一時避難Ⅴ
翌朝、不快な気分でフェイは目を覚ました。
あの後、月の八咫烏のことを考えると不安で仕方なくなり、寝ることができたかもわからない夢現の状態で夜明けを迎えることになった。陽が昇る前に素振りをしていた日課すらも忘れ、布団で横になったまま耳だけを研ぎ澄ませていた。
万が一、襖を開いたら血みどろの部屋と冷たくなった亡骸だけがあるのではないか。そんな妄想が永遠とフェイの精神を削り続けていた。
今、鏡を見たら酷い顔をしているだろうと思ったフェイは、自分の両頬を叩いて引き締める。布団を跳ね除け、身支度を素早く整えたようとしたとき、廊下から声がかかる。
「フェイ。起きていますか?」
「はい、少しお待ちください。すぐに身支度を整えます」
「いや、そのままで構いません。……先程、村長の家に行く前にエルフ族の者とすれ違いました。妖精庭園の捜索を頼んだところ、二つ返事で引き受けてくれました。この後、彼を招いて話をしたいと思います。お嬢様方の準備をお願いします。可能な限り、早く」
フェイの脳裏に昨夜の会話が一瞬で蘇る。
「(エルフの男……どうやって化けたかはわからないが、間違いなくあいつだろう……。まさかそんな変装技術をもっているとは……)」
種族まで偽ることができるほどの変装技術なら、王都での逃亡劇は月の八咫烏からすれば茶番だったに違いない。そう考えると無性に腹が立ってきたフェイだったが、ここで怒ったところでどうにもならないことはわかっていた。
アンディへの返事を済ませると急いで服を着替え始める。側頭部の髪が跳ねているが、隣の部屋の者。特に寝起きの悪いサクラを覚醒させるのは至難の業だ。多少の身だしなみは気にせずに、準備を済ませて隣の部屋へと声をかける。
「おーう。フェイか。今起きるぜー」
「マリー。いつの間にこっちまで転がって来てたの? っていうか、私の掛け布団がなんで吹っ飛んでんの?」
俄かに騒がしくなり始める隣室の様子に少しほっとしながらもフェイは、続けてアンディからの情報を伝える。それを把握した姉妹二人は、寝起きの低い声のまま周りの人間を起こし始める。
そして、予想通り。サクラが起きたのは一番最後。時間にして約十分と考えると、善戦した方といえるかもしれない。
「おは……よう」
「おはようございます。さて、既に協力者の方がお待ちです。行きましょう」
ふらふらと左右に揺れるサクラの体をアイリスが後ろから支えながら前へと進む。横からはフランが腕を組んで、ほとんど開かない目のサクラを誘導する。
そんな微笑ましい姿に、苦笑しそうな顔を引き締めたクレアはマリーへと尋ねた。
「あんた。お化けじゃないってわかったけど、あの女には対処できそう?」
「母さんから教えてもらった技術で返り討ち、って言いたいところだけど、正直不安しかない、かな」
仮に妖精庭園に侵入できたとして、乗り越えなければいけない課題は山ほど残っている。
そもそも、妖精庭園の住人が自分たちに友好的かどうかもわからないし、その戦闘力も不明だ。最悪の場合、踏み込んだ瞬間に魔法の嵐が襲ってくることすら考えられる。
「圧倒的に情報が足りなさすぎる。これが戦争だったら確実に負け確定と言っても過言ではないわ」
おまけにその情報を集める時間もないと来た。せめて、エルフの男がその情報を一つでも持っていることを祈りながら、クレアはその男が待つ部屋へと足を踏み入れる。
通された部屋は二階の角部屋で、既にアンディが胡坐をかいて座っていた。その更に奥、窓を開け放って、旅館の裏に広がる青々と生い茂る木々をたったまま見渡す男がいた。
金髪の髪を肩の位置でまとめ、腰まで垂らしている。背丈的にはあまり高くなく、アンディよりも小さく見える。通常、エルフの男は長身であるが、目の前の男には当てはまらない。それでも彼を見れば、誰もがエルフだと口をそろえて言うだろう。
なぜならば彼の頭の両側からは尖った耳が横に突き出ていたからだ。
「お待たせしました。お嬢様たちをお連れしました」
「ふむ。私からしてみれば、一分も一時間もそう変わらぬ。むしろ、もう少しこの景色を楽しませてくれないか」
振り返らずにエルフの男は告げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます