非才は時に才と成るⅠ
――――魔法行使の神髄とは、いかに自己と世界の垣根を取り払えるかである。
「なるほど、わからん」
ユーキは初級魔法入門という本を購入し、宿で読んでいた。クレアと会ったあと、ギルドに換金に行った際にコルンに偶然出会い、こう聞かれたからだ。
「そういえば、魔法の適正があったみたいですが、何か学ぶ予定はありますか?」
魔法を習得することより生活費を稼ぐことを考えていたユーキに、コルンはいくつかの専門書を紹介したのだ。
「知識や技能は多い方がいいです。たとえ使わなくても、使われることもあるのですから。対処法を考えておいて損はないと思いますよ」
そんな訳もあって、近くの書店で三冊ほど購入して読んでみたものの、抽象的な説明や意味不明な言い回しばかりで具体的な使い方については、ほとんど書かれていない。おまけに、一冊一冊の値段が高いのは痛手だった。印刷技術の発展した世界であれば本を作るのも多少は簡単だが、この世界ではご丁寧に一冊ずつ制作しているように思われる。
そんな本の中でも比較的当たりに近いのが『魔法の種類とその効果~生活編~』という一冊だった。この本に関しては、タイトルが示す通り効果に関しては非常に詳しく書かれていて、応用の仕方まで解説されていた。
例えば、水晶に魔力を籠めて蛍光灯代わりに使う魔法や風呂に入らずとも体をきれいにできる水の魔法などが載っている。読めば読むほど質量保存の法則だとか、熱力学第二法則だとかは一体どうなっているのかという疑問に駆られてしまう。
しかし、結局のところユーキ自身もあまり理解していないため、燻ったまま頭の片隅に追いやってしまう。
最終的に、わからないことがわからない、という結論に至り、ユーキは思わず唸ってしまっていた。これは誰かに解説してもらわねば、理解も納得もできないというものだ。
「これはあれか。読んで興味を持ったなら魔法学園に入学せよ、とか。もっと高い専門書を買ってね、とかいう広告本か。勘弁してくれ。ただでさえ、金がないのに、これ以上出費を増やしたら大変じゃないか。薬草&毒草狩りも楽じゃないんだぞ」
一通り読み終えたユーキは、心の中で売れるのなら明日にでも売り払ってやる、と叫んだ。世の中は、どうやら甘くないらしい。
だが、魔法もロマンの一つ。男としては使ってみたい。諦めきれず、サクラに相談することを決めて眠り、三日目の朝を迎えるのだった。
目を覚ましたユーキは朝食を食べると真っ直ぐに学園へと向かう。そして、魔法学園のガーゴイルにサクラへ「この前と同じところで薬草を取っている。もし、時間があるなら話がしたい」と伝言を頼み、薬草採取を行うために学園内へと足を踏み入れた。
採取場所に向かって驚いたことは、毒草の成長率は薬草よりも早いらしく、昨日の採取した部分は完全に新しい毒草が生え変わっていた。それこそ、もう採取してもよいくらいには成長していたのである。
そうとわかれば善は急げ、ユーキは不気味な笑いを浮かべながら毒草狩りの幕開けを宣言するのであった。
一時間後、桜は呆れたような表情で疑問を勇輝に投げかけた。
「女の子と会うのに、毒草まみれってどうなんでしょうか?」
そう言って、頬を膨らませていたサクラは一転、表情を綻ばせるとクスッと笑った。どうやら本気で怒っているわけではないようである。
ユーキが休憩に入ろうと腰を浮かせて振り向いたときには、サクラは後ろに既に立っており、冗談で非難の言葉が投げかけられたのである。返事に戸惑うユーキを尻目に、サクラは腰に下げた袋を見て、驚きに目を丸くする。
「すごいですね。毒草をそんなに見つけられるのは、ある種の才能ですよ。本当にこの前まで冒険者じゃなかったんですか? もしかして、薬草目利き検定一級とか持ってるんじゃないんですか?」
心の中で「いいえ魔眼のおかげです」とだけ答えて笑い返す。同時に、そんな検定あるのか、という疑問も口元まで出かかったが、それは何とか飲み込むことに成功した。
心の中ではいろいろな呟きが漏れ出そうになっていたが、頭を振って雑念を振り払い、サクラを呼んだ本題へと切り出すためにユーキは口を開いた。
「忙しいときに、ゴメン。ちょっと聞きたいことがあったからさ」
「大丈夫ですよ。授業は明日からですし、私も暇を持て余していたところです」
「良かった。立ち話もあれだし、ちょっとそこで話そうか」
わざわざ日の当たる場所で立ち話をする必要もないので、近くのベンチへと移動して、楽な姿勢で話を続けることにした。カバンを下ろし購入した魔法に関する本を見せると、サクラも知っている本なのか首を傾げた。
確かにいきなり見たことがある本を出されたからと言って、相手の真意を見極められる人間などいないだろう。ユーキは本を読んだ感想と、これが理解できないのは学園への入学を暗に勧めているのではないかという予想を話す。
