再戦Ⅱ
ハシシの声が単純な寝言なのか、目を覚ます前兆なのか。
その違いがクレアたちの命運を分けることになる。冷や汗が背筋を流れ落ちていくのを感じながら、クレアはハシシから距離を取った。
「クレア様、どうしますか?」
「まだ動かないで。もし、あいつが暴れるようなら、あそこから抜け出す前にあたしが魔法を使う」
クロウが使った風の上級魔法。扱いは難しく、生きている相手に使ったことはほとんどないが、目標は依然、拘束されたまま。仮に暴れ出したとしても十分に詠唱する時間を確保できる。この距離ならば狙いを外すということもないだろう。
その判断が全ての誤りであった。
「なん、だ。こりゃあ……?」
ハシシが目を覚まして状況を把握できずに戸惑っている隙にクレアは呪文を詠唱する。ゆっくりと当てる場所を外さぬように、慎重に魔力を込めていく。
「『我が声に応え、来たれ、大いなる揺り籠』」
「くそがっ、まさか、またアレが来るのか!?」
その声を聞いてハシシが慌てて抜け出そうとするが、クレアの思惑通り、身動ぎはすれども物理的拘束が邪魔をしており、動くこと自体ができずにいた。ハシシは焦りで視点が定まらず、しきりに周りを見渡す。
「『其は吹き上がる天つ風、我が意を届け――――』」
詠唱が完成する一歩手前まで来た時、クレアは信じられない言葉がハシシから放たれるのを聞いた。
「おい! 妖精ども! ここから出したら、俺が面白いものを見せてやるぜ! どうだ! 見たくないかっ!?」
「あいつっ!?」
騎士たちは慌てて駆け出そうとする。
妖精たちがハシシの言葉に賛同したのか、彼の体の周りを取り巻く岩と土から軋む音が響き始めたからだ。
体を厳重に拘束したが、猿轡まではさせなかった。それがまさか仇になるとは思っていなかった。クレアが呆気にとられたのも一瞬。すぐに残りの詠唱を終わらせて、杖を振りかざす。
杖から一条の光が駆け抜けて、ハシシへと突き刺さる。クロウほどではないが、肌に突き刺さるような感覚に手ごたえを感じた。
「これなら……?」
「クレア様。お下がりください」
騎士たちが剣を土煙の方へと向ける。
ハシシが抜け出したのが先か、魔法が当たったのが先か。もし、前者であれば、騎士達は死を覚悟して挑まねばならないだろう。
「……こっちに!」
クレアは急に腕を掴まれると木の陰へと連れ込まれる。他の騎士たちも二手に分かれ、次々と身を隠し始めた。戸惑いながらも、クレアはすぐにその意図を察知する。
「すぐに次の魔法を……」
姿が見えていない以上、相手が自分たちを探す手間がかかる。おまけに分散していれば、すぐにはわからない。そこを背後からもう一撃喰らわせることができれば、勝機は見えるだろう。
だが、逆にここで決めなければ各個撃破され死にゆくのみ。自分だけでなく、騎士達の生死も背負った状況に手と唇が震えている。
そんな中で、心をへし折るハシシの声が聞こえてきた。
「いいぞ、妖精ども。今からたっぷり殺戮ショーを見せてやるよ。人間と妖精どものなぁ!」
近くにあった大樹を蹴り飛ばすと、その衝撃で幹に罅が入っていく。ほぼ反対側まで入ったそれは、嫌な音をたて、次第に大きくなり、完全に割れてしまった。
天高く伸びていた木は他の木に激突する。ぶつかった木々は、そのか細い枝で何とか支えようとしているかに見えたが、虚しくクレアたちのすぐ横の地面へと激突する音を響かせた。
「さぁ、出て来やがれ。烏野郎にクソガキめ。今からお前らもこれと同じ目に合わせてやる!」
「安い挑発ですな。このまま隠れて逃げおおせるというのも一つの手です。大妖精なら、この状況に気付いてくれるでしょうから」
