第5話 秀頼 陸前仙台に現る

空想時代小説


 二口峠は比較的楽だった。というか、蔵王の山越えに比べればの話である。夏はうっそうとして歩きにくそうだが、晩秋の枯れ葉を踏みしめて歩くのは足にもやさしかった。沢ぞいに歩くのも気持ちいい。

 関所に行くと、連絡がきていたらしく、すんなりと通ることができただけでなく、歓待までうけた。籠までだす雰囲気になったので、それは固辞した。夕方には秋保(あきう)の湯につくことができた。関所で紹介された佐藤勘九郎の旅籠に泊まることにした。秋保の庄屋の家で、政宗の家臣でもある。正面玄関には鎧がこれみよがしに飾ってある。もう戦のない時代だから無用の長物なのだが・・。

 勘九郎が秀頼を迎えた。

「ようこそいらっしゃいました。殿からは、できるかぎりのおもてなしをするようにと言われております。どうぞ、わが家と思ってごゆるりとしてくだされ」

「ありがたい。冬が近いので、長い逗留になると思うが、世話になる。よろしく頼むな」

「なんのことはありませぬ。この泰平の世を作ってくれた大恩人です。戦をすることを考えたら、今の世の中は民がのぞんでいたものなのです」

「わし一人でなしえたことではない。政宗公や信繁公、上杉公などの諸侯が幕府を倒し、最後の判断をわしに委ねてくれたおかげじゃ」

「その最後の判断が大事だったのです。わが殿がその役目をおったのでは、また戦乱の時代にもどるだけでした」

「わしにとっても、籠の鳥からでられる好機だったがな」

「それはようございました。でも、しばらくは秋保の湯につかって腑抜けになってくだされ」

「腑抜けか? それもいいな」

 その日から3日3晩、ごちそう攻めであった。いつまでも湯につかっているわけにもいかぬので、仙台城の政宗にあいさつに行くことにした。勘九郎が馬を貸してくれると言ってきたが、のんびり街道を行くのが諸国巡見の仕事でもあるので、いつものごとく歩きで仙台をめざした。朝に出て、昼には仙台の城下についた。仙台の城下は岩出山から移ってきた政宗が作った新しい町である。上田のような戦をする町ではないので、東西南北にまっすぐの道が作られ、碁盤の目のようになっている。ところどころに大きな道があり、馬車がいきかっている。武家町と職人町・商人町がしっかりと分けられており、それぞれの雰囲気がある。商人町は賑やかで、職人町は職域毎の座(集団)が形成されている。鍛治町は鍛冶屋が立ち並び、鉄砲町は鉄砲職人が多くいる。鬼門である北方には北山五山という各宗派の寺院や神社がならんでいる。よく考えられた街並みだ。

 天然の堀である広瀬川にかかる大橋を越える。そこに巨大な大手門がある。守りの門というよりは威厳を示す門である。そこの詰め所に名を伝えると、すぐに本丸館へ案内してくれた。ただ、そこからが遠かった。整備された道だが、本丸館は高台にあるので、半刻(はんとき・1時間)かかってしまった。寒いのにもかかわらず、汗をかいてしまったので、最初に案内されたのは湯舟であった。ゆったりあたたまり、用意された着替えを着ると、客間に通された。そこに膳が用意されている。用人や女房衆が入れ替わり立ち替わりで世話をしてくれる。もうじき食べ終わるというところで、政宗がやってきた。

「お待たせして、もうしわけない。評定が長引いてしまいました」

「何も待ってはおりませぬ。むしろ、仙台の味を堪能させていただきました。それより評定というのは?」

「実は、隣の最上家のことでござる。秀頼公も山寺へ行かれて、何か不穏な感じがあったのでは?」

「われらは関所破りと思われ、その上暗殺団に間違わられ、番所の牢屋に入れられました」

「それは、それは・・・貴重な経験をされましたな」

「それで最上家はどうなったのですか?」

「実は家親と義親の兄弟争いが激化し、家臣も二つに分かれて対立していました」

「うむ、それは山形で聞いた」

「先日、とうとう家親が義親を殺害しようとして、屋敷を襲いました。義親は逃げ出したものの仙台藩に助けを求めてきました。そこで、奥州・羽州探題として目付を派遣し、裁定をいたしました」

