気が付くと人々が忌み嫌う魔力を持って異世界にいた俺は、強大な超能力の代償に何らかの欠落を持つ者たちと悪魔を倒しに行く。

アタオカ屋さん。

第1話 不思議な女性

 ツンツン、と頬を優しく突かれる感覚に目を覚ました。


 やってしまった。

 徹夜で寝ずに電車に乗り、ふと目を瞑ってしまった。


 俺の脳はその一瞬で覚醒し、焦りのままに身体を起こす。

 そしてその行動に違和感を覚える。

 俺は電車で座っていたはずだ。


 ……ここはどこだ。


 目の前には青々と広がる雄大な空と、緑の生い茂る地面が十数メートル先で断絶されている。

 こんな場所には記憶がない。

 ふと俺は頬の感覚を思い出し、後ろを振り返る。

 そこには、座ったまま無表情で首をかしげて俺を見つめる20代後半ほどのブロンドヘアーの女性がいた。

 幾何学きかがく的な紋様の白い民族衣装の上に茶色のマントを纏っている。


「えっ……と」


 俺にはこの状況が全く理解できず、とにかく情報を得ようとして目が動く。

 私は何もわかりません。私にこの状況を教えて下さい。と言う遠回しなアクションだ。


 しかしそんな俺とは対照的に、女性はただ黙って首を傾げ、じっと見つめてくる。

 一瞬で辺りを大雑把に見渡した後、再び女性の方を向く。


「あの、ここって……」


 そう話し掛けるも、女性は更に、ほんの少しだけ首の角度を深くした。

 その様は、ポカーンとしていてまるで何も理解していない。


「えっと……、お名前は……?」


 再び首が少しだけ傾く。

 言葉が通じていないにせよ、一向に口を開く素振りすらない女性からは、コミュニケーションを図ろうという意思を感じない。

 しかしその表情は無表情ながら、悪意を秘めているようには到底思えない。

 どうしたものかと頭を悩ませていると、女性はふっと立ち上がり、ひらりと背を向けてどこかへ歩き出した。

 俺は混乱の果てに呆然とし、追いかけようとはしなかった。

 そうして女性が歩いて行くのを目で追っていると、女性が俺の方へ振り返り、まるで猫のように「着いて来い」と言わんばかりの様子を見せたので、ともかく後をつけるように立ち上がって歩き出すと、女性は再び前を向いて歩きだした。


