あなたの世界は何色ですか?Ⅲ

 あの悍ましい化け物との戦いから数日後、ユーキの腕は問題なく回復し、剣を握れるまでになっていた。

 人間、喉元過ぎれば熱さを忘れる。あの日の出来事が嘘であったかのように世界は動いていた。

 行き交う人々、飛び交う声、鳴り響く馬車の音。何もかもが日常として機能し、平和であるという感覚を不動のものにしていた。

 それと対を為すが如く、ある部屋は沈黙に支配されていた。

 純白の柱が並び立ち、深紅の道に銀の林が規則正しく列を成す。高窓から差し込む光が反射し、朝露の如く道を彩る。一歩道を外れれば、波紋一つ無き水面を想起させる鏡に勝るとも劣らぬ大理石。

 道の先には小高い丘に一人の男が立つ。短い銀髪で薄氷を思わせる薄い青色の目。その双眸には力強い光が宿り、見る者を圧倒する。マントを翻し、その男は小高い丘から自らの前に跪く者に目を向ける。顔を僅かに下げると額周りに金色の光が乱反射した。

 そう、ここは部屋というには明らかに広すぎる。名を

 すなわち、この深紅の道の先にいるのは、ファンメル王国国王・ファンメル三世であった。

 玉座に腰を下ろし、横に寄り添う老人に頷く。老人が一歩前に出ると兵士の持つ槍と剣が寸分の狂い無く同時に、銀のカーテンを道の上に作る。


「面を上げよ」


 重い声が謁見の間に響き渡る。ユーキの顔が上がる。ファンメル三世と目が合うと、背筋に稲妻が走った。ただ目が合っただけなのに、すべてを見透かされるような感覚がユーキを襲う。

 その感覚に硬直していると声がかかった。


「冒険者ギルド所属、ユーキ・ウチモリ。先のゴルドー屍人事件において、魔法学園の子女に一切の怪我を負わせることなく守り切り、ゴルドーの捕縛に最も貢献した。その功績を称え、オレ、自ら褒美をとらせる」


 そう言って、頂から階段を下りる。道の脇からは、金貨三十枚と勲章、そして一振りの剣が兵士に運ばれてくる。


「お前は、学園の子女だけでなく。我が国民の命を守り切った。この王都すべての、だ。誇りに思え。その若さで、これだけの偉業を成し遂げる者は、そう多くはいないだろう」


 ユーキは革袋に入れられた金貨を両手で受け取り、腰へと結びつける。

 次に勲章をファンメル三世自らが胸に付けた。ファンメル三世は建国以来もっとも民に近い王と言われている。そう言われる要因の一つが、こういった褒章を渡す際には必ず自らの手で行うというものだった。


「ふむ、なかなか似合うな。では次に、騎士の叙勲に移ろう」


 そう言って、兵士が掲げる剣に手を伸ばす。その目の前で、ユーキは再度跪く。

 そして、


「恐れ多くも、国王陛下。騎士の叙勲にあたって、一つお願いがございます」

「――――何だ。申してみよ」


 瞬間、周りの空気が変わる。それはファンメル三世のみではない、周りの兵士全員が臨戦態勢の如く、意識を切り替えたからである。

 ユーキは、冷や汗をかきながら震えそうになる体を誤魔化す。


「未だ若輩者の身。ギルドの依頼においても薬草などを採るしか取り柄のない者です。確かに今回、屍人を倒すに至りましたが、魔法学園の生徒の援護あってこその偶然の産物です。私一人で得た勝利ではございません。よって私がギルドにて魔物の討伐依頼を完遂し、真に魔物と渡りあえる実力を手に入れるその時まで、騎士の叙勲をお待ちいただきたいと……」


 一息に言い切って、一度目を瞑る。結局のところ、ここ数日で至った結論は、騎士叙勲の引き延ばしだった。

 実際に、魔物と戦ったことがあるのはゴブリン程度。そんな程度では騎士と名乗るのもおこがましい。せめて、それ相応の実力がなければ周りから、いらぬちょっかいを出されることだろう。先日、冒険者ギルドにもCランクの断りを入れたところだった。

 周りの空気が、若干柔らかくなったのを感じて、気を緩めたユーキにファンメル三世から声がかかる。


「なるほど、偶然ではなく。実力をもって万難を退ける者こそが騎士に相応しいと申すか」


 仰々しい言い方ではあるが、おおむね間違ってはいなかった。過ぎたけんりょくは身を亡ぼす。それはいつの時代、どこの地でも同じことだ。ファンメル三世は顎に手を当てた後、頷いた。