「ほー、どのような裁定を」

「簡単でござる。けんか両成敗でござる。家親・義親ともに蟄居。それに加担した家臣も同様でござる」

「して、後継ぎは?」

「家親の嫡子、義康としました。まだ6才の幼少ですが、義親の妻の実家である山野氏が後見人としてつくことになりました」

「その山野氏に牢屋からだしてもらったしだい。あの方なら後見人としては問題ない」

ということで、その後は政宗を加えての談笑となった。

 翌日、また秋保にもどった。仙台にも初雪が降ったからだ。雪がとけるまでの長逗留が始まった。近在の村から湯治客が来ており、勘九郎の宿ははやっている。大助や義慶は体をもて余しているので、まき割りなどの裏方の手伝いをしている。秀頼は、何もさせてもらえなかったが、玄関わきの囲炉裏に座り、湯治客の相手をすることが多かった。秀頼の諸国見聞の話がおもしろくて、世間を知らない湯治客に受けていた。皆、かの太閤秀吉の息子とは知らず、「秀さん」と呼んでいた。秀頼は、それに満足していた。

 ある日、湯治にきている百姓から「村に鬼がでて困っている」という話を聞いた。

ふだんは山にいて、たまに村にきて食料をもっていくというのだ。時には、飼っている鶏を盗んでいくこともあるという。そのことを大助と義慶に話すと、

「退治しにいきましょう」

ということになった。2人ともうずうずしているのだ。まるで桃太郎だ。

 翌日、その百姓について、その村に行った。東へ歩き、1日でついた。鳩原という村だ。山を越えれば海だということだ。近くに箕輪峠という見晴らしのいいところがある。そこに行く旅人がよく襲われるという。わけのわからない言葉でおそってくる毛むくじゃらの大きな鬼だというのだ。

 3人は、翌朝箕輪峠に向かった。だが、何もおきなかった。屈強な3人の武士がいたのでは出てこないのかもしれないということで、一人で行き、あとの2人は遠くで見守ることにした。だれにするかでもめて、結局くじ引きをしたら、義慶になった。義慶は愛用の薙刀をとりあげられ、僧服の中に隠れる短刀だけを持たされた。

 そして、またもや箕輪峠に向かった。夕刻、義慶の叫び声が聞こえた。早速、2人は駆け寄った。すると、義慶が鬼に組み伏されていた。大声を上げて近づくと、鬼は山の中へ逃げていく。義慶が

「こわかったー。まさにあれは鬼でした。赤鬼です」

「角はあったか?」

「いや、角はなかった。でも、顔はまさに鬼そのものだった」

というやりとりのあと、ふもとの百姓の家にもどった。これで2日が過ぎた。

 3日目、また箕輪峠に行こうとした時、太一がめずらしく姿を現した。

「殿、鬼の住み家がわかりました。ただ、あれは鬼ではありませぬ。人です。おそらく異人かと・・」

「異人?」

 3人は怪訝な顔をした。異人であれば、角がないのはわかる。わけのわからぬ言葉を使うこともわかる。そう言われればそうとも思える。

 太一の案内で、その鬼らしき人物の住み家に向かった。樹木が茂ったところに、草でおおわれた屋根がある小屋である。遠目からは住み家とはわからない。行くとだれもいる様子はない。おそらくでかけているのだろう。

 半刻(はんとき・1時間)でその鬼らしき人物はもどってきた。鶏を手にしている。それをどうするのか見ていたら、なたで頭を切り落とし、皮を剥きだした。肉が見えるようになると、火にかけてやきだした。見ているこっちにまで、いい臭いがしてくる。やけると、なたで切り分けてむしゃむしゃ食べ始めた。まさに鬼の様相である。するどいなたを持っているので、寝入るまで待つことにした。

 夜になって、静かになった。太一が様子を見にいく。月明かりだけだが、闇に目が慣れてきて小屋までいける。義慶は足を縄で結び、大助は右腕、太一は左腕に縄をかける役割だ。秀頼はなたの確保を受け持った。一人ずつゆっくり小屋に入り、なわを手足につける。引くとしばることができる仕組みだ。3人の用意ができたところで、秀頼がなたをつかんだ瞬間、一斉になわをひいた。しかし、力が強い。大助と太一が引っ張られる。あやうく二人はぶつかりそうになった。義慶はうまく足をしばることができた。それで動けなくなった鬼らしき人物は、なたをとられたことがわかると、観念したみたいにおとなしくなった。そこで、近くの大木にしばりつけた。何やらわけのわからない言葉をしゃべっている。やはり異人であった。6尺(180cm)以上の体格で、全身毛むくじゃらなので、鬼にまちがわれても無理はない。

