第3話 秀頼 奥州白石に現る

空想時代小説


 秋口の晴れた日、秀頼一行は、奥州の小原にいた。川沿いの温泉につかってのんびりしていた。ぬるめの湯が疲れた体にはいい。福島から急な山道を越えてきたので、だいぶ足にきていた。泊まりは、近くの百姓家である。

 その夜、秀頼らは殺気を感じとび起きた。夜中に主人が鉈(なた)を研いでいたからである。いろりの火のあかりで、鉈(なた)の刃がにぶく光っている。

(われらを襲う気か?)とまるで、旅人をおそう山姥(やまんば)の姿を想像してしまった。すると、我らが目を覚ましたのに気づいたのか、

「客人を起こしてしまい、すまんことだな」

 と詫びるように声をかけてきた。

「いえ、そんなことはございませぬが、ご主人は何をしておるのじゃ?」

「あーこれかね? 熊対策ですたい。秋になると熊がえさを求めて歩きまわるたい。昨夜も部落の家がおそわれて、一人がけがしたですたい。お客人たちも気をつけることたい」

「おそろしい話でござるな」

 と言い合って、寝床にもどったが、なかなか寝付けなかった。

 明け方、騒ぎが起きた。外で、叫び声が聞こえたのだ。

「ギャー!」

 その声に、3人は刀をもって外へでた。主人と熊が争っている。主人は押し倒されて、今にもかまれそうだ。そこへ、義慶の薙刀が一閃。熊はふっとんだ。だが、手負いの熊はさらに狂暴になって3人に向かって突進してきた。3人は目を合わせて、逃げる方向を決め、寸前で左右に分かれた。熊は家の壁を壊して半身をのめり込ませた。そこで3人が刃を突き刺した。熊は「ウォー!」とわめいて、もんどり打って倒れた。

 けがを負った主人がやってきて、鉈(なた)で首元を斬ってとどめをさした。

「ありがたか。今夜は熊鍋ですたい」

 と言ったところで、へなへなと座り込んでしまった。そこへ近所の人たちがやってきて、主人の手当や熊の解体を始めた。部落を悩ませていた熊を退治したことで、歓声があがった。

 3人は、村の皆から感謝されたが、主人がけがをしていることもあり、熊を退治したので、辞去することにした。義慶は

「残念じゃ。熊肉を食べそこなったぞ。」

 と言っている。大助は

「お主は坊主だろが・・生臭坊主じゃな」

「坊主はやめだ。今じゃ秀頼公の片腕じゃ」

 という義慶の声に二人は吹き出してしまった。

「おぬし、いつから片腕になったのじゃ。勝手についてきているだけではないか」

 と言う大助に

「そんなこと言わんでくれ。今日だって熊に一撃をくらわしたのはわしが一番だったはず」

「そうであったな。義慶も役に立つことがあった。これからもついてこい」

 という秀頼の言葉に義慶は喜んだ。

「わかったよ。でも、拙者が一番で、おぬしが二番だぞ」

「はっ、おおせのとおり兄貴殿」

 と笑いながら返事をしていた。まずは平穏な新たな旅立ちとなった。めざすは、片倉小十郎の城下白石である。小原からは1日の道のりである。

 城下に入ると、秀頼は

「まずは小十郎景綱殿の墓参りをしようではないか」

 と言って、菩提寺の傑山寺(けっさんじ)に向かった。

 寺の者に小十郎殿の墓の場所を尋ねると、一本杉が指さされ。遺言で墓石はないとのことであった。

 秀頼公が

「小十郎殿らしいな。何ものにもとらわれん方だったからの」

「そうそう。駿府城に来られた初代小十郎殿の存在感はすごかったでござる。主人である政宗公を前に出しながら、要所をおさえて大事なところを外さない。政宗公がだされた考えのほとんどが小十郎殿の策で、例の日の本分割論も元は小十郎殿の考えだとうかがってござる」

