極彩色の世界Ⅲ

 ――――第一村人発見。

 農作業中の中年男性なのだが、声をかけようとして、勇輝は非常に困ってしまう。


「(言葉は通じるのか!?)」


 正直、英語を話すことは苦手だ。日本語の正しい使い方も怪しいのに、外国の言語を操れるわけがない。そうこうしている内に、勇輝の姿に気付いた第一村人が近付いて来た。


「なんだ、ここらじゃ見ない奴だな。この村に何かようか?」


 日本語である。とても流暢な日本語。目の前の金髪碧眼の欧米風な顔立ちとガタイからは想像できない声に、勇輝は思わず目を丸くする。戸惑いながらも勇輝は何とか返事をすることができた。


「あ、あぁ、さっきそこで緑色の化け物に襲われたんです。申し訳ないですが、ちょっと村で休ませてくれませんか?」


 安心しかけたが、すぐにさっきのゴブリンのことを思い出し、勇輝は早口で村人に伝えた。その言葉に村人の顔が一変して険しいものになり、額の皺が一層深くなる。


「何? ゴブリンに襲われたのか、アンタ!」

「はい、四体に襲われました。そのうち、三体はまだ道沿いのところに倒れています」


 大柄な体がさらに近付いてくるのに、少し圧迫感を感じながらも起こったことを簡潔に話す。そうすると村人は体を揺らして一度畑の中に戻り、鎌と鍬を持ってくる。


「わかった。とりあえず、そいつらを見に行こう。こいつを持ちな。何も持ってないよりはマシだろう」

「あ、はい」

 

 村人は勇輝に鎌を渡してくる。全力で振り抜けば、人の皮膚など簡単に切り裂いて、鮮血を溢れさせる結果になるだろう。


「あいつらは、いつも作物を荒らしやがる。酷い時には家畜を殺して奪っていくことも躊躇しない魔物だ。絶対に許せねえ」


 そう言って村人は勇輝を放って進んで行ってしまう。どうやら、ゴブリンたちと村人たちの間には、かなり大きな確執があるようだ。

 案内するつもりだったのに、どこにいるのか既にわかっているかのような足取りの村人に着いていくと、ゴブリンの姿が見えてきた。ゲームなどのように光の粒子になって消えるわけでもなく、そこにそのまま倒れ伏している。


「それで、そいつらをどうすれば――――」

「どうするも何もない。こうするんだっ!」


 ゴブリンたちに確実に息の根を止めるために、村人は鍬でゴブリン三体の頭部に一撃加えた。その剛腕により、頭部が明らかに陥没する。

 その凄惨な光景に思わず、吐きそうになってしまった勇輝だが、何とか堪えることができた。

 いくらトンデモファンタジーな世界でも急所に一撃加えられたら生きていないだろう。

 その後、土にゴブリンたちを素早く埋めて掘り返せないようにするため、村にスコップを取りに行き、何人かの応援を呼ぶことにもなった。

 その作業を終えて休む間もなく、勇輝は村人に連れられて村長の家へ案内された。第一村人の男曰く、「村の作物を救った恩人にはお礼をしなくちゃならねぇな」とのことらしい。

 村長の家に辿り着くと、ちょうど本人は草むしりをしていたらしく、大きく伸びをして腰を叩いていた。

 村人から簡単に経緯を聞いた村長は勇輝たちを家の中へ入るよう手招きする。木製の椅子に腰かけた村長は、テーブルの水差しからコップに水を入れて一息ついてから口を開いた。


