月夜に佇む影法師Ⅰ
「結論から言うと、彼女は不問となった」
「本当ですか」
「あぁ」
伯爵の言葉にユーキは思わず聞き返した。
問題となっていたのは地下室で幽閉されていた吸血鬼、名をフラン。フェリクスの娘であり、ゴルドーの姪っ子でもある。
月の八咫烏を逃がした後、ユーキたちの説明で伯爵がフランを拘束し、ルーカス学園長へと引き渡したのだ。
もともと伯爵家への侵入・騎士団への襲撃という犯人が違う事件に、幽閉されていた吸血鬼という事件が混在して舞台に揃ったせいで、城や騎士団は上へ下への大騒ぎになっている。噂では宰相が胃をやられて臥せってしまったというから大変だ。
「結局のところは、彼女は確かに吸血鬼の真祖としての特徴を有しているが、同時に飢餓症状が発現していない。……吸血鬼としての危険性は少ない、というわけだ」
飢餓症状。すなわち、魔力が足りず、近い種族――――大きな意味での人族――――の血や肉から魔力を得ようとする衝動がないため、人を襲う要因がそもそも存在しないということだ。
「尤も、父親が騎士団を襲ったという意味では関係者だからな。しばらくは取り調べになると思うが、幽閉されていた身だ。釈放されるのは時間の問題というわけだ」
「では、彼女は無罪だとでも……?」
不機嫌そうにフェイが呟いた。それにはマリーも同様のようで、納得がいっていないようだった。命を狙われた身なのだから、わからなくはない。
「情状酌量の余地有り。寛大すぎるように思えるが、実際は実父と店と領地を失った。あの子はこれから一人で生きていかなきゃならんわけだ。……ましてや多少の商いの知識は叩き込まれてはいるだろうが、蝶よ花よと育てられた娘なら、その末路はわかるだろう?」
「それは……そうですが……」
「で、可哀そうだからうちで引き取ることにした」
「「「…………は?」」」
主にマリー、フェイ、ユーキの口から声が漏れる。
後ろの扉からドアが開く音が響く。みなが恐る恐る振り返ると黒いドレス姿の少女が居た堪れない表情で立っていた。
目を彷徨わせて、なかなかユーキたちとは目を合わそうとしない。頭の十センチは上を見ている。
口や指先をもぞもぞと動かしていたが、スカートを両手で掴むと睨むように前を見据えて一歩前に出た。
「先日は失礼をいたしました。国賊フェリクスの娘、フラン・パーカーです。どうぞ、フランとお呼びください」
「……………………」
流石の出来事に誰もが返事をできない中、伯爵だけがにやにやと笑っていたのが印象的だった。それでも真っ先にフェイが我を取り戻した。
「は、伯爵。流石にやりすぎではないですか? 普通に考えれば国家反逆罪で一族郎党死罪も免れないはずですよ?」
「うん。まぁ、そうなんだがな。とりあえず、握りこぶし見せて笑顔になれば、たいていのことは何とかなる」
「それは、ただの脅しなのでは……?」
「ばかやろー。こういうのはな、誠意あるお願いというんだ。大人になる前に覚えとけ」
関係各所には
「――――いけすかねぇ、陰気野郎に渡すよりはマシだろうよ」
「父さん、今なんて?」
「いいや。何でもねぇ。人が死ぬのは陰気臭くてやんなっちまうって話だよ」
「父さん、はぐらかそうとしても無駄だぜ。ほら、さっさと呟いたことを教えろって。また、蔵の肉くすねるゾ」
「またって、お前なぁ。――――あ、まさか、あの肉食ったのお前か!? お前らか!? こっちに来たら食べようと、楽しみにしてたのに。許さんぞっ! このアホ娘!」
「げぇ!? 親父、それだけは勘弁! フェイ、助けて!」
「自業自得です……」
そんな光景を端から見ていたフランは、さっきまでどのように謝罪するのか、どのような罵詈雑言を浴びせられるのか、という恐怖に怯えていたが、フェイや伯爵のやり取りを見ていると悩んでいた自分がバカらしくなってしまった。
ふと、マリーと伯爵の姿が自分とフェリクスに重なる。容姿も性格も違うはずなのに。目を閉じれば、地下で気絶していた時に見た夢を思い出す。
いつの日だっただろうか。恐らく、父と伯父がまだ男爵位を貰う前のことだろう。ひさしぶりの休みで、みんなでピクニックに行ったことだ。
