第71話 伯爵令嬢の初外交




 春の訪れと共に、ドルーア王国に隣国から王太子殿下が来国して来た。


 彼が来国するのは、4年前のルシオ王太子の立太子の式典以来だ。



 フレディ・モスト・ラ・マクセント。

 黒髪にエメラルドグリーンの瞳がキリリとした、精悍な顔立ちの王太子だ。


 まだ婚約者もいない26歳の王子様は、自国だけで無くドルーア王国の女性の間でも人気がある。



 午前中はフレディと共に来国して来た要人達との歓迎レセプションが行われ、夕方からは晩餐会。


 そしてその後に舞踏会が開かれる予定だ。


 

 今回はルシオ王太子が婚約をした事のお祝いも兼ねての来国でもある事から、ソアラは晩餐会が始まる前にフレディ王太子に紹介された。


 夜の舞踏会ではドルーア王国とマクセント王国の友好の証として、2人でダンスを踊る事になっている。



「 この度は婚約おめでとうございます。ドルーア王国の未来と我が国の未来が良い形になる事を願って止みません 」

「 有り難うございます。フレディ殿にも良い知らせがある事を願います 」


 未来の国を担う者達が固い握手をした。



 ルシオの横にはソアラが並んでいて……

 フレディ王太子にカーテシーをする。


 その所為はとても優雅だった。



「 私の婚約者のソアラ・フローレン伯爵令嬢です 」

 ルシオが紹介するとフレディ王太子はそう言ってソアラの手に唇を寄せた。


「 噂通りの美しい方ですね 」

「 勿体無いお言葉を有り難うございます 」

 挨拶の時には、臭い程にお世辞を言うものだとお妃教育で習った。



 今のところは教科書どおり。

 カーテシーをした時も、上手くドレスが広がった。

 ディランさんに教えて貰った通りに。


 応用編もあると言っていたが。

 それを教えて貰う事無く彼女は帰国してしまったが。




 ソアラが顔を上げると、フレディがソアラの顔に自分の顔を近付けて来た。


「 !? 」

 近い。



「 フレディ殿! 私の婚約者がいくら美しいからと言って、邪な真似はご遠慮願いたい 」

 ルシオが直ぐにソアラの肩に手を回して、自分の方に引き寄せた。


 フレディが、ずっとソアラの手を握ったままだった事にもムカついて。



「 失礼。以前に会った事があるような気がしまして 」

「 ……ドルーア王国ではよくある顔ですから…… 」

「 ……… 」

 フレディはクックと笑った。



「 そなたとを楽しみにしております 」

 意味深にそう言った彼は、ソアラに深々と頭を下げて他の貴族の元へ向かった。

 ドルーア王国の沢山の貴族達からの挨拶を交わす為に。



「 ソアラの美しさに見惚れたか? 」

「 ……止めて下さい 」

 ルシオはフレディの後ろ姿を見やりながら、眉を潜めて睨むソアラの手を取り歩き出した。


 美しいとか可愛いとか……

 殿下は本当にどうかしているわ。



 それに……

 フレディ王太子殿下には、世界中に美しい恋人がいると言われている。

 この普通顔の私を美しいなんて思う訳がない。


 王太子と王太子妃が仲睦まじいのは良い事だ。

 しかし……

 それを聞いた皆は、必ず二度見をするのを殿下は分かっていないのだ。


 フレディ王太子殿下も笑っていた。