「そうであったな。わしが諸国をめぐる武家監察取締役になることも、小十郎殿の考えであったのじゃ」

「それは初耳でござる」

「夜分に政宗と小十郎殿が来てな。政争に巻き込まれないためには、これが一番とぬかしおった。大助を供にするというのも小十郎殿の考えだったのだぞ」

「殿の考えではなかったのでござるか?」

「考えておったが、信繁にいいづらくて迷っておった。それを言わせたのは小十郎殿じゃ。恨むなら小十郎殿を恨めよ」

「恨むことなどござらん。殿とお供ができてうれしく、日々、刺激があっておもしろうござる」

 と大助が言うと、

「拙僧もおもしろうござる」

 と義慶もうなずいた。二人の会話に入り込んできたので、二人は思わず吹き出してしまった。

「ところで、大助の妹が2代目小十郎殿に嫁ぐと聞いておるぞ」

「はっ、拙者も風のたよりで耳にしました。奥方様が亡くなり、その後に阿梅が嫁ぐことに」

「2代目小十郎殿とは大坂でお目にかかったが、鬼小十郎と言われておる。大丈夫か、そのような男に嫁がせて・・・」

「大丈夫でござる。拙者も大坂で面会いたしましたが、見た目はやさ男でござった。ふだんはおだやかで、戦になると鬼に変わるのでござろう」

「男に強くて、女に弱いということか」

「拙僧もそうでござる」

 と義慶が話に割り込んできた。二人の会話に入りたくて仕方がないのだ。二人はまたもや吹き出してしまった。その日は城下の旅籠に宿をとった。


 翌日、突然の訪問では失礼にあたるので、文を書き、明日、城への訪問をするということを伝えた。1日時間があいたので、城下を歩いてみた。すると、町衆が騒いでいる。義慶が詳しいことを聞いてきた。大助とのやりとりを秀頼はだまって聞いている。

「仇討ちだと」

「仇討ち? 侍か?」

「それが百姓の子どもだと」

「なに! 百姓の子ども? どういうことじゃ?」

「それが堀川何某という侍が、大鷹沢という部落に行く途中で、畑仕事をしていた娘から泥をかけられたのだと。わざとではなく、鍬で耕していた時に、たまたま通りかかった侍の着物に泥がかかってしまったそうじゃ」

「ありうる話だな」

「それで、娘はすぐに土下座をして謝ったが、その侍は無礼者と言って、その娘を斬り捨てにしたのじゃ」

「そういう輩か。民がおっての武家なのに・・特権階級とかん違いしている輩だな」

「それで、その弟が仇討ちを果たしたのだと」

「ええ、百姓の子どもが、どうやって?」

「それが、落とし穴を掘り、その侍がくるのを待って、そこに追い込んで落ちたところを竹槍で突いて仇を討ったようじゃ」

「侍としては恥ずかしいことじゃな」

「それで、その子どもは侍殺しとして番屋へ引き立てられたそうじゃ」

「仇討ちは罪にならないはず」

 という大助の疑問に、秀頼が応えた。

「それは仇討ちの免状があればの話。百姓の子どもに免状はでん。大助、番屋に行って様子を見てきてくれ」

「ははっ、すぐに」

 と言って、番屋へ向かった。

 番屋では、同心がどう扱うべきか悩んでいた。侍殺しは大罪である。しかし、事情が事情ゆえに子どもを罰したのでは、武士の横暴を認めることになってしまう。とても番屋で決められることではないので、城内の目付に相談することとなった。

 夕刻に目付がやってきて、事情を聞いて判断を下した。

「堀川も考えなしに、無礼討ちをしたものだ。無礼討ちそのものには問題なかろう。しかし、子どもに討ち取られたのは武士の恥そのもの。よって、その子どもをわが養子としよう。武士の子が姉の仇討ちをするならば問題なかろう。免状のことはなんとかできよう。仇討ちあっぱれじゃ」

 大助はそのことを秀頼と義慶に伝えた。すると、秀頼が

「その目付、うまくおさめたの。子どもを罰せれば、庶民から非難が巻き起こり、堀川何某がその非難の的となる。だからといって、単に許してしまえば武士の威厳が失われる。武家の子どもが仇討ちをしたということにすればつじつまは合うの。さすが、小十郎殿の家来であるな。明日、会うのが楽しみになったぞ」


