一時避難Ⅳ
思わず一歩下がるフェイに月の八咫烏は追い詰めようとせず、両手を広げて称賛する。
「良い判断だ。ここにいる人間では私には勝てない。叫び声をあげたところで、私に倒されるだけ。私としても、無駄な労力を使わずに済むのはありがたいからな」
「どうかな? 今すぐ仲間を呼んでもいいんだぞ?」
「やっても構わないが、一番最初に来るのは、どこのお嬢さんかな?」
フェイはせめてもの虚勢を張ったが、相手には見透かされていたことに舌打ちしたくなった。ここでフェイが大声を張ったとしても、真っ先に駆け付けるのは自分が先程まで一緒にいたクレアやマリーたちだろう。守るべき者を危険に晒す選択肢を取れるはずがない。
互いに視線を交錯させながらも、既に趨勢は決していた。
「……何が目的だ」
「油断しないのはいい心がけだが、もう少し剣以外の駆け引きも学んでおくことをお勧めしよう」
そう言って、男はマントを脱ぐ。
黒髪に白い仮面が対照的に映り、より暗い闇のような印象を抱かせる。短髪ではあるものの、跳ねてしまった髪を片手で掻きむしるように直しながら語り掛けた。
「元々、君らとは関わらないつもりだったんだが、何の因果か私の目的地と君らの仲間のいる場所が同じでね。どうしたものかと悩んでいたんだ」
「妖精庭園に目的が? 一体、何を考えている!?」
「それは君が気にするところでは――――いや、君の護衛対象の娘たちなら気にするかもしれないが、君自身は関係ないだろう。それとも、他に心配が? あそこにいる妖精と君は別種族も同然だ。気にすることはない」
「――――――――っ」
フェイは全身の血を吸い取られたような感覚に陥った。視界が揺れ、頭痛が襲い、体の芯に氷の塊を押し込まれたように震えが奔る。
別種族ならば殺しても構わないとでも言いたげな
「安心するといい。これは君たちにとっても悪い話ではないはずだ」
「何を、言っている?」
「協力しようじゃないか。私一人で向かってもいいのだが、流石に警戒される。仮にも数百年を生きた妖精だ。侮れば痛い目を見るのはこちらになりかねない」
「僕らを囮にしようとでも?」
人数が多ければ、その分だけ攻撃は分散する。
フェイたちは妖精庭園に侵入出来た挙句、月の八咫烏という戦力を一つ囮にすることができる。逆に月の八咫烏は、フェイたち数十人を囮にすることで自分一人に集中する妖精の目を眩ませることができる。
互いにメリットはある。そう感じていながらもフェイは首を縦に振ることはできなかった。
「囮とは人聞きが悪いが、嘘をつくのは嫌いだから正直に話そう。君たちは仲間を取り戻したい。それと同じように、私も妖精庭園から取り戻したいものがある。故に協力関係を申し出たわけだ。君たちから見れば私が囮だ。しかも、君たちの戦力を凌ぐほどの」
どこに断る理由があるのだ、とでも言いた気に腰を折り曲げて、フェイの顔を見上げるように覗き込む。仮面の奥に除く瞳がまるで闇夜の獣の如く、爛々と光っているように見えた。
冷や汗が顎を伝い落ち、呼吸が浅くなりながらもフェイは何とか下がろうとする足を留めることができた。震える手を握り込んで、月の八咫烏に相対する。
「僕たちへ危害を加えるつもりは?」
「ない。前回は私個人の事情もあって、君の仲間と戦闘を行ったが、誰一人として殺してはいないだろう? それに吸血鬼の彼女も君たちと平穏に暮らせているようで何よりだ。良い魔力供給源も見つけられたようだし、私の用意した首輪も役に立っているみたいで嬉しいよ」
フランの首の周りにはネックレスがあるが、ルビーが取り付けられる前は茨のような刺青が刻印されていた。そう考えると、フランの命を救ったのは月の八咫烏という風に考えることもできる。
両手を広げて一歩踏み出すと片手をフェイへと差し出した。
「共闘と行こうじゃないか」
「……僕一人の考えで騎士団を動かすわけにはいかない。そこの点を考えた上で正式に接触する方法をそっちで考えておいてくれ」
「もちろんだ」
月の八咫烏の差し出された手を短く握ると、すぐにフェイはその手を離した。
「交渉成立、と考えていいね。安心するといい。少なくとも、君たちが損することは一つもない。それに私のお陰でいい隠れ蓑ができただろう?」
警戒した目で睨むフェイを幼子の悪戯とばかりに受け流す。
そんなフェイの耳に後ろから騎士たちの会話が近付いてくる音が届いた。慌てて壁によって振り向くと三人の年配の騎士たちが風呂から上がってきたところだった。慣れない浴衣をはだけさせたまま、ふらふらと歩いている。
月の八咫烏の姿を見られたらマズイことになる。そう考えたフェイは通路の奥へと追いやろうと視線を戻して愕然とした。既に、そこに月の八咫烏の姿は見当たらなかったからだ。
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