 それから女性の後を歩き続けて体感で1時間くらいが経ったが、女性の声は未だに聞いていない。

 果てしなく代わり映えのしなかった草原の奥にようやく城壁のような建造物が見えてくる。

 本当であればそれについて尋ねたいところだが、女性が応じてくれる気がしないので心の内に留めておいた。

 ひたすら無言で歩き続けていた間、俺はずっと記憶を辿っていたのだが、やはり電車の中でウトウトしていた時の朧気な記憶で止まっている。

 そしてこれは電車の中で見ている夢なのではないかと思い、頬をペチンと叩いてみると、少し痛かった。

 その音に反応した女性が俺の方へ振り向き、少し首を傾げた後、再び前を見据えた。

 歩き始めてから女性と目を合わせたのはこれっきりだ。

 まぁ、痛かったからと言って夢でない保証は無い訳だが、いくら目を覚まそうと感覚を尖らせても一向にその気は無かった。

 城壁に近づくと、木製の城門と、全身に銀色の鎧を纏った門番が2人見えてくる。

 その城壁の様子や、身の丈ほどの槍を構える門番の様子からして、やはり現代ではなく、よくイメージされる中世ヨーロッパの世界観に近い。

 目元まで覆われた鎧で確かじゃないが、門番はこちらへ注意を向けている。

 女性の歩くペースは変わらずに門へ向かい、やがて門番との会話ができるくらいまで距離が縮まった。


「アネーシア様、お帰りなさいませ。そちらの男性は?」


 左の門番が優しげな声でよく知る言葉を発した事に心底安堵し、緊張が少し緩んだ。

 ようやく女性について一つ知れた、そして俺の言葉が通じそうだ。そう思った矢先、右の門番の槍が俺の喉元に突きつけられ、突然の事に身体を固めた。


「貴様、魔物か!!」


 意味がわからない。

 俺は再び緊張と混乱に心が砕かれ、まともに言葉を発せずに「あ……あ゛ぁ……」と喉から音を漏らす。

 槍を突き付けられる俺の前に立っているアネーシアは、ゆっくりとその槍に手を添え、それまで一切変わる事のなかった表情を少しだけ哀しげなものに変えて門番を見つめた。

 それと同時に、左の門番が声を荒げる。


「馬鹿者!! アネーシア様のお連れに何をしている!!」

「し、しかし、この者からは魔力が……!!」

「アネーシア様が分からずにお連れするはずが無いだろう!! 槍を下ろせ!!」


 右の門番が哀しそうなアネーシアを見て数秒悩み槍を下ろすと、左の門番はすぐに城門を放ってアネーシアにひざまずき、右の門番もそれに続いて跪いた。

 門を通過した後も一切会話をする事は無く、ただアネーシアについて歩いていた。

 城壁の内側には石造りの家が立ち並び、人々も活発に往来しており、アネーシア同様にほとんどの人が独特な幾何学模様の民族衣装をまとっている。

 人々はアネーシアを見るなり、嬉しそうに「御機嫌よう」と声を掛けるが、アネーシアはチラリと目を合わせるだけで何の反応もしない。そして、人々はまるで俺が見えていないかの如く、誰一人として俺の事を見ようとしなかった。

 石造りの大きな街道を進むと、やがて大きな城を取り囲む塀の門の前までやって来た。すると、これまた鎧を纏った門番が居て、アネーシアに挨拶すると直ぐに門を放って跪いた。

 城の中は実に豪華絢爛けんらんで、所々に金の装飾や石像があり、敷き詰められた絨毯じゅうたんの歩き心地は今までに経験が無いほど心地よく、至る所に執事や騎士が控えており、にこやかな執事とは対照的に、頭の鎧を外している騎士たちは俺に険しい表情を向けている。

 アネーシアはこの巨大で入り組んだ城を何の迷いもなく進んで行き、ある木製の扉の前で歩を止め、その扉を開く。

 ギィィ……と鳴りながら扉が開くと、バロック調の部屋の奥には黄金を冠する中年の男性が、スーツスタイルの貴族衣装に身を包み、威厳溢れる椅子に腰掛けて鋭い眼光をこちらへ向けている。