 翌日、秀頼一行はできうる限りの正装をして、白石城へ入った。義慶は傑山寺から僧服を借用してきた。2人から

「見違えたな」

 と冷やかされている。ふだんは山賊とさして変わらぬ姿だからだ。

 白石城はさして大きな城ではない。神社にあがる階段を100段ほどあがると、左手に大手門が見えてくる。右に天守閣があり、そこには石落としや狭間(さま)といった防御施設があるが、今は不用になったので閉じられている。泰平の世になった現れだ。

 大手門前にある詰め所に名を告げると、事前に連絡がついていたようで、すぐに本丸館へ案内してくれた。本丸館につくと、客間へ通され、用人や女子衆(おなごし)が入れ替わり立ち替わり、茶や茶菓子の世話をしてくれた。

 2代目片倉小十郎重長は名を変えて重綱と名乗っている。初代の名を一文字引き継いだのだ。大名ではないが、領地は2万石といわれているので、大名格である。仙台藩では5人いる家老の一人であり、ふだんは仙台の屋敷にいるのである。今日は不在ということだったが、今こちらに向かっているとのこと。しばし、待たされた。

 待っている時間が長くなりそうなので、用人に天守閣に登りたいと申し出ると、許しがでた。これも泰平の世だからである。よそ者に天守内部を見せるということは、戦国の時代ならばあり得ないことである。

 石積みされた階段を30段ほど登り、天守の扉につく。鉄でできた重厚な扉である。そこを抜けると右に武家たまりの部屋がある。左の広間には武具が並んでいる。端には石落としのしかけがあるが、閉じられている。

 狭くて急な階段を上り、2層目にあがる。ここには食料や予備の武器がおさめられていたとのこと。今は不用になったので、雑多なものが置かれている。いわば倉庫である。そして3層目にあがる。望楼である。四方がよく見える。東には城下があり、遠くには大鷹沢という部落が見える。例の仇討ちがあったところだ。南は国見峠が見える。戦国時代はそこに上杉勢がいた。西は山である。小原は山の方にある。北は街道が続き、仙台に通じている。よく見ていると、馬にのった集団がこちらに向かっている。案内してくれていた用人が、

「殿の一行がやってこられましたぞ」

 ということで、天守を下り、本丸館へもどった。

 客間へもどるとほどなくして、小十郎の一行がやってきた。その先頭は隻眼の武将であった。政宗である。

「これは、これは秀頼公、お待たせして申しわけありませぬ。よくぞ奥州白石へ参られた。しばらくぶりに遠懸けをしてきたのでケツが痛うなった。先日、上杉公から江戸に秀頼公が来られたという文をいただいておったので、次はこちらではないかと」

