第36話 荘興、白麗との出会いを語る
「園さまだ。どのような席でも、あのお方は引っ掻きまわさなくては気のすまぬお人だからな。まあ、そうなれば、宗主がうまくさばかれることではあろうが。萬姜、我々の仕事は白麗さまを座敷にお連れすること。その後のことは、宗主にお任せするしかない」
その言葉に心を決めた萬姜は立ち上がる。そして、少女の足元にうずくまり白麗の着物の長い裾を直していた嬉児に声をかけた。
「嬉児、さあ、まいりますよ。大丈夫、梨佳お姉ちゃまに教えてもらったとおりにすれば、心配なことはないですからね」
嬉児もまた彩楽堂が誂えた新しい薄桃色の着物を着て、その顔には薄く化粧もほどこしていた。今日の花見の宴において、彼女は幼いながらも裾持ちという大役を任されている。
「うん、おかあちゃま。あたちはだいじょうぶだよ。はくれいおねえちゃまのことは、あたちにどんとまかせて!」
顔をあげて嬉児は元気よく答えた。そしてその胸を小さな手でぽんと叩いた。そのしぐさがあまりにも母親に似ていたので、滅多に感情を表にださない允陶が噴き出しそうになり、慌てて横を向く。
「お嬢さま、たくさんのお客人が、お嬢さまの笛の音を聴こうとして待っておられます。さあ、お出ましになられませ」
我が子の言葉に意を決した萬姜は少女の手に愛笛を持たせると、明るい声で言った。
※ ※ ※
妓女たちが盃に注いだ美酒は、花見の宴の客人たちの喉を何度も潤す。それにつれて座の雰囲気は和やかなものとなる。あと一、二杯盃を傾ければ、誰もが騒がしくなり乱れてくるだろう。座を見渡した荘興がおもむろに立ち上がった。
「我が屋敷の客人方、白麗さまを披露目するときがきた」
一瞬にして座は鎮まった。楽曲は止み、舞うのをやめた踊り子たちがその場に平伏する。皆もまた盃を戻してかしこまる。
しかし、園剋は盃を口元に運んだままだ。その横で、康記と春兎は人目もはばからず戯れ続けている。さすがに長兄の健敬がみかねて咎めようとしたが、それを荘興は目で制した。彼は言葉を続ける。
「この席で、白麗さまをお披露目するのもいかがなものかと考えはしたのだが。巷には、白麗さまは人ではないというものがいるそうだ。また、白麗さまの吹く笛の音を聴けば、万病が治ると信じるものまでいるとか」
すでに白麗を見知っている者たちはかすかに頷き、噂だけでしか知らぬ者たちは、否が応なく期待を高めて喉仏をごくりと鳴らす。
「それゆえに、今日は皆々方の目で、それらのことが果たして真実なのか、見とどけてもらいたい。家宰、白麗さまをこちらに案内せよ」
そのとき、盃を持ったまま園剋が口を開いた。蛇のような感情のない目で彼は満座を見回す。
「ちょっと待って欲しい、義兄上。天女のように美しいとか言われている白麗というおなごの披露目の前に、ぜひにでも、教えてもらいたいことがある。義兄上とそのおなごの馴れ初めを知りたいと思うのは、この席でおれ一人ではないと思うが。白い髪のおなごを義兄上は西国から来た姉弟の女衒より買ったという噂もある。そのような話を、皆も聞いているだろう?」
小馬鹿にした園剋の言葉に、普段は穏やかな健敬の顔が怒りで真っ赤になった。老いても気骨のある関景は跳びかからんばかりに腰を浮かした。だが、あとのものは蛇と目が合わぬようにとうつむく。園剋の意に染まぬことを言ったりしたりすれば、そのあとの仕返しがどれほど陰湿なものか皆は知っている。
自分の言葉が皆を畏れさせたと知って満足した彼は、その赤い舌先でちろりと唇をなめた。だが、荘興は顔色を変えることなく語り始めた。
「三十年昔のこととなる。おれはまだ若く、青陵国を放浪していた時のことだ。
旅の途中で出会った老僧より不思議な話を耳にした。この広い中華大陸をさまよう不老不死の少女のことだ。その少女の髪は白く、そのものの吹く笛の音の妙なること天上の調べのごとくだとか。
その後、慶央に戻ってより、そのような少女がいるのであれば、会ってみたいものだと思い探すことにした。そのために、人の出入りを扱う家業の口入れ屋に精を出し、それがいつのまにか荘本家三千人といわれるほどに大きくなったのは、皆の者も知ってのとおりだ。だが、陰では、荘本家宗主の道楽と言われていたとも承知している」
その言葉に覚えのある者たちから笑いが起きる。めでたい酒の席だ、皆で笑えば宗主の悋気も園剋の蛇のような睨みも怖くない。
荘康もまた自分の言葉に笑う者たちを眺め回して、座が静まるのを待った。少女を探し続けた三十年という時の流れに比べれば、この時は一瞬よりもまだ短い。
「しかしながら、おれの念願を天は見限らなかった。昨年の秋に、白麗さまに出会うことが出来た。そして、幸運にも、我が屋敷に住んでもらうこととなった。
園剋、このような摩訶不思議な話に、おまえが何を思い何を考えようがそれは自由だ。しかし、これだけははっきりと言っておく。
白麗さまと旅をしていた姉と弟は女衒ではない。彼らはこの中華大陸の西の果てにある西華国の皇族の端に連なるもの達だと聞いた。その二人が仕えていたのであるから、白麗さまの出自も高貴であることに間違いはない。おなごなどという軽んじた言葉は慎んで欲しい」
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