そして、魔法を使えるようになる方法についてどうすればいいかを問うと、サクラは手を胸の前で合わせて嬉しそうに話し始めた。
「ユーキさんの考えている通りです。『その本を読んでわからないと匙を投げるような人には、魔法使いとして相応しくない』という一種の試験なんです。逆に、それを読んでも魔法を学びたいという人は、魔法使い入門者として合格ですよ。この学園のモットーはお話ししましたよね? 『探求心こそが人を育てる』というものです」
おめでとうございます、と桜は小さく拍手をする。ユーキとしては、疑問を口にしただけなのに、いつの間にか合格をしていることに若干の驚きを覚えた。
ただ、合格という言葉に悪い感じはしないので、思わず照れくさくなってしまう。
「さて、ユーキさんは魔法を使う方法が知りたいということでしたので、私でよければお教えしますよ。頑張って、立派な魔法使いになりましょう」
サクラはそう宣言すると右手の人差し指を立てて、その先に紅い炎を小さく生み出す。一定の周期で揺らめき、少しの風では消えそうな気配はない。
「よろしくお願いします。サクラ先生」
冗談でそんなことを言って頭を下げると、サクラもあわてて頭を下げた。
「こ、こちらこそ、よろしくお願いしまひゅっ!?」
鈍い音が双方の頭に響く。昨今のコントですら見ない、見事な頭のぶつかり具合だった。
額と後頭部を各々押さえながら悶えた後、どちらからともなく笑いが起こる。そのまま、魔法の特訓と行きたいところだったが、薬草や毒草を持ったままトレーニングに入るのも憚られるので、一度ギルドへ向かうことにした。
サクラも連れて通りを歩く中で、次に行ってみたいスイーツ店や前回は紹介できなかったお店の話をしながら向かうと、あっという間にギルドへ着いてしまう。
ギルドの窓口へ着くと、そこにはここ数日お世話になっているコルンがいた。雑談の中で、先程の出来事に触れると、彼女からも祝福の言葉が贈られた。
「さっそく、魔法を学ぶ師を得ましたか。おめでとうございます」
どうやら、サクラの言った通り、コルンに試されていたようだ。ユーキはコルンにお礼を言って、換金を行う。昨日の職員同様、毒草の量に驚いて三度見していたときには、ユーキもサクラも笑ってしまった。
「さて、これから教えてもらうわけだし、お昼をご馳走しようと思うんだけど、どうかな? お師匠様」
「もう、名前で呼んでくれないと教えませんよ。師匠命令です。名前で呼びなさい!」
片手を腰に当て、もう一方の手でユーキの目の前に人差し指を突き出す。
しかし、二人がいる場所は大勢の冒険者が集まるギルドである。そんな大声で宣言してしまえば、当然、周囲の目を集めるわけで、サクラの顔が見る見るうちに赤くなっていくのがわかった。最後に至っては真一文字に結んでいる唇が若干震えていたくらいである。
「まぁまぁ、落ち着いて。大丈夫だって、教室で先生のことをお母さんって呼ぶよりは恥ずかしくないから」
「どんなものと比較してるんですか? 確かに、それも恥ずかしいですけどっ!」
余談ではあるが、ユーキは実際に言ったことがあるからわかる。あの全クラスメイトからの痛い人を見るような視線と格好のいじりネタを見つけたという視線が入り混じったものをぶつけられた時の気持ちは、言い表せないほどの羞恥心なのだということを。
遠い目をして、経験したことがある者だけがわかる気持ちを記憶の彼方へしまいながら、ユーキは話題をもとへと戻すことにする。その頃には、周りの視線も止んでおり、サクラ自身も大分落ち着きを取り戻していた。
「とりあえず、サクラ。今日は、どのお店に行こうか」
「そうですね。新作デザートが最近出たお店があるんです。そこに行きましょう」
メインストリート沿いの店に入ると女性ばかりが目に入った。
少なくとも、男一人で入るには勇気がいりそうな店だ。この時、ユーキの羞恥心リストにまた一つ記録が増えたのは秘密である。
そんなことは露知らず、サクラはユーキを手招きして席へ呼ぶとメニューをどちらにも見えるようにして広げる。共に軽い食事とデザートを頼んで、他のデザートの絵を見ながら話をする。
「そういえば授業は明日からだって言ってたけど、休日なのにわざわざ学園に来てくれたのか?」
サクラは、首を振った後、説明していませんでしたね――――と教えてくれた。
どうやら、魔法学園は基本的に寮に入ることが前提で、その寮は何と城の中に併設されているそうなのだ。そのため、ガーゴイルから連絡を受けた後も、特に移動することなく――――といっても下手をすれば一駅分くらいの距離を歩かせたことになるのだが――――ユーキのところに来ることができたというわけだ。
そんなサクラの魔法学園生活事情を聞いていると、食事が目の前に運ばれてきた。一緒に手を合わせて、いただくことにする。
初対面の時に和の国の人間かと聞かれたが、サクラの容姿や行動から推測するに、和の国とは日本と比較的似通った国家、文化であることがわかった。そもそも、彼女の名前も日本を象徴するものの一つ「桜」と同じなのだし、無関係ではないだろう。
