渾沌はただ嗤うⅦ
鉄塊をハンマーで殴ったような音が空間に響く。
鳴り響く度に家や石畳が砕け、土埃が舞い散っていく。
「いやー、しぶといとは思ったが、本当にしぶといな。一体、どんな体してやがるんだ?」
一度、剣から手を放してプラプラと振る。既に吹き飛ばした回数は三桁に突入している。流石の伯爵も疲労の色が見え始めていた。
「叩いても切っても血の一滴すら流さねえ。本当に殺せるのか?」
冷や汗が滴り落ち、足や腕に震えが出始める。
化け物は苦しむ表情すら見せずに嗤う。どうやら余裕がまだあるらしい。伯爵は若干のいらつきを覚えつつ、腰にある板へ視線を落とす。
「城壁外へ叩き出せ? やっと準備ができたか。砦じゃなく、外でケリをつけるってことか」
愛する妻が送ってきたメッセージの意図を理解し、体中に巡る魔力を極限にまで高める。
今、ビクトリアたちが必要としているのは、現在地と敵の吹き飛ばした方向。それを一度に知らせる簡単な方法は目に見える形でやるのが手っ取り早い。
「さーて、さっきまでの時間稼ぎとはちょっと違うぜ」
初めて伯爵が剣を下げて、脇構えになる。
それを隙と捉えたのか化け物は、嗤いながら突進を始める。
「――――遅い」
今までカウンターで対応していた伯爵が初めて自分から踏み込んだ。
化け物が気付いた時には――――もしかしたら、気付く間もなかったかもしれない――――、駆けるために四肢が浮いた瞬間に、懐へと潜り込まれていた。
大きく振り上げた巨剣は、バケモノの喉から顎にかけて強烈な斬撃を放つ。あまりの早さに衝撃波が発生し、あまりの重い一撃に足元から放射状の罅が石畳に広がった。
屋根よりも高く空中に吹き飛ばされた化け物は、そのままバク中するかのようにゆっくりと回転していく。伯爵は更にそれを追撃すべく、本来は槍の固定用に使われる窪みに足をかけ、一気に空中へと飛び上がる。
「ぬおおおおおおりゃあああああああ!!」
大振りも大振り。まるで野球のフルスイングを思わせるような一閃は、城壁の外へ化け物をライナー弾として送り届ける。風に揺れる黒い塊はそのまま、地面へと激突すると二、三度跳ねて、横倒しで地面を抉りながら滑って止まった。
「ふー……ちょっと、本気を出し掛けちまったが……それでも傷一つなしとは、な。若いときに出会ってたら、死ぬまで殴り合いたくなる魔物だが、今は御免被る相手だ」
止まって数秒経つと何事もなかったかのように立ち上がる化け物を見て、伯爵は本気で困った顔をする。
物理攻撃を完全に遮断するとなると、伯爵の手持ちの武器で倒す方法はかなり限定されるどころか片手で数える程度にまで制限される。そして、それをここで使えるほど便利な手段ではないため、早くビクトリアたちが来てくれることを祈っているのだが。
「ん? なんだ?」
背後からだんだん迫ってくるような音に気付いて、僅かに顔を後ろへと向ける。
「「「「「「「「「「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」」」」」」」」」」
顔中から涙とか唾液とかその他諸々、色々な汁をぶちまけながら多くの人間が飛んで――――訂正、降り注いできている光景が目に入った。
「あぁ、確かに大人数を運ぶにはもってこいだけど、それ、ちゃんと説明してやったのかね……」
「失礼ね。街を守るためだもの。強制的に射出したに決まってるじゃない」
箒に乗ったビクトリアがいつの間にか伯爵の真上に出現していた。
「あれ、絶対に何人か漏らしてるぞ」
「戦闘に支障がなければオールオーケー。それとも、何か問題があるかしら?」
「いーや、何も?」
呆れながら伯爵は化け物へと目線を戻す。
ビクトリアが使ったのは風の魔法の応用。目的地まで対象を浮かせ、吹き飛ばし、着地もまた風で受け止めるという荒業だ。若い頃に開発した魔法の一つで、宮廷魔術師時代にはこれで大規模な陣形移動などをしようとして、騎士団長と国王も真面目に作戦に入れかけたという逸話があるくらいだ。
因みに現場の兵士たちによる猛抗議のために、この作戦案は没となった。
「それにしても、アレね。なかなか歪んでるっぽい魔物ね。どちらかというと神獣に近いんじゃないかしら」
「はっ、侵略するためなら神すらも従えるとは、ますます狂ってやがるな。それで、俺はどうすればいい?」
「当然、あいつを止め続けて頂戴。今から射撃大会が始まるから」
「ま、ここまで荒らされちゃあ、流石に土地を守る云々言ってられないからな。討伐優先は妥当だな。後で国王にたんまり補償金を捻出してもらおう」
伯爵が構えると城壁に降り立った魔法使いたちが発動媒体を構える。
化け物は自らの尻尾を追うようにくるくると何度かその場で回ると天を見上げ、やはり不気味に嗤うのだった。
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