12.昔話


「ギルドの用心棒って大変だね。さっきのやつは簡単に伸びたからいいけど」


「ああ、でも受付は女性が多いから、俺みたいなのが守らないと」


「クリスすごく格好良かったよ。特に彼女の悲鳴を聞いて走ってる時」


「そこかよ」


 騎士団の詰め所からギルドへの帰り道、フェリクスの言葉でクリストフが朗らかに笑う。暗い時間帯ではあるが、建物からの明かりとクリストフが出した魔法の小さな炎のおかげで、石畳につまずくことなく歩を進めることができている。


「しかし寒いな……リーゼにもう一枚何か着せておけばよかった。ヴィルは失言してないだろうか……」


「そんなに心配なら、自分で送って行けばよかったのに。氷角灯アイス・ランタン代わりにこの炎の明かりでいいじゃないか」


「詰め所に行くなら、当事者の方がいいだろ? それに、ただの炎より氷角灯アイス・ランタンの方がきれいだからな」


「……うーん、まあ、そうだけど……。あっ、そうだ、この町も騎士団員少なかったから結界張っておこう」


 そう言ってフェリクスは立ち止まり、髪と目の魔法を解くとオートレーの町で行ったのと同じように結界魔法を展開させた。


「いつ見てもきれいな銀色だな」


「これでしばらく魔物は入って来ない、と」


「魔法はいいな、きれいで。さっきも、フェリクスとヴィルがうらやましくて炎出したんだ。俺は簡単なのしか使えないけどな」


「……クリスさ、この町に来てからうらやましいって言うこと増えたよね。何で?」


 背の高いクリストフを見上げるように、フェリクスがフードの下から青い瞳に視線を合わせる。


「何で、って、そりゃきれいなものには憧れ……」


「聞きたいことは他にもあるんだ。ギルドの部屋で話そう」


 クリストフの言葉を遮って真剣な表情で言うと、フェリクスは返答を待たずに歩みを速める。


「おい、明かりがないと危ないぞ」


 小さな炎と共に軽く走り、すぐに隣に並んだクリストフを見て、フェリクスは小さく息をついた。



**********



「おかえり。あれ? フェリクスもしかして結界張ったか? 気付かなかったな」


「うん、ついさっき。ヴィルの方が先に着いてたからじゃないかな」


 髪と目の色が元に戻っているフェリクスに気付き、ヴィルフリートが尋ねる。既に暖まっている部屋で大きめの上着をするすると脱ぎ、フェリクスは答えた。


「なるほど。俺はけっこう早く戻れたんだよ。リーゼちゃん、ここの近くの寮に住んでるから。宿にもすんなり話通せたし……ああ、そうそう、明日からあと二泊する予定だって伝えておいたけど、いいよな?」


 椅子に座ったクリストフが、ヴィルフリートに返答する。


「いいんじゃないか。二泊より日数かかりそうだが……」


「さっさと聖女探し一行の噂が広まってほしいところだよな。ああ、愛しいミアに早く会いたい」


 冗談めかして言うヴィルフリートの正面で、いつもならふっと笑みを漏らすフェリクスの表情が硬くなっている。


「……フェリクス、どうした? 具合でも悪いのか? 寒いならこっちに来いよ。暖炉近いぞ」


「えっ?」


「ぼんやりしてるな。もう寝た方がいいんじゃないか」


「……ごめん、大丈夫だよ。考え事してただけなんだ」


 心配するヴィルフリートに弱々しく微笑むとフェリクスは椅子に座り、「クリスのこと考えてた」と言った。


「クリスのこと?」


「魔法や人の容姿をうらやましいって、この町に来てから言うようになったなって」


「……んー、言われてみれば……。ただ、この町に到着する前にも馬車の中で言ってたぞ。俺が息子にほめられたのがうらやましい、自分もほめられたい、って。な、クリス?」


「あ、ああ」


「だから俺は、受付の女性がクリスのこと優しい人だってほめてたぞ、って言ったんだよ。覚えてるか?」


「……覚えてるよ」


 きっとリーゼロッテ絡みだと予想はつくが、フェリクスがそんなに気にしているのには何かわけがあるのだろうと、バツが悪そうにうつむくクリストフにヴィルフリートは質問を投げかける。


