勇者物語の後始末
文月紲
雨空の次は曇り空
第1話 雨上がりの傍らで
「終わったー!」
「流石は勇者だなぁ! はははっ!」
「いやいや。勇者だけじゃねぇよ! 勇者一行だって!」
「これで俺たちの仕事も仕舞いか……」
荒れた草原に響く男たちの笑い声。空は黄金に染まっていて、そこらかしこに大きな岩が散乱しており、男たちはその大岩の上に腰をかけている。鉄と汗と血で満たされている空間は、一仕事を終えた達成感でも溢れていた。
数百年にも渡る人類と魔王の争い。男たちはその最前線で、兵士として魔王が統率している魔獣と戦ってきた。毎日のように死人が出ても、強大な魔獣が襲ってこようとも彼らはただひたすらに戦った。
死の恐怖がなかったわけではない。魔獣との戦闘に慣れているとはいえ、体が震えてしまうのも珍しくない。だが、彼らは故郷を魔王によって奪われた者たちなので、奪われる痛みと恐怖を知っている。
故に魔獣の恐怖には屈しなかった。逃げ出すこともしなかった。全ては無垢で善良たる民の笑顔を守るために。
いつか——この雨空が晴れると願って。
その日々が、唐突に終わったのだ。
一つの報せによって。
《勇者一行、魔王討伐を成す》
この一報は瞬く間に広がり、王国から遠く離れたこの最前線まで届いた。男たち――兵士たちは最初、誤報かと訝しんだが、数日前から魔獣の姿が見えなくなった事実も加わり、本当だと分かって今に至る。
「ロイド。冴えない顔してどうしたんだ?」
騒いでいる兵士たちを遠巻きに見ていた、灰髪に平均より少しだけ大きな体躯を持つ男――ロイドに一人の兵士が声を掛けた。
「アレスか……。いや、どうもあまり実感が湧かなくてな」
声を掛けてきた赤髪に巨漢の兵士――アレスに目を向けてロイドはぼやく。同時にロイドは、アレスに対して相変わらず体がデカいなと思った。力比べではまず勝てないだろう。
「なるほどなぁ。そりゃそうか。確かに実感はあんまないかもな。特にお前さんは確か……五年? 以上も戦ってるから尚更じゃないか?」
「五年……。ああ……そうだ。そうだな」
元羊飼いで去年から兵士となったアレスと違い、ロイドは最低でも五年は兵士として戦っていた。日常が突然崩れた、と言えばいいのか。急な出来事に実感が伴っていないのは、至極当然のことだろう。
因みにロイドは二十一歳、アレスは二十九歳だ。
「ま、もう終わったんだ。気楽に行こうぜ」
アレスはロイドの肩を叩いて立ち上がる。
「俺はちょっくら混ざってくるかな。——――おおぉい!」
騒いでいる兵士たちに向かって行くアレス。ロイドただ褪せた目で眺めているだけだった。
***
勇者が魔王を討伐したと一報が入った三十日後。ロイド含めた兵士たちは、最前線に造られた拠点の一角に集められていた。
兵士たちは総勢約二百名いるので、ガヤガヤと喧騒が絶えず、暑苦しい。口々にこれからのことや、これまでの思い出などを話している。しかし一人の男が姿を現すと、彼らは瞬時に静かになった。
「第百七十四回全体会議を始める」
体の芯が震えるような重い声が響く。短く切り揃えられた銀髪に鋭い目、顔に走る痛々しい傷跡、引き締まった体。齢四十を超えているのに、衰えを感じさせない雰囲気を纏っている。
彼の名はヴァレン・エルハイヤ。
五百年続く、対魔王軍の最前線で戦う兵団の第二十四代団長だ。
「知っての通り、勇者が魔王を討ち取った。故に我々の存在はもう必要ない。この兵団は解散することになる」
この兵団は魔王軍である魔獣と戦う為に作られたものだ。対魔獣に特化した兵士で構成されている兵団。それも、もう必要ない。
既に魔王はいなくなったので、必然と魔王が作り出したとされている魔獣もいなくなるからだ。
兵士たちも理解しているので、特に動揺している様子はなかった。
「つまりお前たちは職を失うわけだ。そして別の仕事を見つけようにも時間がかかる。言い換えれば……第二の人生を歩くには急すぎる」
この場にいる兵士たちの殆どが魔王軍によって全てを失っている。また、戦闘しか能がない兵士も多いだろう。だからこの先の人生を歩くには、苦労すること間違い無かった。
「——白金貨五枚。陛下からお前たち一人一人に与えて下さるそうだ」
