chapter 6
サクラを格納しているカプセルは、所長室の真下の中央研究室に収容されている。
中央研究室と所長室はひとつながりの防護壁で囲われており、研究所関係者はこのエリアを
研究所の警報が鳴り響く数分前。
早乙女のコンピュータディスプレイが突如として切り替わり、施設の扉に小型の端末を取り付けるシキシマ秀典の姿が映し出された。
早乙女は席を立ち、すぐさま所長室から中央研究室へと降りると、研究員らへこう告げた。
「シキシマ秀典を未使用の製造区画に誘導する。まずはあの型落ちハッキングマシンに花を持たせてやれ」
研究員の一人がコンピュータからシキシマの端末にアクセス。
端末に施設のマップが表示され、その直後、端末を取り付けていたまさにその扉、そしてその奥の扉までもが次々と開放されていく。
「目標の端末が偽情報を取得」
「……成功です。対象は予定通り第三開発室に向かいました」
早乙女らは、シキシマの端末に、施設の構造の解析および目的地までのルート上のすべてのロックの解除に成功したと誤認させつつ、彼らが招かんとする第三開発室までのルートを自ら開放したのだった。
「よし。では第三開発室のコンピュータが実行する全処理をモニターしろ。ヤツの反撃を想定し、二重三重に防壁を張っておけ。いいな、必ず生体回路の設計図を押さえるんだ」
「本当にいいんですか? シキシマ秀典の好きにさせて。こちらから向こうのロボットを操作して、縁日の玩具に作り替えてやることだって出来ますが……」
「そうです。危険すぎますよ、彼に生体回路を持ち帰らせるなんて」
「ヤツは人間の可能性を信じていない。だからSAKURAシステムの代替を探すこともしなければ、サクラをカプセルから出して幸せにしてやろうともしない。ただ未来を絶とうとする。ああして必死こいて頑張っているように見えても、所詮は飢えを知らぬ者の道楽に過ぎん。如何にシキシマがREFLEXをコントロールしようとも、生を伴った本当の意志の力がそれに屈することはない。分かるか? あの食糧難を生き延びた我らが兵士がREFLEXの力を手にすれば、シキシマ秀典など敵ではないということだ」
「シキシマと一緒に保存食つついてたあなたがそれ言います?」
「……確かに」
早乙女は苦笑いした。
「これは聖戦だよ。REFLEXはゲームマスターだ。私たちはシキシマ秀典という人類の諦念の象徴を打倒し、人間の意志の力を証明する。この諦念に支配された、ただのうのうと生き永らえているだけの世界を照らす、生の価値の再創出の儀式だ」
「そのためにその諦念の王の発見までもを利用するとは、恐れ入ります」
「REFLEXとその発見は生と熱い意志の象徴であり、同時に空虚な知のアイロニーでもある。両義的で、それゆえにフェア。だからこそ適任なのだよ」
「たとえ、人類が滅ぼうとも……」
「……ん、なんだこれ」
「どうした?」
「疑似脳部分と、なんだこのパーツは」
「見せろ……熱出力器官、それに
「シキシマは疑似脳と臓器を部分的に接続して肉体にREFLEXを付与する施術を自分の身体でやろうとしているんじゃなかったんですか⁉」
「……いや、違う。ヤツはリアリストだ! 自分がサクラと同じ苦痛に耐えられるなんて思っちゃいない! だったらあれは――まさか!」
「所長! 計画を中止するべきです! こんなのはフェアじゃない!」
「だからどうした!」
「フェアじゃないと言っているんだ! ……警報、鳴らします」
「待て、待つんだ!」
警報が鳴った。
監視カメラの映像には、シキシマのいる部屋へと駆ける警備員らの姿が映る。
「……お前は、なにも分かっちゃいない」
早乙女は声を震わせて言った。
「でも――」
警報を鳴らした白髪の少年が何かを言いかけるが、研究員のひとりがそれを遮るようにして言う。
「所長はお前のアグレッシブな機転に不本意ながら感動しているんだよ」
「見ろ、第三開発室のロボットは無事に生体回路を完成させた。そして今、シキシマはセキュリティと交戦中だ」さらに他の研究員が続けて言った。