「僕も覚えてるよ。その返事は『いや、でもなぁ』っていう否定だったよね。……うらやましいなんて、思うのは何で?」


「何で、って、だからさっきも言ったろ? 魔法はきれいだから憧れるんだって」


「僕の見た目も?」


「ああ、そうだよ。この年になっても優しげできれいなフェリクスがうらやましいんだ。俺はこんなだから」


「リーゼがクリスの枕元に飾った青真珠花のこと、知ってる?」


「青真珠花? ああ、あったな。きれいな花だ」


 追及するようなフェリクスの問いに、クリストフが矢継ぎ早に答える。まるで事前に答えを用意していたかのように。


「きれいな花……それだけ? 何で気付かないんだよ、鈍感」


「……さっきから、いちいち突っかかってきやがって……。一体何が言いたいんだよ」


 クリストフは、眉根を寄せて訝しげにフェリクスを見てから、目をそらした。


「青はクリスの目の色だろう? あれは生命力が強いんだ、何度抜いても生えてきて、日陰でも花が咲いて……何で、わからないんだよ」


「確かに目の色と同じだが、そこまで言われるようなことか?」


「さっきなんか、冷たい態度取ったのに、僕を気遣って『危ないぞ』って……優しくてきれいなのはクリスの方だろう。リーゼはそれをまっすぐに見ている。なのに、クリスは人をうらやましがるだけで、リーゼのことも自分の気持ちも見ようとしていない。クリスは鈍感なんかじゃない、臆病なだけだ!」


「……んだと? 言うに事欠いて、臆病だ? ふざけんな!」


「ふざけてるのはどっちだよ! クリスはっ……」


「だから、何が言いたいんだって言ってんだろ! はっきり言え!」


「じゃあ言うけど、リーゼのことどう思ってるんだよ! 好きなんだろ!?」


「だったら何だ!? おまえはいいよな、見た目がよけりゃちょっと話しただけの酒場の女の子だって一発だもんな!」


「……ああ、そう。そういうこと言うんだ。なら仕方ないね……」


「やられねえぞ、ヴィルほどじゃねえが俺だって速く動けるんだからな」


「……天界の守護者よ、我が身に加護を……」


「詠唱やめろ、フェリクス! 双方、手は出すな。建物が壊れて人が死ぬ。主に俺が。詠唱以外の口でいけ」


 椅子から立ち上がった二人の喧嘩がどんどん白熱していくのをさすがに見ていられなくなり、いつの間にか仲裁役に収められていたヴィルフリートが口を出した。フェリクスの詠唱はそこで止まり、何とか大惨事を抑えられたことに胸をなでおろす。


「あと、気持ちはよくわかるが、臆病は言い過ぎじゃないか」


「何でだよ、事実だろう。容姿と年齢を言い訳にして逃げてるだけなんだから。花を咲かせろと言ったのはヴィルだ。まさか覚えていないとでも?」


「……そうだな、悪かった。フェリクス、もしかして……」


 娼館を訪れたあと、あけすけな話はできないと寂しそうに笑ったフェリクスの姿をヴィルフリートは思い出した。フェリクスはそんなヴィルフリートから視線を外すと、クリストフをキッと見据える。


「あと二十年もしたら女神様の御下みもとだと言ったな。言い替えると、あと二十年もある」


「……だから、何だよ」


「いい加減、自分の気持ちをごまかすのはやめろよ。取り返しがつかなくなる前に何とかしないと……、長い間……後悔を……」


 震える手を握りしめ、フェリクスは椅子に腰を下ろしてうつむいた。彼がどんな表情をしているのかは、はっきりとはわからない。ヴィルフリートとクリストフも椅子に座り、フェリクスを注視する。