 ソアラはお妃教育の時に、他国の王族の姿絵を見せられてかなりのショックを受けていた。


 皆が皆美しくて。

 光り輝く程に。


 そりゃあそうだろう。

 選び放題の王族が最高に美しい妃を娶るのだから。

 それはどの国も同じで。


 フレディ王太子殿下もかなり美しい顔だ。

 殿下には及ばないまでも。



 ドルーア王国の歴代の王族の姿絵も、お妃教育で見る事となった。

 歴代の王族が美しいのは、今の国王と王太子を見れば一目瞭然だ。


 代々王家に嫁いで来た4家の公爵家の面々も美しかった。


 アメリアやリリアベル。

 それにカールやシリウスを見ればこれもまた一目瞭然なのである。



 こんな美しい遺伝子に私が混じれば……

 このドルーア王国の子孫は普通顔になってしまう。


 それで良いのかと……

 ドルーア王国の王族の顔の遺伝子のいく末に、ソアラは想いを馳せるのだった。




 ***




 流石に晩餐会では、ソアラは王族と一緒の席に着く事は免れた。


 いくら王太子の婚約者になったからと言って、ソアラはまだ伯爵令嬢。

 王族達の座る上座には、両陛下とルシオ王太子と貴賓席にはフレディ王太子が座って軽く雑談をしている。



 本来ならば伯爵家は末席に座るのだが、フローレン家の3人に用意された席は公爵家の次の席。


 上座に王族達が座り、その前に縦長で貴族達の座る席が用意されている。



 ソアラが席に着こうとするとシリウスがやって来た。


「 ソアラ嬢。お久しぶりですね 」

「 シリウス様は如何お過ごしでしたか? 」

 帰国するディランと一緒に、マクセント王国に行くと言う事は聞いていたが。



 シリウスはマクセント王国にある、滞在中の邸宅を引き払って来たと言う。


「 私もウエスト家の嫡男として、遊んでばかりもいられなくてね 」

 早く結婚をしろと両親が煩くてと言ってシリウスは苦笑いをした。


 黒髪にやや垂れ目気味の灰色の瞳の彼は、相変わらずの甘いマスクだ。



 だったら……

 ディランさんはどうなるの?


 込み入った話を聞いてはならない事は分かってはいるが。

 あんなにも仲睦まじい2人を見ていた事から、2人の行く末が気になってしまうのは仕方が無い。



「 ディランさんは……? 」

「 ディランとはよ 」

 公爵家の嫡男であるシリウスと、平民のディランが結婚出来ない事は明らかだ。


 王族だけで無く……

 家格の高い公爵家の人間も、身分違いの恋なんか許されない事は必須。

 ウエスト家の嫡男であるのならば尚更だ。



 ドルーア王国は一夫一妻制である。


 しかし、王族だけは特例として側妃が認められている。

 ただ認められているのは世継ぎを儲けなければならない国王と王太子のみで、第2王子や第3王子にも認められてはいない。


 その国王と王太子でさえも、世継ぎである王子が生まれ無い場合だけなのである。

 なので貴族には当然ながら第2夫人は認められてはいない。



 離れないと言う事は愛人として囲うと言う事なの?

 あんなにも愛し合っている2人なのに。



 愛が無くても結婚する私と殿下。

 愛する女性ディランを愛人にするしかないシリウス様。


 じゃあ……

 シリウス様の奥様となる方はどうなるの?