「お前たちは、いったい何の話をしてるんだ?」
少年は呆れたような顔をして問う。
「お前がもたらした意外性が、新たなる闘争を生み出したということさ」
「そうだ。だがこれは運命だ。いや、違うな。人に、生に呼応するREFLEXが、この世界の諦念に業を煮やして、お前の鳴らした警報に便乗して、そしてなにより、シキシマ秀典の闘志に呼応して、闘争の運命に導いたんだ」
「そうだ」
「そうだそうだ!」
研究員らは口々に言った。
「生に呼応するREFLEXが、シキシマ秀典の闘志に呼応だと?」
少年は眉をひそめて言う。
「なんだ」
「そうやって、舌足らずなままに分かったつもりになって開き直るのがなによりマズいってことだろ」
「シキシマ秀典の論文は分析哲学を応用して世界から他者へ向けられたREFLEXの働きから数学的に私を明らかにしたユニークものだった! 論述の片手間でふたつの懸賞金問題があっさりと解かれた!」
少年はため息を吐くと、ゆっくりと椅子から立ち上がって早乙女を睨む。
「そうじゃない。お前たちはそうやって美意識をREFLEXと重ねることで、神を生み出そうとしている」
「神だと? 神童め、トチ狂ったな」研究員が不機嫌に言う。
「お前たちが人の意志を精なる神と呼び、それを肯定するのなら、力ある意志たる神とて認められるはずだろう」
早乙女は少年に無言で詰め寄る。
「そうやって、自分が心地いい言葉だけで分かろうとするからおかしなことになるんだろうに」
少年は怯まず続ける。
「お前たちが聖戦を望むのは、生と諦念の両方の側面を併せ持つREFLEXの中立性を利用して、両者を正面から対決させることにあるのではなかったか。それだのにお前たちは、REFLEXの諦念を無視して、聖戦を闘争と呼びたがる。これは相撲ではないのだぞ」
「聖戦を闘争と呼んでなぜ悪いか」研究員が声を荒らげる。
「お前たちの言う闘争は、生的なもの同士の衝突だろう。だが聖戦がそういうものなら、諦念はそもそも土俵に上がることさえ出来まい。生の価値の証明とはそういうものではないだろう」
「土俵だと?」研究員が失笑する。
早乙女はこれを無視して、落ち着いた調子で少年に問う。
「ならば問おう。意志と諦念の対決である聖戦において、シキシマ秀典が苦痛を伴わずREFLEXの行使する。これは不適切か? まさに諦念の王に相応しい振る舞いではないか? 違うか?」
少年は早乙女に答える。
「ジャマーだろう。REFLEXがジャッジなら、それを排除するジャマーは聖戦自体を破壊するものに他なるまい。苦痛どうこうは問題ではない」
早乙女は絶望していた。
自らを慕い、その計画に賛同していたはずの研究員らの愚かしさに。
少年はまだいい。
彼はまだここに来て日が浅いのだし、シキシマの論文に目を通したのだってつい先日のことだ。
そもそものシキシマ秀典本人ですら、REFLEXという現象の真に意味するところを誤解しているのだから、少年が理解できていなくとも仕方がない。
むしろ少年は(シキシマ秀典的誤謬に基づき、またそのまさに誤謬の指摘によって一蹴され得るものではあるが)極めて論理的で一貫した主張を展開している。
だが他の者たちはどうだ。
彼らは皆、REFLEXをまるで我々の意志に優先して順守せねばならない絶対的な道理を司る神かなにかと勘違いしているではないか。
しかもその誤謬は、現にそのようにREFLEXを盲信しているにも関わらず、少年にそれを指摘されてもなおそれを省みず、それどころか自身の正当性を主張する傲慢さ、知に対する不誠実さに由来するものに他ならない。
だがしかし、真に知に対して誠実であるには、彼らのような愚者に対してすら謙虚にならざるを得ないということが早乙女にはまずなによりもどかしかった。
なぜならそうでもしなければ、早乙女自身もまた、自身の知を信じて疑うことのない、彼らと同じ迷妄に陥ってしまうがゆえに。
早乙女は迷妄から抜け出るべく、改めて自身の思索を問いなおす……
