第32話 どのように忙しくても、いつもの允陶
花見の宴の準備で洗濯女たちも忙しいが、荘本家屋敷の中で一番忙しいのは家宰の允陶だろう。だが、忙しさを顔に出さないのも、屋敷の中では彼ただ一人だ。
当日の料理の献立に酒の手配に部屋の設えなど……。
彼が直接に体を動かしてするものではないが、その一つ一つに現場からのお伺いがあって、それに答えるのは家宰の仕事だ。そのうえに彼には普段の仕事も山のようにあるはずだ。しかし、ネズミ顔の鼻の下に生やしているまばらな髭をぴくりと動かすこともなく、誰に何を聞かれても手際よく差配する。
そしてその手配の手腕が冷徹にいかんなく発揮されたのは、花見の宴の招待客の選別においてだった。
荘本家の花見の宴のもともとは、盆も正月もなく働く荘家の者たちと使用人たちを慰労するためにあったものだ。しかし、招かれて荘康と顔つなぎしたい役人や豪族や豪商は慶央の街には数多くいる。彼らは賓客として招かれることを望んだ。
そのうえに、今回は荘興が三十年かけて探したという髪の白い少女のお披露目も兼ねているというではないか。それであればなおさらだ。
白麗という名の少女の容姿は天女のように美しいという。そのうえに、少女の吹く笛の音を聴けば万病もたちどころに治るらしい。尾ひれのついた噂だと知ってはいても、慶央の街に住む者の誰もが招かれることを望んだのは当然だろう。
わざわざ荘本家まで使いを寄こして、家宰の前に銭を山のように積んだ盆を差し出す者もいた。
「允さま、これは我が屋敷当主の気持ちです。どうか、宗主さまにはご内密にお納めください」
允陶への露骨な賄賂だ。
だが、慇懃無礼な彼は顔色どころか目の色さえも変えない。自分の膝元まで盆を引き寄せ相手の手が届かないことを確信してから、取りつく島もない声で彼は言う。
「当屋敷の広さもあるゆえに、そちらのご希望についてはなんとも答えることは出来ません。しかしながら、荘本家へのご多分のご喜捨、ありがたく受けとらせていただきます。宗主にも必ずやお伝えいたしますれば、さぞ喜ばれることと存じます。どうか、帰り道にはくれぐれもお気をつけください」
使者としての役目を果たせなかった男は、門を出たところで悪態をつく。
「おのれ、しょぼくれたネズミ男が。こちらから頭を下げてやったというのに、なにが帰り道にはお気をつけくださいだ。たかが、家宰の分際で」
そう罵ったところで、すべてはあとの祭りだ。
誰を客人として招いて、誰を招かないのか。彼の人選に間違いはない。その采配ぶりは非情と思えるほどにみごとだった。
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