 大助が番所に連絡に行き、役人をつれてきて10人がかりでやっと連れていくことができた。板に寝かせて、縄でぐるぐる巻きにした。村に下りると、村人が感謝の言葉をかけてくる。中には野菜をもってきた百姓もいた。気持ちだけ受け取って、秋保の宿にもどることにした。

 後日、勘九郎から

「どうやらロシアの人間らしいです。船が遭難して、浜に打ち上げられ、近くの家々に食い物をもらいに行ったら、鬼にまちがえられたようです。それで、山に逃げ込んだらしい。と藩の通詞が言っていました」

と聞いた。考えてみればありうる話である。

 長い冬が終わった。

 勘九郎にあいさつをし、政宗に礼を言うために城へ行こうとしたが、使者が来て、松島瑞巌寺に招待された。陸路では行きにくいので、塩釜の浜から船で向かう。秋保から政宗の家臣が案内をしてくれているので、迷うことはない。夕方に瑞巌寺前の浜につく。寺院の山門というよりは城の大手門という門構えだ。狭間や石落としがないだけが寺院の門と感じさせる。そこから直線の石畳の道を歩く。竹筒にろうそくの火が灯され、幻想的な景色を見せている。

 寺の庫裏に入ると、そこは本丸館とほぼ変わらぬ造りであった。客間に通された。そこへ政宗がやってきた。

「ようこそ、瑞巌寺へ」

「いやいや、寺とは思えぬ造り。まるで海にはりだした城ではござらぬか」

「やはりそう見えるか? 武家が造るとどうしてもそうなってしまう。でも本堂は上人の言うとおりに造りましたぞ。ここは、わしの隠居所でござる。それに、隣に妻の墓所を建てる予定でござる」

「政宗殿の墓所は?」

「わが墓所は仙台城のとなりの丘に建てます。妻の愛(めご)は、海の見えるところに建ててほしいと言っております」

「夫婦(めおと)とは、そんなものかの?」

「子をなすまでが妻で、子ができれば母になり、夫は眼中になくなり申す」

 と政宗は言ったが、政宗には側室が何人もいるので、それはいた仕方ないことだと思った。それを口にはできないが・・・。そして、母を思い出した。夫のことよりも息子のことだけを考えている人だった。先日、文を書いたが諸国見聞の身には母の文は届かない。風のたよりでは元気そうだが、おとなしくしている人ではないので心配ではある。大坂城にいる大野治長に任せるしかないと思うしかないのだ。

 そこに、裃をつけた大柄の武士がお盆をもってやってきた。どこかで見たような顔である。異人である。大助と義慶も驚いた顔をしている。あの時の鬼だ。

「儀介と申します。秀頼公が鳩原でとらえた鬼でござるよ」

「アノトキハ、オセワニナリマシタ。イマハ、トノノケライデス」

 と片言の日本語で話した。

「いやー驚いた。よくぞ、ここまで・・・」

「通詞の者たちが、日の本のことを教えております。ふだんはわしの警護です。まるで弁慶役ですな。信長公も弥助という異人を見の回りにおいていたというではないですか。それと同じでござるよ。それに、異国のことを教えてくれます。何を言っているかわからぬことも多いですが・・・」

「政宗公にはいろいろな方が集まる。これも人徳ですな」


 その日は瑞巌寺の宿坊に泊まった。酒がでなくて義慶は不満顔をしている。大助から

「お主は坊主であろうが」

 と言われたが、

「今は武家監察取締役の片腕である」

 と抜かす。そのくせ、坊主姿を直そうとはしないのだ。


 翌日、船で石巻に向かうことにした。次の目的地は南部領の平泉である。船に乗り込もうとする時に、政宗の家臣から布袋が渡された。それを見た秀頼は固辞した。そこで政宗が声を発した。

「この銀子は受け取ってもらわなければなりませぬ。それが諸大名の申し合わせでござる。政宗が出さねば、他の諸大名から何を言われるかたまったものではありませぬ」

 ということで、秀頼も受け取らざるをえなかった。しかし、秋保での長逗留で路銀を使うことがほとんどなかった。大助の懐はいっぱいなので、義慶があずかることになった。ちょっと心配だった。

 仙台領での巡見、これにて任務完了。

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