上野の統治にあたり、3年後、伊賀上野を義慶と加代に任せ、秀頼は再び諸国巡見の旅に出たが、信州松本で盟友真田信繁の臨終に立ち会い、諸国巡見を終え、伏見に居を移すことにした。信繁の末娘おたきといっしょである。大坂で母淀君との面談を終えて秀頼は伏見での活動を始めた。その年の秋には第2回諸侯会議を開くことができた。


 諸侯会議を終えて、ひと段落をしていると、勘定方の松野主膳がやってきて、

「殿、干拓の金がかかり過ぎております。このままでは、藩の財政が破綻してしまいまする」

 と訴える。取締役の斎藤歳三が必要以上に人足を雇い、その者たちへの給金がかかり過ぎていると言うのである。そこで、歳三を呼び、3人で話し合いをもった。

「干拓はすすんでおるか」

 と秀頼が聞くと

「はっ、計画どおりに進んでおります。冬までには堤防ができあがり、春からは田んぼづくりができます」

「となると、米がとれるのは2年後か」

 そこに松野主膳が

「そこまで、藩の財政はもちませぬ」

 と言い切る。

「と、主膳が言っておるが、歳三なにか考えはないか?」

 その問いに、歳三がしばらく考えて、

「人足たちの中から、瀬田の川で魚を捕らせ、京で売ることはできまする。ただ、その分工事が遅れることになりますが、よろしいか?」

「いた仕方ないな。堤防は夏の大雨までに間に合えばいいのだからな」

 ということで、瀬田の川に簗場が作られ、人足が魚を追い込み、それを京で売る手配をした。そこは元京都見回り組なので、つてがある。人足の中には土方仕事よりもそういう方がいいという者もいて、藩の財政危機を脱することができた。


 正月を越えて、秀頼に大きな訃報が届いた。四国探題の長宗我部益親(20才)が亡くなったのである。まだ若いので後継ぎは決まっていなかった。前回の諸侯会議で案件にあがった相続問題が現実問題として持ち上がったのである。

 そこで、四国探題の件は、武家監察取締役あずかりとなった。そこで秀頼は早速土佐に向かった。

 土佐に行くのは8年ぶりである。地震や津波の影響はだいぶ少なくなっていた。さすが土佐の民は力強い。高知城下に入る前に旧知の春馬に会いにいった。

「殿、お久しうござる。すっかり天下人でござるな」

「なんの、権限がない天下人じゃ。諸侯会議を主宰しているにすぎん」

「そんなことはござりませぬ。殿がおられるから日の本がまとまるのでござる。戦のない世の中になったのは殿のご尽力ではございませぬか」

「うむ、浪人を作らぬようにしてきたからな」

「高取城では落ち武者をつれて、伊賀上野に国をたてたというではありませんか」

「うむ、3年かかったがな」

「義慶殿が城主というのはちと笑ってしまいますが・・」

「この前、諸侯会議で会った時はそれなりの風格がついていたぞ。お主もわれといっしょに旅をしていれば、城主になれたかもしれなんだがな」

「いや、わしは人の上にたつのは苦手じゃ。こうやって、田舎で百姓をやっている方が似合いまする。好きなおなごといっしょにいられますし、二人の子にもめぐまれたしな。殿のお子は?」

「春に産まれる」

「奥方は大助殿の妹ごとか?」

「そうなのだ。それで酒が入ると、急に兄貴風をふかす。困ったもんだ」

「酒癖が悪くなりましたか。城主になって不満がたまっているのでござろう。諸国巡見をしていた時は日々大変でしたが、充実はしておりましたな」

「そうか、大助も子ができて、奥方は子につきっきりのようだ。それで不満がたまっているのかもしれんな。おなごは子ができるとかわるからな」

「いえ、うちの家内はかわりませんぞ」

「おお、のろけておるではないか。ところで土佐の領主をどう思う?」

「そのことでござるか。わしは民の立場でしか言えぬが、盛親殿なき後、土佐の復興に尽くされたのは盛親殿の妹ごでござった」

「妹ご?」

「出家して春来尼(しゅんらいに)と名乗っていたが、還俗して長宗我部春来として、益親殿の後見役をしておった。土佐の者たちはおなご城主と呼んでいる」

「して、治世の方は?」

「復興のほとんどは春来殿の力によるものと言える。尼さんの時から各地に出向き、その地で指図をしていた。なかなかのおなごでござる」

「そうか、会うのが楽しみだの」

「年は殿より上でござるぞ。それに酒に強いという話です。まちがっても酒飲み競争はされない方がいいと思う」

「おなごに酒で負けるわけがなかろう」

 と言っているうちに、酒がまわって寝てしまった。


 翌日、高知城に出向き、長宗我部春来と会った。家老の3人もいっしょである。

「秀頼公、遠方まで出向いていただき誠にありがとうございまする。私が益親の後見役をしておりました春来と申します」

「うむ、話は聞いておる。土佐の復興はそなたの功績だということもな」

「おそれいります。ですが、益親を守ることができませんでした。熱病にあい、苦しんで死んでいった姿が目にやきついております」

「そうか、いた仕方ないことだ。病には勝てぬ」

「それで後継ぎの件ですが・・3人の候補がおりまする」

 ということで、3人の経歴の説明があった。皆、盛親の血筋であるが、年が幼く結局は後見役がつかねばならぬことは明白だった。そこで秀頼は、そこにいる者たちが予想しなかったことを口にした。

「年が幼い者を城主にするよりは、経験ある者が城主になった方がいいのでは?」

「と言いますと?」

「春来殿、そなたがすればよいではないか」

「わ、わたしがですか? おなごでござるぞ」

「おなごで何が問題なのだ。戦国の世でもなし、われはおなごでも大きな力をもっていた者を知っておる。裏であやつるより表にでてみないか?」

 大きな力をもっていたおなごとは、秀頼の母であることは皆すぐにわかった。

「しかし、長宗我部は四国探題の職にありまする。土佐だけの問題ではござらんが」

「うむ、そこは四国の大名たちをわれが説得するばよいだけのこと。大名たちが問題を起こさねば、探題の出番はない。その間に、優秀な後継ぎを育てればよいのではないか」

 その言葉に春来だけでなく、家老たちも涙ぐんでいた。

「ただ、このことはわれだけの判断で決めるわけではない。次の諸侯会議で判断される。否決されれば長宗我部家の名はなくなる。別の者が城主として入る可能性がある。ただし、家臣は慰留されるようにするがな。統治はその地の者に任せよ。というのが大原則だからの。それでよいか」

 4人は頭を垂れて、了承した。


 その後、秀頼は四国各地をめぐり、四国探題の後継ぎについて説得してまわった。宇和島の秀宗(40才)は快く了解してくれたが、讃岐の生駒高俊(24才)は即答しなかった。家臣と相談するとのことであるが、旧徳川派の家臣がいるので、高俊自身が探題の座をねらっていると思われる素振りがあった。他の小大名たちはおおむね秀頼の考えに賛同してくれたが、諸侯会議にでられるわけではない。参加できるのは四国では秀宗と高俊の二人だけなのだ。諸侯会議が荒れることが予想された。

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