「わしの動向はつつぬけか」

「武家監察取締役ですので、突然来られることがありますからな」

「その役をおしつけたのは貴殿であろうが」

「おそれいります。して、お役目のほどは? 江戸では上杉公に厳しい苦言を呈したということでござったが」

「そんなに厳しいことは申してはおらぬぞ。ただ直江殿が亡くなってから多少治世がゆるんでおった気がして、それを指摘したまでのことよ」

「ごもっともでござる。それでこそ武家監察取締役。この仕事にご不満か?」

「いや、そんなことはござらん。自由なのが一番。大坂城に閉じ込められているよりはよほどましであるぞ」

「それは何より。今宵はゆるりと語り合おうではないか」

 と上の間で、秀頼と政宗。下の間では小十郎と大助・義慶が膳の前に座り、宴が始まった。用人や女子衆がかいがいしく世話をしてくれている。

 上田で山賊退治をしたことや、江戸でかどわかしを解決したことなどを話すと、政宗はとても喜んでいた。

「さすが、秀頼公、わしが見込んだ御仁じゃ。それでこそ武家のまとめ役。して、白石ではどのようなことが?」

 そこで、皆の箸が止まった。

「小原という地で、熊に襲われた」

 という秀頼の返事で、一同が爆笑した。武家監察取締役の仕事ではなかったからだ。

「それは大変でござったな。その熊は?」

「そこにおる義慶が薙刀で打撃を与え、さらに襲ってきたところを、3人で倒したぞ」

「それは、それはすごい。並の武士ではできぬことぞ」

「それと、昨日いい話を聞いた」

「ほぉー、それは?」

「白石城の目付が名評定をしたのじゃ」

「小十郎知っておるか?」

 という政宗の問いに、小十郎は首を横に振り、用人に尋ねている。

「仇討ちがあって、目付がおさめたとのこと」

「ほぉー、今どき仇討ちとは珍しいの」

 詳しいことを知らない政宗は感心している。そこで、用人にくわしいことを話させた。すると、みるみる顔つきが変わり、

「その目付をすぐに呼べい!」

 と言い出した。えらい剣幕だ。まわりの者は何も言えなくなった。しばらくして、その目付がやってきた。名を八島十兵衛という。小十郎が政宗に紹介する。

「わが配下の目付、八島十兵衛でござる。」

 そこに政宗が口を開く。

「昨日の仇討ちの評定の詳細を申せ」

 そこで十兵衛が仇討ちの顚末を話した。話し終わると政宗が

「お主はそれで解決したと思っておるだろうが、民はどう思っておるだろうか」

 その問いに、十兵衛はこたえられなかった。

「民はその子どもが罰せられなかったことを喜んだことであろう。しかし、その武士の堀川の所業にはまだ憤りが残っておろう」

 十兵衛は(しかし、それは無礼討ちゆえ)と言いたそうだった。政宗の言葉が続く。

「無礼討ちと言いたいか、それは武士の論法じゃ。民には迷惑な話。農作業の最中に起きたことは、そこに近づいた武士が気をつけねばならぬこと。大名行列ではないのだからの。それで泥をかけられても、その場に近づいた者にも過失がある。ましてやその娘はすぐに土下座をして謝ったのであろう。謝らなければ無礼討ちの意味もあろうが、弱い立場の百姓の娘を斬ったことは罪。ましてや堀川は武士としてあるまじき死に方をしておる。お家断絶にすべきだった」

 十兵衛はひれ伏している。そこに秀頼が口を開いた。

「それは重すぎでござらんか。お家断絶をすれば、その息子がまた恨みをもつぞ。そして、その百姓の息子がねらわれることになる。恨みの連鎖は避けるべきでござろう」

 政宗はしばし秀頼の顔を見て、

「秀頼公のおっしゃるとおりやもしれん。お家断絶はやめじゃ。だが、堀川を罰せねばならぬ。土葬は認めるが、墓石の建立はならぬと申し付けよ。一族の恥とせよ。ところで、その百姓の息子をその方は養子にしたのじゃな」

「いえ、まだでござる」

「なにをぐずぐずしておる。さっさとせねば、民に笑われるぞ」

 と政宗に言われ、十兵衛はすごすごと下がっていった。秀頼は政宗に

「仙台藩にはいい家臣がおるな。武士の論法をおしつけるのではなく、民のことも考えておる。すばらしいことじゃ」

「まだまだでござる。秀頼公のおかげで戦のない世になったのでござる。それによって武士が存在価値をなくして、統治者としての価値が求められるようになったのじゃ。武士としての威厳だけでは統治者にはなれんのじゃ。民の敵になってはならん。民がおっての武家だということを家臣たちにしっかり衆知せねばならぬ」

「その考え、大事でござるな」

 と、それからは小十郎の正室となる阿梅の話になった。大助は、小さき時のことしか知らず、その後の妹のことはよく知らなかった。政宗は、会ったことがあるらしく、盛んにほめていた。嫁入りは来春だという。

 

 翌日、政宗は仙台にもどっていった。去り際、

「秀頼公、もうじき冬じゃがどうなされる?」

「そうじゃな、山寺にまいるつもりじゃが」

「最上領か。何かと気をつけられよ」

「なんじゃ、その思わせぶりな口ぶりは」

「なにもござらんが、雪が降る前に仙台で、一冬過ごしてはどうじゃ?」

「それはありがたい。では、仙台で再会じゃな」

 と言って別れた。

 これで奥州白石での任務を完了した。


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