第4話 『花々の興亡』初日
『花々の興亡』──初日。
チケットは全日程全席完売。普段の不田房であれば補助席などを出して当日券の販売を検討するところだったが、
「何も起きないと思うけど、何か起きちゃった時に補助席が邪魔になってお客さんを外に出せない……とかになったら俺が腹を切っても済まない事態になるので、当日券はナシでいきます」
と決断し、株式会社イナンナの社員を除く関係者全員が同意した。除く、というか、不田房も、それに宍戸もイナンナに『当日券なし』を報告しなかったのだと鹿野は後に知った。
SNS上ではチケットが高額転売されたり、詐欺なども発生しているらしい。稽古が始まったばかりの頃は、今回の舞台がここまで注目を浴びることになるとは思ってもいなかった。
「っていうか、スタッフでもなかったな……」
客入れ前の無人のロビー。火傷が未だ完治していない左手を庇いながら、
明かされていないこと、幾つか。
株式会社イナンナの前社長、
内海清蔵は、若き日に舞台俳優として活動していた。だが大成することはなく、彼は俳優ではなく実業家になった。芸能プロダクションを立ち上げ、劇場を作った。ふたつの野上神社を潰して、その跡地にビルと劇場を建てた。
株式会社イナンナが所持しているスタジオ──いちばん初めの稽古場の棚に灯油を撒いた犯人については特定されていない。だが、鹿野素直が置いた盛り塩を皿ごと踏み抜いていた者の正体は分かった。現在も入院中の元演出助手・
シアター・ルチアの元舞台監督、鈴井世奈は病院から出ることができずにいる、らしい。彼は鏡を恐れ、刃物を恐れ、女を恐れ、白い病室を恐れる。一度だけ見舞いに行ったという
「鹿野〜。もうすぐ開場だよ〜い」
「初日ですね」
「おう! なんか知らんが関係者席が全埋まりしてる!」
「誰の関係者なんでしょうねえ」
「知らん!」
不田房は元気だ。最初からずっと。
「鹿野!」
「はい」
「何か見えるか?
「……」
何か。何が見えるといえば角が立たないだろう。
檀野創子が機転を効かせたお陰で、今回の公演は『檀野創子のイナンナ卒業公演』ということになった。死んだ人間より生きている人間を優先するのが世の常だ。もう誰も内海清蔵の死について話題にしていない。そんなことより、犬猿の仲だったはずの
だから。
この劇場の奈落には、市岡神社の男が一旦は処置を施したもののやはりあの女の姿があって。野上葉月がこっちを見ていて。その上恨めしげな顔で内海清蔵──と思しき老人がロビーのソファに腰を下ろしていて。
「宍戸さんが毎日お札貼り替えてるじゃん? 楽屋とか、奈落も、あと俺らにも新しいのくれるし」
ポスターを見上げる鹿野の隣に、不田房が立つ。
「毎日さ、帰る頃には全部文字が消えちゃうの、怖いよね」
市岡神社のお札、お守りだ。そう。不田房の言う通り。効果は一日しか持たない。お札に書かれた『市岡神社守護之攸』の文字は一日経つとかき消えてしまう。その上、白紙のお札をいつまでも持っていると書き換えられてしまうから、皆劇場を出る前に宍戸にお札を返却し、宍戸は毎日市岡神社の男のところに足を運んで真っ白になった紙を焼却処分してもらっているらしい。
「不田房さん」
「ん?」
「これ、奈落で拾ったやつ」
「……んん?」
大嶺舞を救出した際に拾って取ってあった野上神社のお札を、鹿野はそっと差し出した。黄ばんだ紙の上では、文字と文字が争いを繰り広げている。野上神社と市岡神社が、お互いを食い合っている。
「うわーお……」
「目の錯覚かと思ったんですけどね」
「ええ、これヤバいね。野上神社ってタフだなぁ。市岡神社もなかなかだけど」
「捨てるタイミングを逸してしまって」
「まあ」
と不田房がにんまり笑う。
「楽日になったら考える感じでいいんじゃない?」
「っすね」
そういうことになった。
──幕が、開く。
【おしまい】
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