誰も声は出さない。
だが、全員が目を見張って驚いていた。
白金貨は一枚だけであっても、贅沢しなければ四年は働かないで暮らすことができる。贅沢したとしても一年は確実に持つだろう。そんな白金貨を五枚、約二百名全員。驚かないのは無理な話だった。
「暫くの間、ゆるりと体の疲れを癒すのもよし。何かに挑戦するのもよし。豪快に使うのもよし。貯金するのもよし。全てはお前たちが思うままに使え」
金額だけ見たら大きいが、兵士たちの働きを考えたら安いぐらいである。
「さて……最後の全体会議を締め括ろう」
一帯を漂う空気が変化した。
三十日に一度という頻度で開いていたこの全体会議。普段は魔王軍を警戒する為に全兵士の半分だけが参加していたが、もう魔獣を警戒する必要はないので、今は全兵士が参加している。
自然と皆は姿勢を正していた。
「魔王が出現して今年で五一三年目。理不尽で驚異的な魔王を相手に、我々人類は争ってきた。対立していた国々は纏まり、魔術という技術体系が確立、発展していき、必死で抗ってきた」
現在、世に普及している魔術という存在は、魔王および魔王軍に対抗するために編み出した人類の英知の結晶だ。
基本的に非力である人間が、単身で魔獣と戦っても勝ち目がない。徐々に人類の生存圏が減っていき、いよいよ滅んでしまうかと思った時、魔術という超常の力が何者かによって創られた。
今の魔術と比べれば未熟だっただろう。しかし、当時の人類にとっては希望の光であり、確かに人類滅亡の危機から救ったのだ。
「この兵団も同じだ。最前線であるここで先人たちは戦った。幾千、幾万……数え切れないほどの兵士が命を落としただろう。だが、諦めることはなかった。いくら味方が死のうと戦い続けた。そして————遂に魔王は世から消えた」
いつか終わる国家同士の戦争は違う。この約五百年以上にも及ぶ争いは、先の見えないものだった。どれほどの覚悟と執念だったのだろう。当時の様子を観測する術はないが、同じく戦ってきた兵士たちには理解することができた。
「私が団長に就任して十四年と少し。数多もの部下が死んだ。時には死ねと命令したこともあった。全てはこの平和な日々のために」
この場にいる二百名の兵士と団長ヴァレンは、死んでいった兵士たちの上に立っている。平和になった時代を生きている。
死に意味を持たせるのは残された者たちだ。残された者たちの行動と結果によって、意味の有無が変化する。
つまり、こうして平和になった時代の幕開けを彼らは目にしているので、命を落としていった兵士たちの死に意味があったことは間違いなかった。
「ありがとう。私と共に人類の為に戦ってくれて。お前たちのことは……全ての部下たちのことは忘れない。私とお前たちは永遠に戦友だ」
一語一語、噛み締めるように感情を込めてヴァレンは言葉を紡ぐ。
「————対魔王軍防衛兵団、これにて解散!」
故郷を失った兵士がいた。
肉親を失った兵士たいた。
友を失った兵士がいた。
大切なものを失った兵士がいた。
失った者だけで構成された兵団。
復讐に燃え、失意に陥り、悔しさに歯軋りした。
失ったものは帰ってこない。過去に思いを馳せようとも、生きている限りは歩かなければいけない。前を向いて歩くしかないのだ。
魔王が討伐され、己を過去に縛り付ける鎖が外れた兵士たちは、眩い笑顔を見せる。この先には明るい未来が待っていると信じていることだろう。はたまた、兵団が解散することで、一抹の寂しさを感じているかもしれない。
長き旅路による終着点だ。
――ただ一人を除いて。
辺りが大きな希望と小さな感傷で満ち溢れている中、ロイドは褪せた目でそれを眺めていた。
魔王が討伐されたという事実は喜ばしい。魔獣が消え去り、人類に平和が訪れたのも非常に喜ばしいだろう。だが、ロイドにとっては少し違った。
喜ぶの気持ちはもちろんある。安堵の気持ちも当然にある。ただ、ロイドの心の大部分を占めているのは、嫉妬と悔しさと虚無感だった。
ロイド・ウォーガン。
元兵団所属の兵士。
そして――――元勇者候補である。
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