 こんな泥々の話は本で読んだ事はあるが、知り合いがそんな泥々な世界にいる事にソアラはショックを受けた



 私は幸せなのだわ。

 好きな殿下ひとと結婚出来るのだから。


 ソアラは……

 隣国に帰ったブロンドの長い巻き毛にエメラルドグリーンの瞳のディランに、想いを馳せるのだった。



 本当は直ぐ近くにいるのだが。




 ***




 晩餐会が終わると次は舞踏会だ。

 ソアラの初の外交は問題なく行われていた。


 ……と言っても、ルシオの横で挨拶を受けるだけなのだが。


 しかしだ。

 舞踏会では、フレディ王太子殿下と踊らなければならないのだ。



「 緊張してる? 」

「 はい。殿下以外の殿方と踊るのは初めてなので…… 」

「 そう。僕が初めてなんだ 」

 それを聞いたとたんにルシオは機嫌が良くなった。


 ソアラがフレディと踊る事にずっとイライラしていて。

 挨拶の時にフレディがソアラに好意を示した事にもイライラとする。

 あれは単なる好意では無いことは明らかだ。


 晩餐会ではシリウスがソアラと話をする所を目撃したから余計に。



 シリウスとソアラのツーショットをルシオはこの時初めて見た。

 遠目だったが。

 見つめ合って話す姿を見ていると、何故だか焦燥感に教われた。


 フローレン邸の執事であるトンプソンに、見張るようには言っていたが。

 やはりシリウスを行かせるべきでは無かったと後悔する。



「 僕以外と踊るのは嫌だろうけど、これも公務の一環だと思って耐えて欲しい 」

「 ……はい。頑張ります 」

 コクンと頷いたソアラに、ルシオは少しだけ溜飲が下がるのだった。



「 フレディ殿をただの大木だと思えば良いよ 」

 ソアラをクルリとターンさせたルシオは、そう言って笑った。


 王太子殿下をただの大木と思える訳が無い。

 足を踏ん付けたらどうしようかとソアラは気が気では無い。



 デビュタントの時に父親からワルツを習った以外は、本当にルシオとしか踊った事が無いのだ。


 ダンスの講師であるディランが帰国をしてからは、ルシオがレッスンをしてくれはしたが。


 忙しい彼のレッスンは数える程だ。



「 大丈夫だよ。凄く上達していたから 」

 ディランの教え方が良かったんだろうねと、ルシオはソアラを励ました。


 ルシオとのダンスは、こうしてお喋りをしながら踊れるようになっていた。

 勿論、簡単なワルツに限ってなのだが。



 本当は……

 ルシオと踊るダンスがソアラが新しく覚えた方のダンスで、フレディと踊るのはワルツだった。


 しかし……

 フレディ王太子殿下が、ソアラが新しく覚えたダンスの方をリクエストして来たらしい。



 ワルツのメロディが鳴り止むと、ソアラはルシオにカーテシーをした。

 ディランに習った通りに、ドレスの裾をフワリと翻して。


 周りにいる皆も満足そうだ。


 この場にはマクセント王国の王太子殿下がいる事から、貴族達には新年祭の舞踏会の時のような不穏さは無かった。


 勿論、サイラス国王が言ったソアラ嬢を選んだ理由が、王妃が気に入ったからだと言う事に納得した訳では無い。


 しかしだ。

 この場は外交が優先だ。



 特に隣国マクセント王国との関係は良好でなければならない。

 両国で新しく始める事業の恩恵は、多くの貴族達にも利益をもたらす事になるのだから。


 ここでは新しい婚約者であるソアラ・フローレン伯爵令嬢に頑張って欲しい所で。


 皆はルシオとのダンスを終えて……

 ルシオが彼女をフレディの元へエスコートして行く姿を、固唾を飲んで見守っているのだった。



 ソアラはフレディの前でカーテシーをした。

 フレディがソアラに手を差し出すと、ソアラはその手に自分の手を重ねた。


 ドキドキ……

 ソアラの心臓がはち切れそうな程に波打っている。



「 頑張っておいで 」

 先程、ダンスが終わる前にルシオからおまじないをして貰った。


「 オデコにキスをされると落ち着くよ 」

 勿論、そんなおまじないは聞いた事は無いが。


 藁にもすがりたいソアラはやってくれと懇願した。


 そして……

 悪戯っ子のように笑ったルシオが、ソアラのオデコに唇を寄せた。


 しかしだ。

 ドキドキは更に高まっただけで。


 全然効かないおまじないだわ。

 後で文句を言おう。


 そんな事を思いながらも、ソアラはルシオに手を引かれて、フレディの前に連れて行かれたのだった。



「 今宵、誰よりも輝いているそなたと踊れる事を、光栄に思います 」

 ダンスの前には殿方が歯の浮くような言葉を、パートナーに言うのがマナーだ。


 パートナーと気持ち良くダンスを踊る為にそれを言うのだと、ディランが言っていた事をソアラは思い出した。


 殿下が何時もダンスを踊る前に歯の浮くような事ばかり言うのは、そう言う事だとソアラは理解した。


 練習の間中……

 いやそれ以外にも、ルシオはソアラに可愛いとか美しいとかを連発して来るので。



 そんな事を思っていたら……

 いつの間にかダンスが始まっていた。



 えっ!?

 初めてフレディ王太子殿下と踊るのに……


 とても踊りやすい。



 殿下よりも踊りやすいのでは?


 まるで……

 ずっと踊って来たパートナーのように。



「 以前踊った時よりも少し上達したね。 ルシオ殿と練習したのかな? 」

「 ……は……い? 」

 以前に踊った?


「 わたくしは……フレディ王太子殿下と踊るのは初めてですが…… 」

 他国の王太子殿下となんか踊った事などは無い。

 自国の王太子としか踊った事が無いのに。



 それにこのダンスを人前で披露するのは初めてだ。


「 ? 」

 首を傾げてフレディを見つめてくるソアラに、フレディはクスクスと笑った。



「 踊ったじゃないか……私と何度もね… 」

 フレディは途中から自分の声のトーンを高くした。


「 カーテシーも見事にドレスの裾が広がっていましたわね 」

「 !? 」

 フレディは顔を見上げてフレディを凝視するソアラに顔を近づけた。


 エメラルドグリーンの瞳が優しく揺れている。



「 ………ディラン?……さん? 」

「 やっと気付いてくれたわ。ソアラ様ったら全然気付いてくれないんですもの 」

「 嘘…… 」

 ソアラは驚きのあまりに足が止まった。



 そして……

 そのまま足首をグネッて……


 見事に転倒してしまった。








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