第20話 冤罪

 それは、仕方がなく父娘おやこの昼食風景でも眺めようとしていた時のことだった。


 俺は今日、何も予定が無い志依と夜までイチャイチャするつもりでいた。

 でもなぜだか昼前に志依の父親が仕事から帰ってきて。そのお陰で、ベッドの上でくつろいでいた俺は見えない体のくせに焦って飛び起きてしまったんだ。

 って、そこじゃなくて。


 帰ってきた父親の様子がおかしかったんだ。

 憔悴したように顔色が悪くて、いつもだったら志依のことを無駄に心配して多くなる口数が少なくて、逆に志依が心配していた。


 まぁそんなわけで今に至るのだけど、溺愛する娘が作った料理だっていうのに箸を付けないから妙だと思っていたのだが……


 は? フランス、だと?


 待て待て。志依は二日後に、大会会場がある栃木へ現地入りしなきゃいけない。そんなタイミングでフランスに連れて行こうだなんて、この親父は一体どういうつもりなんだ?


「あーこれはきっと、僕たちの所為かもね~」


 お兄さんが顎を撫でながら俺の横に付いてきた。


『ちょっと肩ぶつけて来ないでくださいよっ。つか僕たちの所為って、それどういう意味です? お兄さんはともかく、俺は何もしてませんからね』

「いやいや、居付いてる時点で駄目なんだよ。僕らみたいのが一緒に居ると、運が無くなったりタイミングが悪くなったりするから。こういうのは幽霊業界ではよく聞く話なんだよ?」

『何マウントですかそれ……。でもそれじゃあお兄さんは、俺たちが近くに居る所為でフランス行きが決まったとでも言うんですか? こじ付けもはなはだしいですって。よく聞く話ってやつも、どうせ偶然か何かでしょう?』


 俺はお兄さんの話を、なかば馬鹿にしつつ否定した。だけど志依に支障が出るって聞くと、あまり無下に出来る内容でもなくて。


 志依のエネルギーを食わねーようにしていればいいと思っていたが、疫病神やくびょうがみって言葉もあるくらいだもんな……。


 そう俺がモヤっていると、志依がそっと口を開いた。


「旅行に行くの……? でも私、明後日には……」

「わかってる……だから本当に——ごめんっっ!!!!」

『どわっ』


 ど、土下座ぁぁ~!? しかも偶然とはいえ、よりにもよって俺の足元で!?


 父親は俺が立っているとも気付かずに、フローリングへ額を打ち付けた。ゴンッという鈍い音を短く鳴らし、娘に向かって謝っている。痛々しい。


「まるで浮気がバレた人みたいだねっ。席を立ってから土下座までが流れるようだった」

『お兄さん……』


 志依に聞こえないからって不謹慎な例えを……。


 志依は困惑しながらも、何とか顔を上げてもらおうと自分も床に膝をついて必死に父親へと呼びかけていた。


「お父さん、何で謝るの……? もしかしてお仕事で行かなきゃいけないの……?」


 志依の問い掛けに父親の大きな体がギクッと揺れた。

 ——ん? 今の反応は何だ?


「あ、ああ……実はそうなんだ……」

「そっか……お父さん、それなら仕方ないよ。だから頑張って。いってらっしゃい……」

「ああ! お父さんいってきま——……へ?」


 父親は顔を上げて固まった。


「志依……今何て……? お父さんが志依を置き去りにして日本を離れるわけないだろう!? それに今回の場合は、いつ帰国が出来るかが正直わからないんだ……」


 何だって……?


「で、でも先輩との最後のリレーがあるし、幽霊さんたちもいるから、私は独りぼっちじゃないよ……?」


 俺は思わずお兄さんと顔を見合わせた。


 そうだよく言った志依! たとえ見えないとしても、親が居るとかまじ気ぃ遣うんだよこっちはっ。しっしっ!


「ゆ、幽霊さんたちって志依。まさかお前……お父さんが不甲斐ないばかりに頭おかしくなっちゃったんじゃあ……?」


 そうだよな。実際に父親が居てもエプロン男が出たわけだし。こんな雛鳥みたいなか弱い娘を置いて単身海外に飛んだら、不安で生きた心地がしないだろう。


「置き去りなんてさらさら考えていなかったが、今ので罪悪感が消えた。志依、良い子だからお父さんと一緒に来なさい!」

「そんな……っ。えーちゃんびーちゃんとも離れたくないよ……ふぇ」

「志依……」


 あーあ、泣いちゃった。志依が泣くと世界一可哀想に見える。


 ふえーんと泣き出す志依に父親はオロオロするばかりだったが、どこか観念したかのようにため息を吐いた後、口を開いたのだった。


「すまない志依……こんなこと突然言われても戸惑うよな。言い訳になっちゃうんだけど、実はお父さんが移動を言い渡されたのは今朝だったんだ……」

「え……」


 おいおい、それはまた急だな……って、お兄さん何してるんだよ!?


「そうだったんだ……。それじゃあ仕方ないよね……。お父さん、わがまま言ってごめんなさい」

「志依……。お、お父さんもなっ、たくさんお願いはしたんだっ。でもどうにも聞き入れてもらえなくて。本当、本当すまない……」


 志依たち父娘は項垂れてしまう。


「よいこらしょっと……」

『あ、お兄さんっ。ちょっと何のんきに志依の親父に憑りついてたんですかっ』

「いやいや、もしフランスに行くなんてことが本当になったら困るからさ。僕は……あ、いや、僕らは憑いて行けないし」

『えっ、そうなんですか? じゃあ俺、志依と離ればなれになっちゃうじゃないですか!』

「うん、そ。困るでしょ~う? でも朗報。なんか不倫したっぽいんだお父さん。それが原因で海外勤務になるらしいよ」

『は……? ふっ、不倫!?』


 この綺麗なおっさんが不倫!? つか朗報じゃねーだろそれ。


「あ、ごめん。してないよ」

『ちょちょちょっ、どっちなんですか!? つか何でこんな時にそんな変な嘘付くんですかっ、めてくださいよ!』

「嘘って言うか、決めつけられちゃったみたい。上司の奥さんと不倫したってさ」

『あ? ええっと、つまりそれって……』


 冤罪ってやつ!?


『じゃあもしその疑いを晴らしたら!』

「うん。移動も無くなるかもしれない」

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