第77話 女官として



 いる。

 あの女官が。


 ドルーア王国とマクセント王国との鉱山の採掘事業の会議室の隅には、女官が座っていた。


 ムニエ語を話せる彼女が会議に出るのは当然の事であるが。



 彼女の座る机の上にはムニエ語の辞書が置かれてあり、ゼット会長が何か話す度に、彼女は本をペラペラと開きながらカリカリとペンを走らせていた。



「 おい! 話がちげーじゃねーかよぉ! ノース政権はボンクラばっかしじゃ無かったのかぁ? 」

 ゼット会長と、通訳の男ロイド・バッセン伯爵が頭を付き合わせてひそひそと話をしている。


 すると直ぐにこの女官が凝視して来て。

 2人の話を聞く為なのか……

 耳を澄ましているかのような所為をする。



 忘れていた。

 ボンクラノース一族には凄腕の女官がいた事を。


 今年の納税は、今までのようにはいかないと言う噂を聞き付けたウエスト公爵家の執事であるバッセン伯爵は、あの時直ぐに納税の書類を手直しした。


 それが功を奏して、この凄腕と噂されていた彼女に流石だと賞賛された時の事を思い出していた。


 いくら税やお金に優れた頭を持っていても、まさかムニエ語を話せるなんて思ってもみなかった。



 ガルト商会のガルト会長は、何時もこんな騙すような商売をしていた訳では無い。

 だからと言って、真っ当に生きて来たとは言えないが。


 少なくとも前政権下ではちゃんとこの事業の取引をしていたのだ。

 個人の持ち物の鉱山なら兎も角、国を相手にするのだから不味い仕事はしたくは無い。


 ましてやこの仕事は、ドルーア王国とマクセント王国の2つの国を相手にするのだから。



 しかし……

 頓挫していたこの事業が動き出した時に、前政権下では連絡を取り合っていたロイド・バッセン伯爵からゼット会長宛に書簡が送られて来た。


 多額の金を儲ける事が出来ると言って。

 それも未来永劫だと言われれば乗っからない分けが無い。


 儲け話に飛び付くのは商人の性なのである。



 ドルーア王国で会った2人は街の酒場で打ち合わせをした。


 ムニエ語で話せば上手く騙せると。

 そして調印式で両国に調印さえさせれば……

 後は未来永劫両国から金を着服出来ると。


 ノース政権はボンクラ政権なのだからとバッセン伯爵は嘲笑った。



「 あの……小賢しいランドリアを宰相から引き摺り下ろしてやる 」

 そう呟いてバッセン伯爵が怪しく笑うのをゼット会長は見ていた。


 この男……

 ドルーア王国の宰相に個人的な恨みがありそうだな。

 まあ、俺達は金儲けが出来ればそれで良いさ。



 そう思っていたが……


「 でも、もう俺はおりるよ。あの女官がムニエ語を話せるなら、騙せるもんも騙せやしないぜ 」

 ヤバい話になったら、この大きな事業さえ危うくなる。


 何事にも引き際が肝心だ。

 それを間違ったらとんでもない事になる。


 ましてや王族相手は慎重にならなくてはならない。

 下手をすれば自分だけで無く、一族諸とも首を跳ねられる。


「 俺には大事な家族がいるからな 」

 ゼット会長はまともな交渉にする事を、バッセン伯爵に通達したのだった。




 ***




 翌日、財務室で仕事をする為に登城したソアラは、国王陛下が呼んでいるといわれて、カールに連れて行かれた。


 ソアラが案内された部屋は、鉱山の採掘事業の本部として色んな書類が置かれていて、そこでは財務部の6人が忙しそうに書類の整理をしていた。


 奥の部屋には国王と王太子が執務をする部屋になっていた。

 会議室に行く前にここで対策を練っている部屋である。



「 ソアラ嬢に頼みがある。これから先は我々と一緒に会議に出て貰いたい 」

 ソアラはサイラスから直々にお願いされた。


 通訳のロイド・バッセン伯爵を疑う訳ではないが、こんな重要な事業で間違った通訳をされては困るのだ。

 彼が年寄りだと言うのを抜きにしても。



 最早、ソアラがいなければ不安でしかない。

 何よりもソアラは未来の王太子妃だ。

 身内になった彼女には絶大な信用があった。



 国王陛下に懇願されて、断る人間はドルーア王国にはいない。


「 お役に立てるように頑張ります 」

 ソアラも勿論喜んで引き受けた。


 自分の趣味としての翻訳の仕事が役に立つのだからと。



「 だけど……それには条件があります。わたくしはあくまでも女官として会議に参加したいと思います 」

「 女官として? 」

 それは何故かとルシオが聞いた。


「 王太子殿下の婚約者としての参加は、その行動に制限が掛けられてしまいます 」

 女官の立場ならば言いたい事が言えるのだとソアラは言った。



 もう目立つ事はしたくない。

 女官としての発言ならば業務の一環だが、王太子の婚約者が何か言えばきっと注目される。


 新聞沙汰になるのだけは避けたい。

