chapter 19
廃墟となったアパートの前で車を止めた田利本たちは、適当な部屋で、サクラを背もたれを倒したオフィスチェアに寝かせると、輪になって座った。
「あれ、サクラちゃん?」
ブルジョアのひとりが驚いた顔で田利本の方を見ていた。
田利本が振り返ると、なんとそこには立ち上がったサクラの姿があった。
女が駆け寄り、サクラの背に触れる。
「サクラちゃん。まだ疲れているでしょう? とりあえず、ゆっくり休んで――」
「いや、彼女の好きにさせるんだ」田利本は言った。
「けど……」
「みんな、聞いてくれ。これは奴らのアジトで盗み聞いたことなんだが、彼女は装置から出された後も、それまでと同様の苦痛を味わい続けるらしい」
「なんだって?」
「研究所の装置は物理的な痛みを与えるものじゃなかったのさ。少し考えれば分かる話だ。彼女に苦痛を与え続けなければならない都合上、身体を傷つける方法ではよろしくない。だから研究所は、身体でなく精神に働きかける方法を採用した。あらゆる感覚情報を痛みに置き換えたんだ」
それは、田利本が以前にシキシマから聞いていたことだった。
「つまり……どういうことなんだ?」
「サクラの意識に現れる全てが痛みなんだ。五感から感じられる情報……例えばそう、皮膚に触れる風、目から入る光、鼓膜を叩く音、自分の身体の重み」
サクラの傍にいた女は、慌てて彼女の背に触れていた手を離した。
「腕を上げれば収縮する筋肉、呼吸すれば肺の運動と器官を通過する空気の流れがサクラを苦しめる」
「そんな……」
「それだけじゃない。思考するという行為ですら――」
「つまり、俺達はずっと……っ!」
黙り込むブルジョア達にあわせて、田利本は口を閉ざした。
しばらくして、一人の男が恐る恐る口を開いた。
「そろそろ……考えないといけないんじゃないかな……僕たちが……サクラちゃんを……これから、どうするべきか……」
「ああ……そう、だな……」
「けどどうする?」
「田利本、君には彼女の苦痛をどうにかすることは――」
「僕は万能じゃない。専門は機械工学で、あとは少し銃の心得があって……それだけだ」
「そう、だよな。すまない。なんでもかんでも君に期待してしまって」
「いやいいんだ。そんなことより」
「ああ、そうだな。まずはサクラちゃんのことだ」
「君が盗み聞いたというそれは、本当なのかい?」
「奴らが僕らを翻弄していると? まさか、そんな嘘を教えてなんの得があるんだ。研究所のやつらがなにより恐れているのは、サクラを失うこと。まるで正反対じゃないか」
「そうだな。研究所には早乙女ギンガが残したSAKURAのストック三年分がある。彼らがサクラ奪還を急ぐのは、生産を再開するためというよりも、むしろ、システムのパーツとしての彼女の安全のためというのが大きい」
「俺達はいつ彼女を殺すとも分からないと考えているってことか」
「彼らからしたら同じことだ。すぐに殺すにしろ、幸せな思い出を作ってから餓死するにしろ」
「そうだな……いや、そうじゃない。田利本。君の耳を疑うつもりはないが……」
「分かってる。聞き違いかもしれないってことだろ? そう言うと思って、資料もくすねてきた」
そう言って、田利本は以前シキシマ秀典に貰ったSAKURAの研究資料を見せた。
「ああ……作成者が黒塗りにされているようだが」
「そんな事情を僕が知るか」
「確かに、君の言った通りのことが書いてあるな」
「だが、細かいことはよく分からない。誰か、この数式やらを読み解けるものはいないのか……?」
静まり返る。
「とりあえず、科学的な方法は諦めた方がよさそうだな」
「けどどうする? 思考すらも苦痛なら、喜びも苦痛に置き換わってしまうのだろう?」
「そうだな……そう、なんだよな……」
再び沈黙が続いた。
「やっぱり、シキシマさんがやろうとしたように、彼女を殺して、楽にしてあげるしかないのかな? そうして、苦しみの連鎖を止めるしか……」
一人の男がそう呟いた。
すると、別の男がため息を吐いた。
その男はゆっくりと立ち上がり、男のすぐ傍まで来ると、しゃがみ込み、男の耳元で眉間にしわを寄せて言う。
「貴様、シキシマ秀典を冒涜しているのか……?」
「えっ――」
「シキシマ秀典は研究所の番人たちにたった一人で立ち向かい、その命を犠牲に彼女を解放した英雄だぞ」
男の迫力に、追及された男は顔を強張らせ、唾を飲みこんだ。
皆が圧倒されていた。
だが、その場で最も表情を歪めていたのはその男ではなかった。
田利本だ。
田利本はその顔を誰にも見られまいと俯いていたが、目をつり上げ、食いしばった歯をむき出しにしたそれはまさに鬼の形相と言うに相応しいものだった。
鼻の穴を広げて、荒々しく呼吸し、なんとか気を落ち着かせようとする田利本。
その異変に気づいた者が田利本に声をかけようとすると、田利本は逃げるように立ち上がった。
そして、皆の視線が彼に集まるより先に口の筋肉をほぐし、すっともとの表情に戻した。
だが目はそのままだった。
田利本の、吊り上がったままの目はしっかりと男を捉えていた。
「シキシマさんは、僕に研究所の設備のデータを渡して、SAKURAを確実に破壊出来るだけの威力の武装をオーダーした。システムのクラックだとか、装甲の除去じゃない。完全な破壊だ。シキシマ秀典は、サクラを殺すことで苦しみから救おうとした。それは絶対に確かなことなんだ……僕はシキシマさんに協力していたが、あの人がやろうとしたことが最善だったとは思わない。けど、他にいい方法があるとも思えない。きっと、正解なんてないんだろう。それでも僕は――」
「田利本君!」
問い詰められていた男が口を開く。
「あんまり……そういうことを言うのは……よくない……」
そう言われて、田利本はハッとした。
彼らは皆、常盤サクラの救済やシキシマ秀典の崇拝の先に絶対的な何かを見出している。
そんな彼らの前で、絶対的な方法の存在を否定することは彼らの否定に等しい。
いつもなら消沈する彼らを眺めて快感を覚えるところだが、こうもあからさまに、しかも無意識的に手を下してしまったとあれば、羞恥と反省とが精一杯で、それ以上の思考をするゆとりはなかった。
居心地の悪くなった田利本は、
「……少し外の空気を吸ってくる」
と言って、足早に部屋を出た。
田利本はアパートの共用廊下の壁に背中を預けて天を仰ぎ、それからすぐまた俯いた。
「お前たちの勝手でシキシマ秀典を歪めるなって……どいつもこいつも……好き勝手言いやがって……っ!」
握った拳を背後のごつごつした壁に打ち付ける。
血が滲んだ。
顔は引きつり、目からは涙がこぼれた。
「シキシマ秀典を一番愛しているのは……僕なんだぞ……僕が一番……シキシマさんを想って……」
田利本は、着ていたパーカーの袖が何者かに弱々しく引っ張られていることに気づいた。
見ると、それは常盤サクラだった。
「サクラちゃん……僕を慰めようとしてくれているのかい……?」
田利本はそれを鼻で笑った。
「君じゃシキシマさんの代わりにはなれないよ」
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