「それで済むならいいのだけど、最悪のことも考えておかないと」
「そういうところは本当にビクトリア様にそっくりだ」
小さな声で冗談を言う騎士に、クレアも少しばかり苦笑いする。
「それって誉め言葉? 両親とも向う見ずな性格だと思ってるけど」
「いやいや、伯爵様もビクトリア様もよく見ていると、変なところで慎重なんですよ。特に、自分以外の命が懸かっているときは」
「なら、ここでお母様に負けないくらいの活躍をしておかなきゃね」
クレアはポーションを一口飲むと何度か深呼吸を繰り返す。やるのならば短期決戦、先程の倍以上の魔力を注ぎ込んでいく。
このまま、ハシシが去るならそれも良し。騎士の誰かが襲われるか、こちらに姿を見せるなら迎え撃つ。覚悟を決めたクレアは杖をぎゅっと握りしめて、ハシシの様子を窺おうと、そっと顔を覗かせた。
「いない? 一体、どこに――――?」
「みぃつけた!」
重い物が落ちる音と共にハシシの声が響く。
すぐに傍にいた騎士が剣をもって突撃するが、裏拳で吹き飛ばされてしまった。
「こいつ、上から降って来やがった!? でも、足場なんてどこにも!?」
「そんな物、さっきそこに転がっちまっただろ?」
ニヤリと笑ったハシシは、横に転がる大木を示す。
それを聞いて呆気にとられたように見えた騎士だったが、即座に腰から臭い玉を取って投げつけると、そのままハシシに向かって走り出す。
「ふん。魔物なら効くだろうが、俺相手にそんなもんがっ……」
顔面に向かって来た臭い玉を顔を僅かに傾けて避ける。それと同時に突き出された剣がハシシの喉を捉えた。だが、喉を突き刺されながらも、ハシシはそのまま剣を押し返す。
「バケモノめっ!」
「ばげもお゛? わりい゛がよばげもお゛でよお゛!!」
剣を握っていた腕を掴むと、そのまま握力だけで騎士の腕がひしゃげさせていく。それでも、悲鳴一つ上げることなく、片足をハシシの腹に固定すると、もう片方の手を剣の柄頭へと思いきり叩きつけた。
頸椎を砕いて向こう側へと突き抜けた剣。ハシシの動きが鈍り、腕の拘束が緩む。
「ぐっ……おおおおっ!!」
腕の骨がいかれたのだろう。騎士が自分の腕を抑えながら地面に転がる。
その姿を視界の端で確認して、生きていることに安堵しつつ、クレアは用意していた呪文を解き放った。
「『――――黒き炎に白き楔を打て!』」
ハシシに再び閃光が落ちる。
膝から崩れ落ち、天を仰いだまま動かない姿にすら恐ろしさを感じながら、クレアは腕を抑える騎士に近寄った。
「大丈夫?」
「骨が砕けました。それよりも早く、ここから離れましょう。次にこいつが起きたらどうにもできません」
「そうね。早く移動しましょう。みんな! 早く! この二人と一緒にここから逃げるわよ!」
後ろの方にいる離れてしまっていた騎士たちに呼びかけると、すぐに騎士たちは走り寄ってきていた。大きな声を出して、クレアの方へと手を振っているように見える。だが、クレアは近くで雷の音を聞いたせいで、遠くの声が上手く認識できないでいた。
「なに!? 聞こえな――――」
騎士たちの声が鮮明になるよりも先に、自分の背中から鈍い音が響くのが先だった。
不思議な感覚に疑問を抱きつつ、視界の下に映るあり得ないモノへと視線を移していく。
「ふひひ……」
「なっ……!?」
自分の腹から大きな腕が一本生えていた。否、背中から貫通していた。
クレアは痛みもなく滴り落ちる鮮血に心臓が跳ねると同時にふっと意識を失った。
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