「ふむ、面妖な服装をしておるのう。儂は村長のニールというものじゃ。とりあえず、礼を言わせておくれ。ゴブリン共に作物を荒らされずに済んだ。ありがとう」

「いえ、こちらは必死で自分の命を守っただけです。お礼を言われるほどのことはしていません」


 そんな勇輝の背中を第一村人が叩く。若干、シャレにならないレベルでの痛みに顔をしかめるが、相手は気づいていないようだった。


「それでもだ! 同じくらいの若いのじゃ、一人で三体見たらびびっちまってやられるのがオチだ。胸を張れ!」


 大声で村人が高笑いを上げる。勇輝は苦笑いをしながらも、村長の次の言葉を待った。


「さて、見たところ。軽装ではあるが、異国の旅人のようじゃな。名前を聞かせてもらってもよいじゃろうか?」


 白髪でぼさぼさの頭を勇輝へむけて、村長が聞いてくる。旅人というワードは好都合なので、そのまま設定として使わせてもらうことにした。

 ただし、村長が苗字を名乗らなかったので、勇輝もそれに合わせる形で名乗る。


「ユーキと言います」

「ふむ、どこの出身じゃろうか?」


 その質問は予想できていた。だからこそ、勇輝はこう切り返すしかなかった。


「先ほどの戦闘で頭を打ったせいか、自分の名前以外よく思い出せないんです」


 記憶がないといえば、変に追及されることはない。自分の命の為とはいえ、結果的に村に利益をもたらしたのだから悪くはされないはずだ。

 そんな思惑で勇輝が話すと、村長は短く唸った後に申し訳なさそうにつぶやいた。


「なんと、それは気の毒に。よかったらこの村で休んで行かれるとよい」

「なら、俺の家に来るといい。一部屋余裕がある」


 都合のいいことに宿まで確保できたことに驚きを覚えつつも、勇輝は当面の問題点である食事と金銭問題をどうするかに頭を悩ませた。


「ありがとうございます。えぇっと――――」

「あぁ、俺の名前はジョージ。村一番の力持ちとは俺のことさ!」


 再び背中を叩くジョージ。加減はしてくれているのだろうが、勇輝には耐えるのが厳しい威力だった。


「すいません、お世話になります。何か手伝えることがあったら言ってください」


 勇輝は現状、それぐらいしか言うことができなかった。目の前の村長が微笑ましく勇輝を見つめてくる。

 できれば助けてほしい。

 そんな願いを込めて見返すが、当然、それが理解されるはずはなく、そのまま村の施設の説明を続けられるのであった。

 それから解放されたのは三十分くらい経った頃だろう。ジョージの家に来て、二階の空き部屋に案内された。聞けば、王都に騎士として採用された息子の使っていた部屋らしい。


「あー、疲れたー」


 一度腰かけた後、誘惑に分けてベッドに横たわる。体育で使うマットのような反発感があった。もう少し柔らかいベッドで眠りたいが、贅沢は言えない。

 周りを見渡せば分厚く濁った窓ガラス。木でできた壁と天井、そしてドア。

 先ほどは気づかなかったが、この村は結構な大きさで、こう見えても裕福な家庭が多いようだ。何でも広大な土地があるので、村人のできる範囲で作物を育て放題なのだとか。

 そんな村の説明を思い出しながら、勇輝は左腕につけた時計を見る。

 示された時間は十五時ニ十分。耐久力に自信があると謳い文句のソーラー発電付の時計を見ながらため息をつく。


「どうしてこんなことになったんだ……?」


 山の中では頭痛で思い出せなかったが、落ち着けたこともあり、少しずつ記憶が浮かび上がって来る。





 ――――現代・日本の某県某市。

 その日は連日続いた雨が上がり、雲一つない青空が広がっていた。街頭のテレビでは番組の司会者が最近の流行りの食べ物だとか、昨今の政治情勢を芸能人と話している。

 しかし、多くの人々は久しぶりの青空の下に出て、そんなことなど耳にも目にもしていない昼下がりだった。

 車のエンジン音と新幹線の駆動音が重なって、雑踏の声を掻き消す。スクランブル交差点は老若男女が行き交っていて、信号の点滅に合わせて速度を上げていた。飲食店から漏れ出た匂いが鼻を刺激し、年若いカップルが引き込まれていく。

 青々とした木々には小鳥が集団で居座り、人々を見下ろしていたが、不意に一羽が飛び立った。すると、つられて他の鳥も次々に空へと消えていく。どこかで犬の激しく吼える鳴き声が響いて来た。


「――――久しぶりにいい天気だな」


 擦れ違いざまに学生の集団の中から漏れ出た呟きが虚空へと消えた時、大地の鼓動が空気を裂いた。

 

 ――――浮遊感に襲われた勇輝は、唐突に自分の人生を振り返った。


 それなりに幸せな人生だった。誕生日やクリスマスには、いつもプレゼントを貰えた。ご飯を食べられなかったなんてこともない。むしろ、やりたいといったことには、積極的にやらせてもらった。

 そのおかげで走るのも泳ぐのも得意で、音楽も人並み以上には演奏できた。ごく普通の一般家庭よりも裕福な家に生まれた方だろう。

 もちろん、いじめだとかそういった類に無縁だったわけではない。どこかの芸能人だか霊能者は「人生は幸福プラマイゼロ」だと言っていた気がするが、あながち外れてもいないらしい。

 でも、最終的には安定した職業に就いて、何とかやってこれたと思っている。


「――――ひっ!?」


 まず最初にミシリと地面が軋んだ。普段ならどうということはない。自分が住んでいた地域に地震は珍しいものではなかった。

 しかし、今回は規模が違った。あちこちから悲鳴があがり、建物のガラスが砕け散り、看板は落ち、地面が割れた。勇輝はそのような混乱の中、足下の暗い割れ目に吸い込まれたのだ。

 普通ならば死んでいただろう。

 しかし、意識はあった。少なくとも世界を落ちている間は意識があったことだけは確信できる。

 落ち始めたと感じた瞬間は、周りの地面と思われる黒と割れ目から見える晴天の色しか認識できなかった。

 だが、それも一瞬で塗り替えられてしまった。例えるならば、何の美術的観点も考えずにカットした水晶の中を落ちている感じだった。全体的に青白く、通り過ぎる瞬間に様々に輝く平面の連続体が自分を中心に十数メートル先を駆け抜けている。