そんな思考の海に沈んでいる間にデザートも運ばれてきた。ユーキにはレアチーズケーキ。サクラには各種ベリーの使われたショートケーキだった。
「あぁ、これが先輩たちの言っていたケーキですね。ラズベリー、ブルーベリー、ストロベリーの三種が使われている極上の一品! ありがたくいただきます」
スプーンですくい、口の中に放り込む。数秒間硬直して、目を閉じた後、体を震わせる。顔全体は幸せそうな感じになりながらも口もとを窄ませている。
おそらく、ケーキのおいしさとベリーの酸味を同時に感じた結果が、その顔なのだろう。食べていなくても、ユーキはその表情からケーキの美味さを察することができた。そんなサクラを見つめていると、やっとあまりのおいしさに抜け出ていた魂が戻ってきたようだった。
「あぁぁぁ……、甘酸っぱくておいしい。ユーキさんも一口どうですか?」
一瞬、恋人的なノリを期待してしまったが、サクラが皿をこっちに渡してきたのを見てユーキは複雑な気分になった。誤魔化すためにも、自分のケーキを相手に差し出す。
「じゃあ、俺のも一口どうぞ。こっちもなかなかの美味しさだ」
お互いに交換して食べているのを見ると、少しばかり周りの視線が気になる。正直なところ、ユーキはそちらの方が気になって、食べたケーキの味はあまり覚えていなかった。
ケーキを食べ終えた後、魔法学園に戻ると、サクラは相当意気込んだ様子で勇輝へと語る。
「とにもかくにも、魔法の発動には魔力の流れを感じるのが一番です!」
そう言って、案内されたのは学園の寮の一室――――サクラの部屋――――だった。
そして、次に放たれた言葉はユーキの精神を大きく揺さぶることになる。
「はい、じゃあ、
思考が停止する。「そこ」とはどこだろうか。この部屋にあるのは、机と椅子、そしてベッド。つまり、床に寝転べということだろうか。既に一つの真実に気付いているが、理性がそれを否定する。認めてしまえば、理性は粉微塵に挫けるであろう予感があった。
しかし、全てはサクラの無慈悲な
「何してるの? ほら、
手でポンポンと、
――――神は死んだ。いや、神はここにいたのだ。
よくわからない感想を抱きながら、ユーキの中では理性の再起動を何度も試みているが、ことごとくが
「(会って三日の男を自分の部屋に入れて、しかもベッドに寝かせるか? いや、ありえない。それとも、ここの世界では、その程度のことは取るに足らない些事だとでもいうのか。いやいやいや、日本の大和撫子っぽい雰囲気のある子が、そんなことあるわけがない。天然? 天然なのか? これは俺に与えられた罰なのか? ふざけるな! かわいい女の子の布団に寝転ぶことができるなんて、なんて素敵イベントだ。いや、それともこれは何かの罠か!?
百面相を目の前で繰り広げるユーキにサクラは痺れを切らして、後ろに回って背を押した。
「は・や・く・す・る!」
――――訂正、突き飛ばした。
女の子とは思えない力にユーキの体は前方に吹っ飛ぶ。そのまま、顔面からベッドに着地した瞬間、柔らかい衝撃とともに鼻にフローラルな香りが飛び込んでくる。
そのまま、背中にサクラが馬乗りになり、肩甲骨に両手を添える。
高速で脈打つ心臓の音がサクラに聞こえないかとユーキは冷や汗をかくが、これでもまだ序の口であり、本番はここからだった。
「じゃあ、少しずつ私の魔力を体に流すから、それを感じ取ってくださいね」
両手に少し体重がかかり、じんわりと背中からカイロのように熱が広がってきたと感じた瞬間、
圧倒的なまでに感じる、安心感、幸福感。全身に鳥肌が立ち、脊髄に電撃が張ったかのように体がのけ反りそうになる。
この感覚は人それぞれで、母親に抱かれているときの安心感が強いという人もいれば、愛する人の分身んにあらゆる方向から包まれているという人もいる。
そんな不思議な感覚の中で、思わずユーキは身を震わす。油断しようものなら、口から変な声を出しかねなかった。いや、もしかすると出ていたかもしれない。
サクラが何か呼びかけるが、何も頭に入ってこない。一方の耳から反対側にすり抜けているようだ。そして、それすらも気持ちよく感じてしまう。幸福感に身を任せていると、さらに耳元でサクラの声が聞こえた。
「心臓から全身に、全身から心臓に、手足の先まで感覚を広げて、自分の意思であなたの感じてる感覚を増幅させるの」
耳にかかる息がこそばゆくて、さらに全身にはっきりと鳥肌が立つ。
だが、その鳥肌の感覚も手伝ってか、サクラの指示を実行できた。鳥肌が波打って全身に伝わるように、温かい何かが体の中を駆け巡るのを感じる。
そして、増幅した幸福感に数秒間、体を震わせた後――――ユーキの四肢から力が完全に抜けた。
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