「おかえり、アネーシア」


 男性がそう語り掛けるも、アネーシアは何の反応も示さずに歩き、部屋の右手側のソファに腰掛けた。

 俺はどうしたら良いか検討もつかず、ただ部屋の入口で立ち尽くしていた。


「今、何かお茶をお持ち致します」


 部屋の中に控えていた執事が優しい口調でそう言うと、俺に軽く会釈をしてすれ違い、部屋を後にする。


「君、座りたまえ」


 俺は乾ききった喉で小さく返事をすると、男性がセリフの間に目線を向けた左側のソファに向かって歩きだし、遠慮がちに座った。


「すまないな、アネーシアが困らせただろう」

「い、いえ……」


 正しい立ち居振る舞いが分からない俺は、押し潰されそうな緊張感に耐えられずに自身の足元しか見ていられなかった。


「彼女には、産まれた時から記憶能力がほとんど無いんだ」


 俺はその言葉のインパクトに、「えっ」と声を漏らしながら思わず顔を上げて男性と目を合わせた。


「だから自分が何者なのかさえ知らないし、言葉も理解できない」

「いや、でも……!」


 俺は無意識に疑問をぶつけそうになって、咄嗟とっさに口をつぐんで足元を見た。

 勝手に話出して良いものか分からなかったからだ。


「なにかね?」

「いえ、あの……。彼女はここまで、歩いてきたんです」


 恐る恐る顔を上げながらそう言った。


「あぁ、小さい頃は家が分からず頻繁に行方不明になっていたが、27年もここで暮らしているんだ。わずかな記憶領域に染み付いたのだろう」

「なるほど……」

「基本的に人間という生き物は、記憶に基づいて生きているものだ。では、記憶を持たない彼女は何に基づいて生きていると思う?」


 この状況を全く理解できていない俺には、この問いに答える余裕が無く、ぎこちない様子で考えている素振りを見せる事しかできなかった。

 そんな俺の様子を2秒ほど見つめた後、男性が口を開く。


「本能だ」

「本能……」

「経験則が使えない以上、自身のその時の感覚だけが頼りになる。故に、彼女の本能はきわめて研ぎ澄まされている」

「はぁ……」


 俺は精一杯ながらに間の抜けた相槌を返した。


「その彼女が連れてきたんだ。本当ならお前のような下劣な魔物は、今すぐにでも殺してやりたい所だがな!!」

「!!!」


 男性が突然声を荒げると同時に、部屋の床と壁が一瞬にして凍り付いた。

 その気迫は俺の身体を強ばらせ、足と床が一体となって凍り付いていると言うのに、アドレナリンのお陰か何も感じない。


「お待たせ致しました。本日は北ドラゴール公爵領の紅茶でございます」


 憎しみに満ちた表情で俺を睨みつける男性と、困惑して瞳孔を開く俺、そしてまたもや哀しそうな顔を見せていたアネーシアに紅茶が出された。

 凍り付いた部屋で、紅茶からはモクモクと湯気が立つ。

 混乱が深まるばかりの俺を数秒睨みつけた後、男性が一つ息を吐くと、部屋は一瞬にして元通りになり、紅茶の湯気は控えめになった。

 するとアネーシアも元通りの無表情に戻り、紅茶を手に取った。


「お前は何者だ。目的は?」


 冷静さを取り戻したような男性がそう問い掛けてくるが、俺はこの状況を何一つも飲み込めていない。


「いえ、その……。電車で寝ていたはずなのに、起きたら草原に居て……」


 俺はごちゃごちゃな頭を精一杯整理しながらここまでの記憶を全て話し、そのついでに疑問の全てを打ち明けた。

 なぜ俺は知らない世界にいるのか。なぜアネーシアは俺をここへ連れて来たのか。なぜ俺が魔物呼ばわりされるのか。そもそも魔物とは何か。なぜ部屋が一瞬にして凍り付いたのか。

 俺が話す間、男性は冷たい目付きで一言も発さずに俺の話を聞いていたが、話を聞いてくれるだけでも今の俺にとっては何よりの救いだった。

 俺が話し終えると、男性は少し考える素振りを見せた。


「……さっきも言ったが、本当であれば魔物の戯言ざれごとなど聞き入れてやる義理はない。しかし、アネーシアが連れて来た事が気がかりだ。何か彼女なりに意味があるのだろう……」


 俺が反応に困っていると、執事が口を開いた。


「アイサー様。それでしたら、オリビア様に尋ねてみては如何でしょうか」

「あの頑固ババアか……。確かに奴なら何かわかるかもな」

「お呼び致しましょうか?」

「ふん、どうせ地下にこもって出てきやしないさ。権力なんかに屈するババアじゃない。そいつを向かわせろ」

「畏まりました」


 俺の都合なんかはお構い無しに話が進み、執事は古びた地図に印を付けて俺に渡して玄関まで見送ってくれたが、その道中で俺が話しかけても執事は一切口を聞いてはくれなかった。

 玄関に着くと、執事はジャケットの内ポケットから翡翠ひすいのような綺麗な石を取り出し、俺に渡した。


「え、これは……?」

「これはアスタリスク家の従者に与えられる証石しょうせきで御座います。これを持つ者に危害を加えた者には処罰が与えられます。オリビア様にこれを見せればおおむね事態を察して頂けるかと」

「ありがとうございます……」

「それでは」


 そう言って軽く頭を下げる執事の対応は、必要最低限と言う感じだった。

 城を出て一人にされた俺は、地図を頼りにオリビアの元へ歩き出した。

 頑固ババアと呼ばれていたから少し億劫おっくうだが、他に頼れる情報も無いし、一息つこうにも先行きが不安過ぎて落ち着かなかった。

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