幼い自分と両親、それにゴルドー伯父さん。小高い丘に聳える大きな一本の木の下で街とその背後の大きな山脈を眺めながら食事をしていた。
夢だからなのだろうか、自分たちを少し後ろから眺めている私自身がいた。少女の自分が父に追い掛け回されてはしゃいでいる。とても微笑ましい日常だ。
だが、父のフェリクスが少女を捕まえた瞬間、自分の中の記憶がその光景を一変させた。
月明かりが差し込む、まだ肌寒い日。何かをひっかく音と呻き声に目を覚まし、廊下に続く扉へと手をかける。その背丈は先ほどと違い、かなり大きくなっていた。
『――――だめ。それ以上行っては……』
これは現実ではないと思っていても、思わず声をかけてしまう。ここで部屋に籠っていれば、誰も傷つかずに済んだというのに。
言葉は届かず、目の前の少女は一歩外へと踏み出してしまう。
慌てて追いかけた先、そこには苦悶の表情で壁に手をついて歩くフェリクスの姿があった。
「お父様!」
「来てはならぬ!」
普段、決して声を荒げることのない父が発した声に躊躇う少女だったが、すぐに父へと駆け寄る。
「そのような状態で平気なはずがありません。すぐにお医者様を」
『ダメ! 逃げ――――!』
「――――――ぇ?」
父の肩に手をかけた瞬間、少女の体は父に引き寄せられ、首に牙を突き立てられていた。
少女の顔は恐怖よりも驚愕に染まっていた。
『何故……お父様は何も悪くないのに。どうして……』
――――先祖返り。
かつてパーカー家は先祖代々、貴族の屋敷に仕える庭師だった。
幸か不幸か。その貴族は様々な種族と交流をもっており、あるとき偶然出会ったのが当時七代目の庭師だったパーカー家の長男ととある女吸血鬼だった。
二人は恋に落ち、家族の反対を押し切って結婚。仕えていた貴族の後押しもあり、周りの人達の理解もあったおかげか。最終的に家族との和解も上手くいった。
三人の息子に恵まれ、順風満帆な日々が続いた。
だが、それは末っ子が成人した頃に音を立てて崩れ落ちた。それまで人として生きていた末っ子が吸血鬼化し、メイドの一人を噛んでしまったのだ。
末っ子は母の実家に幽閉され、パーカー家は建前上、その土地を追われることとなる。
人が良かった貴族が影ながら援助していたため、交易業を生業に生計を立てることができた。その交易で一番の稼ぎ頭だったのが、その三兄弟の長男であり、ゴルドーとフェリクスの曽祖父にあたる。
その後も何人か吸血鬼化の症状を出す子供がおり、パーカー家では成人前後の子が吸血鬼化の症状を現したときには、吸血鬼の住むという里へ送る決まりだった。
しかし、フェリクスは成人してから十数年経っている。男爵位を子に譲り、故人となってしまった祖父も予想していなかったことだろう。それはフェリクス自身も同じだった。
『なんで……こんなことに……』
その後、我に返った父に介抱され、家族で話し合うことになった。
そこで予想外だったことは、少女の体が、噛まれたことをきっかけに自身の体も飢餓状態になりかけていたことだった。
ここでゴルドーが立ち上がった。古今東西の魔術書や研究書を集め、吸血鬼化を止める方法を探し始めたのだ。
その中で比較的早く見つかったのが、仮死状態にして聖水に漬けるという方法だった。尤も、止めるのではなく、遅らせる程度の効果しかないが、少女はそれに同意した。
いつか二人が解決策を見つけて、助けに来てくれることを信じて。
その間、母親は実家に帰り、屋敷の人間は解雇することとなった。
しかし、悲しいかな。目を覚ました時、そこには息も絶え絶えな父の姿だった。
『私はどうなってもいいから……お父様を助けてよ……。誰でもいいから! 誰か助けてよ!!』
噛まれたまま身動きしない少女を前にフランは叫んだ。その叫びは誰に届くこともなく、虚空へと吸い込まれていく――――――はずだった。
『――――承知した』
ふと、自分の真後ろの暗闇から声が響いた気がした。
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