少年が指摘するように、我々はまさに我々が欲するところの、我々にとっての生の価値を探求せねばならないのであって、その目的自体をREFLEXを悦ばせることと混同するべきではない。
ただ一方で、REFLEXが我々の意志や生に呼応し、闘争を欲求するその理由を問えば、それが、我々が生を欲求するまさにそのモチベーションと本質的なところで共通する部分があるということはやはり必然的に分かられるのであり(シキシマ秀典の論文、その論述はつまるところそれを示すものに他ならなかったのだが、シキシマのサイエンティストとしてのプライドが、強引にもその読みを排除した)、それを無視して、REFLEXを単なる無機質な判定者、計器と見なすこともこれまた適切であるとは言えないだろう。
すなわちREFLEXすらもその生の危機に由来する現象なのであって、闘争というのはその危機から脱するべくREFLEXが見出した
つまり、REFLEXが好む好まざるというところにおいては、生と諦念とは必ずしも対称でないということになる。
では何故、REFLEXの中立性が担保されるのか。
それはすなわち、REFLEXは生と諦念という、それぞれREFLEXにとって「渇望されるもの」と「逃れられぬカルマ」との狭間にあって、両者をその極めて合理的な仕方で冷静に見つめるものである(これはまさに少年が言うように、後者を軽視し前者を偏重する死すべき者どもとの明確な差異である)がゆえである。
つまるところ、REFLEXとは自身の欲求のために道理を捻じ曲げることがないほどに、驚くほど知的なのである。
そして、そのまさに知的なREFLEXが自身の生を求める仕方である闘争と、その知性に照らして、我々が我々の生を求める仕方である聖戦といった風に、両者は区別されるのだ(そしてそれゆえ、少年の鳴らした警報によって生じた予期せぬシキシマ秀典と警備員らとの銃撃戦、闘争はこの聖戦においては何の意味も持ちえないということが必然的に分かられるのだ)。
ではなぜあえて闘争という道標を示すREFLEXに背いて、聖戦を欲求するのかと考えたとき、早乙女は、自身が(それは理論的に導かれた特定の道徳規範においてそれに適う者としてというよりも、もっと俗な意味で)
それと同時に、早乙女は自らの目的遂行のためには、この有望な少年一人よりも、残りの愚者どもの機嫌をこそとるべきという結論に至った。
なぜなら、いま必要なのは迷妄から逃れることではなく、彼ら死すべき者どもの手を借りることであるがゆえに……
「セキュリティをこっちに寄越せ」
早乙女が断腸の思いでそう言うと、待ち構えていたかのように両開きの分厚い扉の奥から屈強な男二人が現れる。
「命令は」
「侵入者を手引きしたのはコイツだ。尻を叩け」
早乙女は出まかせを言って少年を指さす。
男たちは無言で敬礼すると、一人が少年の両肩をがっしりと掴み、もう一人が警棒で少年の臀部を殴打。
「アアッ!」
「それで済むのは君のお頭のおかげだと思って感謝するんだな」
「なんだと……」
「仕事に励めということだ」
「……勝手にするさ」
少年は席について、再びコンピュータを操作しだした。
「そうだよな。ああして世界に酔っているうちは、期待が多次元的に拡散するから、なにがどうなったって悔しくないんだものな。そっとしといてやるよ。私は大人だからな」
聞こえるように小言を言う少年の傍に、早乙女はそっと近寄る。
銃を抜き、素早く安全装置を解除し、少年の側頭部に突きつける。
「マルムスティーン君ッ!」
引き金に指をかける。
と、少年の傍に縁から禍々しく揺らめく青色の光を放つ楕円形の黒い壁が現れる。
少年は、闇に飲まれた椅子のキャスターから、重力に引かれて、転がり落ちるようにして、壁の中に吸い込まれていく。
早乙女は愛の弾丸を放った。
「脚がぁ!」
しかし、壁と共に少年の姿は消え、弾丸をくらったのは少年の隣の座席の研究員だった。
「え、なに?」
混乱した早乙女は、ふと思い出したかのように呟く。
「……浅倉サトルは?」
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