32.教会
フェリクスとヴィルフリートが宿に戻ると、クリストフ、デニス、ガブリエラの三人は昼食からまだ戻っていなかったため、しばらく待つことになった。
全員揃ってから、定食屋であったことを話す。聖女らしき女性が見つかったという事実に、クリストフが特に喜んでいた。
「……そういうわけで、聖女だと思う。あと、たぶん……」
「娘さん……ですよね……?」
「王族の色だもんな。しかも名字が……。本人は気付いてるんだろうか」
ガブリエラがフェリクスの言葉を繋ぎ、デニスが補足するように口を開いた。
「あとでここに来てくれるから、聞いてみようと思ってる。うう、緊張する……どうしよう、罵られたら……」
「思う存分罵られてこい」
ヴィルフリートが真顔でそう言うのが何となく可笑しくて、フェリクスは少し笑いを漏らす。
「何で笑うんだよ」
「ヴィルらしいなと思って」
「子供の喧嘩なんてそんなもんだ。怪我させない程度に思い切りやってこいって、俺は言うぞ」
「また子供扱い? 僕とヴィル同じ年だってこと忘れてない?」
「あ、そうだ、バングルは持ってていいから。フェリクスすぐぼんやりするもんな」
「えー……、大丈夫だと思うんだけど……、じゃあ持ってるよ……」
フェリクスの言葉を受け、「持ってるんだ」と、デニスが喉の奥で笑い出す。いつもと同じような会話が繰り広げられているが、フェリクスはやはり落ち着かない気分だ。
「あれ、そういえばヴィル、昼食は?」
「……食べてない」
ふとフェリクスが気付いたことを口にすると、一拍置いてからヴィルフリートが不機嫌さを滲ませた口調で答えた。
「えっ、何で? もしかして僕のせい?」
「腹が減ってなかったからだよ、気にするな」
「いや、そこは気にするよ。大丈夫? 何か食べておいた方がいいんじゃ?」
「今は食べたくない」
問いを続けるフェリクスを見ようともせず、ヴィルフリートが素っ気なく答える。
「ヴィルはすぐにムカムカするんだよな。あれが起こるとやばいんだよ」
「……クリス、よけいな……」
「起こるとやばいって、何が?」
フェリクスはヴィルフリートに尋ねているのだが、本人はそっぽを向いたまま口を閉ざしてしまった。クリストフが「おい、ちゃんと説明しろよ」と小言を言うが、素知らぬふりで流している。
「ったく、しょうがねえな。フェリクスが心配で腹のあたりがムカムカし始めたんだとさ。そいつが起こると脳内に嫌な記憶が蘇るらしい」
「そ、そうなんだ……」
「よけいなこと言うな。別にすぐにムカムカするわけじゃないし、心配もしてない。腹が減ってなくて、暇だから迎えに行っただけだ」
クリストフが代わりに説明すると、やっとヴィルフリートの口が開いた。しかしやはり素っ気ない言い方だ。
「心配かけてごめん」
「心配してないって言ってるだろ。フェリクスが謝る必要なんてない」
「うん。心配してくれてありがとう」
わかりやすい嘘など本気になんてしないとでもいうように、フェリクスは言葉を続ける。定食屋からの帰り道、自分を見つけてほっとしたような表情を浮かべたのを、そんなに早く忘れるものか、と。
「……俺は出かける。夕食の時間までには戻る。女性相手だから、悪いがガブリエラが立ち会ってくれないか。必要そうだったらで構わないから」
「あ、はい、わかりました」
唐突に自分の名前を出され慌てて返答するガブリエラに軽くうなずいてから、ヴィルフリートは椅子の背もたれにかけていた上着を手に立ち上がった。
「どこ行くの?」
フェリクスの問いに、答えは返ってこない。ヴィルフリートの視線はもう扉の方を向いている。
「……俺も行くよ」
「じゃあさっさと上着持って来いよ。もう出るぞ」
クリストフの申し出にぶっきらぼうに応じると、ヴィルフリートは扉を出て行った。
**********
ヴィルフリートの行き先は、町の教会だった。小ぢんまりとした建物で清掃が行き届いており、使い込まれた飾り気のない木のベンチや、静かな水面に映る木々の葉のような淡い緑色の柱が、落ち着いた雰囲気を醸し出している。
「なあ、おまえ、デニスとガブリエラがいたからあんな態度取ったんだろ」
「何のことだ」
「フェリクスがいなくなっておまえが取り乱した時の話だよ」
「……あいつらに、よけいなこと考えさせたくなくて」