 落ちる恐怖に、ぶつかるかもしれない恐怖に、死ぬことへの恐怖に叫び声すら挙げられなかった。そして、目を閉じることさえもできずにいた。

 だから、見てしまった。観てしまった。視てしまった。みてしまった。ミテシマッタ――――そして、ミラレタ。





「――――っ!?」


 声にならない悲鳴を上げて飛び起きる。心臓が早鐘をうち、全力疾走の後のように呼吸が荒くなっていた。

 いつの間にか、寝てしまっていたことに気付いたのは、十数秒経ってからのことだ。腕時計は既に十七時を示している。

 変な汗が噴き出ているのを感じながらも、胃袋だけは呑気なもので、腹が空いたとしきりに主張していた。

 この世界の夕食がいつから始まるかわからないが、なにも手伝わずにいるのは居心地が悪い。何かできることは無いかと一階に下りる。すると、ふくよかなブロンド髪の女性が夕ご飯の支度をしているところに出くわした。


「お、アンタ。目が覚めたのかい?」


 彼女は勇輝の存在に気が付くと、包丁片手に尋ねて来る。この家の主であるジョージの奥さんであった。


「すいません。急にお邪魔した挙句、何の手伝いもせずに寝てしまって……」


 勇輝は謝罪するが、ジョージの奥さんは包丁を振りながら答えた。


「いいのいいの。武器もないのにゴブリン三、四体も相手にすればそりゃ疲れるでしょ。ほら、そこの。旦那が持ってきたから、しまっときなさい」


 テーブルの上を包丁で指し示す。そこには銀貨が三枚、無造作に置かれていた。


「これは……何ですか?」

「この村ではゴブリンの被害が多いっていうのは聞いただろ? だから一体ごとに銀貨一枚の懸賞金を領主様が出してくれるのさ。元々は兵を置いておくっていう案もあったんだけど、最近じゃ、自分たちで対応できるから、こうして男共のお小遣い稼ぎになってるよ」


 奥さんの説明に納得し、ありがたく貰っておくことにする。いつ元の世界に帰れるかわからないのだ。お金はあった方がいいに決まっている。


「もし、手が空いているなら村中央にある井戸から水を汲んできておくれ。いつもだったら旦那がやるんだけど、今日は忙しくなりそうだからね」


 スープの味見をして、その熱さに舌を出しながら、彼女は勇輝に視線を向けてくる。


「今日は何かあるんですか?」


 ごく普通のありふれた質問だったが、次の言葉に勇輝は耳を疑った。


「あぁ、に備えるんだよ」


 数歩よろけて後ろの壁に当たり、何とか勇輝は正気に戻る。


「あいつらが、また来るんですか? なぜ!?」


 半分取り乱している勇輝に、笑いながら奥さんは言ってくる。


「アンタがゴブリンを村の近くで倒したんだろ? 斥候部隊か何かの一団だろうね。もうゴブリンの群れが攻めてくる時期ってことさ」


 当たり前とでも言わんばかりに、料理の作業を続ける。


「なんだかんだで、私らもこうやって生きてきたんだ。大丈夫、何とかなるよ」


 平和ボケした日本人の感覚からすると信じられない考えだが、これがこの村での日常。この世界の当たり前。

 勇輝はできたかどうかもわからない笑顔で、そうですか、と告げて、木でできたバケツを手に家を出る。

 外には男たちが村のあちこちに篝火の準備を始めており、ジョージもその中にいた。


「おら! ちゃっちゃと終わらせねえと夜が来るぞ! 何も見えない中で死にてえのか!」


 そんな中で何人かは見慣れない服装をしている。一人は腰に両刃の剣をさしていた。その傍らにいる人は槍だ。鎧といっていいのだろうか。金属には見えない革か何かでできた鎧を身に纏っている。

 様々な人が行き交う中で、その横を勇輝は通り過ぎて井戸に向かった。

 その途中で思い出す。村長が、「冒険者が村に訪れているからちょうどいい」と言っていたことを。


「なるほど、化け物がいれば、それを狩る人もいるってことか」


 正直なところ、そういった存在に憧れがないわけではなかった。よくあるゲームの展開では王様に呼び出されて魔王を退治して来いと言われる。レベルアップの感動、村人からの尊敬の眼差し、頼れる仲間に可愛いヒロイン。

 そんな主人公になれたらと願ったことは、少年時代に――――いや、今でもそう思うことがある。つまりは羨ましいわけだ。その目の前にいる存在――――冒険者たちが。

 数十分後、勇輝が手伝ったとも言えないような仕事を終えた後、夕食ができあがっていた。

 戻って来たジョージも共に食事をとったのだが、食べ終えると勇輝にゴブリンの襲撃のことを彼は告げた。


「多分、今夜あたりにゴブリンが襲撃してくると思う。大抵、数体の斥候部隊を出した日に十倍くらいの数で攻めてくるからな」


 話を聞くと、なんだかんだでこの村ではゴブリンに殺された人は数えるほどしかいないそうだ。


「今回は俺たちの人数も五十人いて、冒険者もいるんだが、多いにこしたことはない。勇輝、お前も来るか?」


 一瞬、間があった後、勇輝は静かに頷いた。

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