 たかがで新聞沙汰になるのだ。


 ましてや、先日の舞踏会では他国の王太子殿下と踊っている時に転倒したと言う失態を犯したばかりだ。


 貴族達だけではなく国民からも批判されてる今は、大人しく、目立たず、静かに過ごす事が得策だとソアラは思っていた。



 幸いな事に……

 会議室に乱入しても、ソアラが王太子殿下の婚約者だとは誰からも気付かれてはいなかったので。


「 分かった。その方がやり易いのならばそれで構わない 」

 サイラスの言葉に皆が頷いた。



 ソアラが会議に参加するならば……

 ソアラと一緒にいる時間が増える。


 やっと正式に婚約をしたと言うのに、最近は思うように会えなくて。


 ソアラが自宅に帰ってしまった事が痛かった。



 ソアラを見れば……

 早速ランドリアから今までの資料を見せられている。


 昨夜膝の上に乗れと言った時に…─

 恥ずかしそうにしていたソアラも可愛い。


 しかし……

 女官ソアラは美しい。


 凛とした佇まいや、仕事をする時の嬉々とした顔が尚更彼女の美しさが際立たされていて。



 あの時……

 ソアラに口付けをした事をルシオは思い出していた。



「 殿下、ソアラ嬢と一緒にいられて嬉しいと思ってますか? 」

 カールがヌッとルシオの顔を覗き込んで来た。


「 前みたいに暴走して、突然キスなんかしないで下さいよ。ソアラ嬢が寝込んだら大変ですからね 」

「 ………煩いよお前…… 」

 痛いところを突かれたルシオは、カールをひと睨みした。



 こうして……

 女官ソアラが、鉱山の採掘事業の会議に参加する事になったのだった。




 ***




 両国を交えての会議はもう一度仕切り直しとなった。

 今までに決めた事案が正しく通訳が出来て無い疑いがあるのに、このまま話を前に進める事は出来ないのは当然で。


 通訳であるロイド・バッセン伯爵は浮かぬ顔をしてはいたが。



 それまではマクセント王国側の主体で話が進んでいた。


 しかし……

 言葉だけでなく、数字にも滅法強い経理部の女官が加わったノース政権は強気だ。


 ガンガンと自国の主張を告げて来る。



 そして何時の間にか……

 会議室の隅に座っている女官に、マクセント王国の宰相や要人達も助言を求めるようになっていた。



 フレディはそんな両国の関係に目を細めた。


 通訳の出来ない者を大事な事業に付けるとは何事かと、自国の大臣達の怒りは凄くて、一旦帰国すると言う意見まで出て来ていた。


 ロイド・バッセン伯爵はウエスト家の人間だ。

 それをすればウエスト公爵やシリウスの立場が悪くなると思い、フレディは様子をみる事を大臣達に申し付けたと言う訳だ。


 そもそも自国からも通訳を連れて来る必要があったのだと、自分達の非も露呈して。



 そして当然ながら……

「 あの女官は大丈夫なのか? 」

 大臣達からそう言う意見が出た。


 一度信用を失うと疑うのは当然で。


「 大丈夫だ! 私が保証する 」

 彼女は未来の王太子妃なのだから。



 実はソアラから、自分の正体は内緒にしてくれと頼まれた。

 こっそりと。


「 わたくしが王太子殿下の婚約者だと言う事は秘密にして欲しいのです 」

「 何故? 未来の王太子妃なら信用に足りると思うよ 」

「 いいえ! わたくしは新聞沙汰にはなりたくありません! あの時……値切っただけで新聞に載りましたから 」

 そう言って困ったような顔をしたソアラに、フレディはクックと笑った。



「 確かに…… 新聞に載ってたな 」

「 なので、恋人のシリウス様にもそうお伝え下さいね 」

 そう言うと、ソアラはニッコリと笑って意味深な顔をしながら立ち去って行ったのだ。



 早く誤解を解かなければならない。


 まあ、彼女が会議に加わるのならば、そのうちに誤解を解く事も出来るだろうと。


 ソアラの後ろ姿を見ながらフレディは思った。

 つまらない会議もこれで楽しくなると。




 ***




 会議はその後に連日開かれた。


 辞書を片手にしながらのロイド・バッセン伯爵の通訳に、ソアラは耳を澄ました。


 あくまでも通訳はバッセン伯爵なのは変わらない。


 ソアラはムニエ語を理解してはいるが、ヒアリングをした事は無いので、やはり上手く聞き取れない事を懸念して。



 そして……

 あの時のゼット会長によるドルーア王国への暴言は不問にした。


 採掘事業には採掘作業のプロである彼等が欠かせない事もあって。

 何よりもこれからはムニエ語を話せるソアラがいるのだからと。



 そうして皆が色々と苦労を重ねた結果。


 ドルーア王国のサイラス国王とマクセント王国のフレディ王太子との、両国による調印式の日を迎えたのである。






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