「やっぱり。あの二人のことなら気にするな、もうすっかり立ち直ってそうだぞ。ヴィルは気の遣い方が下手だな」
「悪かったな」
二人は入口付近のベンチに並んで座っている。一人の高齢と思われる女性が出て行ってから他に人はいないが、それでもなるべく抑えた声で話すクリストフに、ヴィルフリートは相変わらず素っ気ない態度だ。
「しかし、まさか行き先が教会とはね」
「……初めて自分の意思を出したのが、その女性に対してだったんだろ、フェリクスは」
教会なんて普段近寄りもしない場所に来た理由はやはりフェリクスのことかと、クリストフは少々呆れたようにヴィルフリートの顔を見た。本人のいる前で話してもいいだろうになどと思いながら、静かに次の言葉を待つ。
「クリス、十三歳の時に何してたか覚えてるか? 俺は伸び盛りだったからとにかく食欲旺盛で、食べ物のことと女の子のことと、魔法のことばかり考えてたんだ。親の庇護があるのは当たり前だと思ってた。そんなこと、意識の端にも上ってこなかった」
「俺も似たようなもんだったよ。魔法じゃなくて剣だったが」
「十三歳なんてそんなもんだよな? うちの息子たちもそうだった。でもフェリクスは、陛下が立太子した十三歳の時に神殿に……。そんな人物の意思なんて、あってないようなものだ」
「……まあ、な」
自分のことでもないのにうつむき加減で悔しそうな表情を浮かべ、ヴィルフリートは一旦そこで言葉を切った。普段どれだけ愚痴や屁理屈が多くても、馬に嫌われるようなことばかりしていても、気遣いが下手で受け答えがおかしくても、クリストフがヴィルフリートを好ましく思い続けるのは、このような本質を持っているとわかっているからだ。
「普通なら、愛し合う同士の男女が子供を持ったら祝福されるんだ。フェリクスに何の罪があるっていうんだよ。……ああ、またムカムカしてきた……」
「おっ、おい、こんなところで殴りたくなんてないぞ、がんばれよ」
「わかってるよ。とにかく、俺は女神様に祈ることしかできないんだ。こんな時だけ頼られて、女神様も迷惑かもしれないが」
「……祈ることしかできないなんてことは、ないと思うが……。俺なら、罵られようが何を言われようが、待ってるやつがいるってだけで救われる。さっきの子供のたとえで言うと、喧嘩して帰って、親が待ってると安心だろ?」
フェリクスが「後悔しないように」とクリストフに訴えたあの夜の出来事が、鮮やかに思い出される。彼が二十六年前をやり直せたら、とクリストフは強く思う。おそらくヴィルフリートも同じ考えだろう。
「……そうか。じゃあ祈りは早めに切り上げて、待っててやろう」
少しだけ口元に笑みを浮かべて言うヴィルフリートを見ながら、「やっぱり子供扱いか」という言葉を、クリストフは飲み込んだ。
**********
ひとしきり教会での時間を過ごし、「砂糖菓子を買って帰ろう」というヴィルフリートの提案で二人は教会を出た。市場へと向かう道は多くの人々が交差していて、賑やかさを見せている。
「聖女様も見つかったことだし、ミアや子供たちに会える日も近そうだ」
「おう。と言いたいところだが、辺境伯に会いに行くって面倒な用事があるぞ」
「はぁ……そう、それ……。勅令とわかってはいても面倒すぎる。もういいだろ、デニスとガブリエラはレオンの軍にでも放り込んでおけばいいんだし」
そんな話をしながら市場へと入り高級菓子を探していると、店先で店員と話す女性の「もうすぐ公爵様の軍が来るらしいわよ。明日か明後日あたりかしら」という声が聞こえてきた。
「お、クリス、今の聞いたか? 明日か明後日あたりだってさ」
「ちょうどいいな、じゃあ俺らもその頃に合わせて辺境伯の城に行くか。面倒だが」
「面倒だよなぁ……。でも、会ったら言いたいことはたくさんあるんだ」
「ヴィルはそういうことには口が回る方だからな……程々にしとけよ……」
二人は上質な材料を使った菓子を何種類か買い、市場をあとにする。祈りは女神様に届いただろうか、願いがある時だけ頼ってすみませんとでも謝っておけばよかったかと思いながら、ヴィルフリートはクリストフの隣を宿に向かって歩き続けた。
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