「……フェリクス?」


 しばらくの沈黙のあと、クリストフがフェリクスの名を呼ぶと、彼はゆっくりと顔を上げて静かに言った。


「……クリス、ごめん」


「え、あ、ああ……俺も、その……、悪かったよ」


「クリスは悪くない」


「いや、フェリクスにそんなつらそうな顔させてるのは俺だろ」


 確かに、ヴィルフリートから見てもフェリクスはつらそうだ。青ざめた顔でじっとテーブルの一点を見つめる紫の目には、悲しみの影が映っている。


「つらそう? そんなことないよ」


「自分の気持ちをごまかすのはやめろって、フェリクスが言ったんだぞ」


 無理に笑ってみせるフェリクスに、穏やかな口調ながらも、クリストフがきっぱりと言った。ヴィルフリートも口を開き、その言葉に畳み掛ける。


「『そろそろいいのかも』とも言ってたじゃないか」


「……そうか、そうだね……じゃあ、昔話を……」


 気まずさをごまかすように口元に笑みを貼り付け、「もう二十六年も前なんだけど」と言ってからフェリクスは話し始めた。


「王都の職人街から、神殿に布を納入していた女性がいてね。いつも元気で明るい人だった。僕は彼女のことを好きだったんだ。時間が取れると、神殿の控室でお茶を飲みながら色んな話をした。だから、彼女のお母さんが病で床に臥せていることも知っていた。なのに彼女が田舎に帰るって言い出した時、すごく動揺してしまって……」


「そりゃ、会えなくなるなら動揺だってするだろ」


 ただの相槌でも何となく言葉を発するのが憚られるが、ヴィルフリートはなるべくフェリクスの話を邪魔しないように気を付けながら、口を挟む。


「普通はそうだと思う。でも僕の場合は、その……、もしも子ができたら、争いの道具にされるかもしれないし……。自分の気持ちはずっと隠しておこうと思ってたんだよ」


「ああ、そうか……ごめん」


 ヴィルフリートが謝り、フェリクスが首を横に振る。今晩はギルドの向かいの酒場も、普段より静かなようだ。時々パチッと爆ぜる暖炉の火の音だけが響くこの部屋で、ヴィルフリートとクリストフの耳は、フェリクスの小さな声を拾っている。


「それなのに、言ってしまったんだ。『いつか迎えに行く』って。そんなことできるわけないのに、絶対に言ってはいけなかったのに、どうしても自分を抑えられなくて……関係まで……。王族だってことは伝えてなかったけど、罪滅ぼしのつもりで、アメジストのペンダントを渡して、髪と目の色を変える魔法を教えて……。本当に、馬鹿だったと思う。今でも後悔ばかりしてる」


「……そんな、ことが……」


 ヴィルフリートの言葉が聞こえているのかいないのか、テーブルの上で震える手に落ちる涙を拭こうともせず、ただフェリクスは話し続ける。


「この髪と目が、自分の血が、どんなに恨めしかったか。生きるのがつらくて、死のうと思った。何もかも捨てて彼女の元へ行って、一生髪と目の色を変えて生きていくことも考えた。でも、どちらもできなかった。僕は馬鹿で臆病だったんだ。……レオンが、うらやましかった。ひと悶着はあったけど、好きになった女性と一緒になれたレオンが。第二王子だった僕はただの兄の代わりでしかなくて、兄が立太子した時に神殿に放り込まれたんだ。養子にもらってくれたベルツの家に、迷惑はかけられない。その時点で、あきらめて、いたはずなのにっ……」


 頬に幾筋も涙を流したまま、フェリクスは顔を上げてクリスを見た。


「……本当に、ごめん。八つ当たりだった」


「んなことねえよ、俺の方こそ……」


「クリスは誰かをうらやんだりする必要はないんだよ。何のしがらみもなく、人を好きになっていいんだ。後悔、しないように……しないと……」


「……そうか、わかった」


 フェリクスとのやり取りを重ねたクリストフは少しの間のあと、短く息を吐いてから穏やかに言った。


「フェリクスがいてよかった」


 涙に濡れた紫の目が、大きく見開かれる。


「死なないでいてくれてよかった」


「ば、か、だろ、あんなに、罵ったのに」 


「謝ってくれたじゃないか。俺も悪かったし……。あと、女神様に祈ってくれるんだろ? それでチャラだ」


「や、っぱり、馬鹿だ……」


「馬鹿でいいから、ほら。これしかないから、我慢しろよ」


 クリストフが投げて寄越した洗いたてのシャツに顔を埋め、二十六年間誰にも話せなかった思いを、フェリクスは溢れる涙とともに流し続けた。

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