「よかろう。その信念、実に見事。ならば、その生き様、余の耳に届いたとき、再びここで会いまみえるとしよう。大儀であった。下がってよいぞ」

「はっ!」


 一礼をして、その場を後にする。扉が閉まったあと、ユーキは盛大に息を吐くのだった。

 緊張で凝り固まった肩を回しながら、城門の外に出るとサクラがユーキを待っていた。


「お疲れ様。どうでした。初めての謁見と叙勲は?」


 謁見での作法や礼法だとかを口頭で、サクラたちにみっちり教え込まれた。それでも不安だったユーキはサクラにお願いして、直前まで復習していたのだ。


「グールと戦っていた時の方がかっこよかったのに……」

「え?」

「何でもない。それより、案内したいところがあるの」


 サクラの呟きに反応できなかったユーキは、そのまま左腕を引かれ歩き出す。

 静寂に包まれたところから出たせいか、人々の声が耳に刺さるように聞こえる。

 そのまま、魔法学園に入り、とある塔に向かった。学園長室に行く時とは違い、ひたすら上に登っていくタイプだった。

 螺旋を登りに登り、やっと頂上に辿り着いて外に出ると、そこには王都オアシスを一望できる場所であることに気付く。

 ガーゴイルのいる城壁からまっすぐ前を見ていくと、大きな水路が二つ、間にはメインストリートが見えた。まるで蟻のように人が進んでいるのが見える。

 そのまま道沿いを見ると南門と街道、そしてその先に広がる田畑と農村が目に入った。少し目を外すと先日、自分が気を失った森、反対側には小さな山が連なっている。


「そろそろだよ」

「そろそろって何が――――!?」


 サクラの言葉に疑問をもつユーキだが、それはすぐに目の前の光景が教えてくれた。

 街のいたるところから複数色の帯が広がる。赤から紫へと七色に広がる『虹』。


「すごい……キレイだ」


 縁に手をのせて、街を見渡す。雨が降ったり、滝の近くでもないのにはっきりと虹が見えた。子供の頃にも手で数えるよりは多い程度に見た虹だが、ユーキが見た中では一番の美しさだった。


「学園長がおっしゃるには、水の精霊たちが一番活発に活動する時間だからだって。偶然見つけた私の一番のお気に入りの場所。マリーとアイリス、そしてユーキさんしか教えてないところだよ」


 そう言って、ユーキの隣に並ぶ。ユーキは、サクラの顔にも虹がかかったように輝いて見えた。それほどに彼女の顔は眩しかった。魔眼を使うまでもなく。


「それは嬉しいね。こんな素敵な場所を教えてもらえるとは最高だよ。俺も、こういう景色は大好きだ」

「本当に!? よかった! きっとユーキさんなら気に入ってくれると思ったの」


 微笑んで、サクラは街を見渡す。その横でユーキは思わず頬を緩めた。


「(最初は、この世界に来てどうなることかと思ったけれど、こうして友人もできて何とかやっている。そして、これからも何とかなりそうだ)」


 ここに来てからのことを思い返し、ユーキはそう考えた。

 命の危険もあったけれど、元の世界では決して経験できないことを見て、聞いて、感じた。そのことに後悔はしていない。むしろ、喜びすら感じている。


「(だから、今だけは少しだけ元の世界に帰ることを忘れて、この景色を楽しもう)」


 目の前の虹を見つめてユーキは呟く。


「ありがとう」

「ふふ、どういたしまして」


 無邪気な笑顔の出会いから始まり、この王都での先輩として頼り、魔法を教えてもらったユーキ。

 そして、友人と微笑み、ゴルドーの前に竦み、自分のために治療したサクラ。ここ数週間でのサクラを思い出すと、色んな一面が脳裏をよぎる。

 ふと、そんなサクラをユーキは見つめた。

 異世界から来た自分には新しいことばかりで、すべてが全力疾走で駆け抜けてしまった日々だった。いったいサクラはどう感じていたのだろうか。

 そして、今一緒に見ている景色をどのように感じているのだろうか。そんな疑問がユーキの中に生まれた。

 逡巡した後、ユーキはサクラに問う。つい先日、この王都に連れて来てくれた冒険者の言葉をそのまま借りて。


「サクラの見ている世界はどんな色に見える?」


 一瞬、きょとんとしたサクラは、すぐに微笑んで答えた。


「うーんと、それはね――――」


 その答えにユーキは笑って、視線を元に戻した。


 ――――できることならば、その色をずっと一緒に見ていたい。


 一陣の風が吹き抜けて、輝いていた虹が掻き消える。もう、そこに虹は残っていなかったが、しばらくの間、二人はその景色を見つめ続けていた。

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