第5話 日本舞踊研究会伯継承問題 上
学園中庭の学生会館の一室、生徒会室の机の上には学園内の地図が広げられていた。地図には所狭しと書き込みがなされ、さらにメモ用紙や様々な書類が地図のまるで積乱雲のように地図の上空を厚く覆っていた。
「もう一度言うわ。大道芸部伯との戦争に備えなさい」
襲ユリは僕たちに覚悟を求めた。いよいよ始まるのだ。生徒会が学園に覇を唱える日が、始まるのだ。しかし——。
「ちと早すぎやしないか?攻勢をかけるのは来月からという話ではなかったのか?」
「状況が変わったわ。これを見なさい」
彼女は机上のものをすべて払いのけて一枚のコピー用紙を僕たちの前に置く。どうやらLINEのトークルームをスクリーンショットしてそれを印刷したもののようだ。相手のアイコンと名前は黒塗りされている。暗部からの情報なのだろう。
「日本舞踊研究会伯を和舞会長騎聖エリセ《きしょうえりせ》が継承する……たしかにこれはマズいな」
物部先輩が難しい顔をする。彼のぼそりと漏らしたその言葉に中臣先輩や大伴先輩は頷く。
和舞会というのは日本舞踊研究会伯を代々世襲する権利、いわゆる継承権を持つ日本舞踊研究会伯の部員・同好会員による派閥である。めんどくさいことにこの学園の部活動・同好会の長たる伯は部員・同好会員全員がなれるわけではない。特定の派閥の長が特定の部活動・同好会伯を継承するのだ。
もともとこの派閥というものはOBOG会に起源するものである。OBOG会はかつての旧交を温め、現役部員・同好会員との世代を超えた繋がりを生み、部活・同好会のさらなる発展と久遠の存立を目指す有志による集まりであった。だが、この存在は部活・同好会間のセクショナリズムを増長させ、さらに経済的な格差は拡大し、他部活・同好会との競合を生んだ。そして、その金権政治ぶりや人的結合による共同体意識やセクショナリズムの悪弊を清算するため、かの新生初代生徒会長の時代にそのOBOG会は解体され、それとともに部活・同好会組織も改組され純粋に”部活動”を行うだけの存在となったのだ。
だが各部活・同好会に大幅な権利譲渡が行われ、かの初代生徒会長が退任し学園を卒業した後、学園自治の理念は徐々に時の波と世代交代、革命思想への諦め、左翼の内ゲバと武力路線への嫌悪感によって形骸化と風化の一途をたどり、さらに初代生徒会長のような傑物の不在によって学園の統治体制はまるでポストアポカリプスのように混沌と混乱そのものであった。その状況下から学園そのものの意思のように、そうなるように最初から定められていたかのように生まれたのが学園封建体制であった。
そして、学園を支配する権力を手中におさめた各部活・同好会伯たちは一つの大きな問題に直面した。その権力を次代にどう継承するのか、という問題だ。専制政治や独裁政治において、中央あるいはひとつの存在に収斂した権力を自分の望む後継者につつがなく継承することほど難しいものはないのだ。そこで彼らはかつてのOBOG会に倣って派閥を作ることにした。派閥の長が部長・同好会長を務め、その職位を派閥のメンバーに長の指名や序列によって継承していく、そういう慣行を生み出したのだ。
故に各部活・同好会伯たちは自分たちの勢力を拡大するため権謀術数や巧みな恋愛政策を用いて他派閥の継承権を得ようと常に画策しているのだ。今回の事態もこの学園におこるいつものことなのだ。
「日本舞踊研究会伯を和舞会長が継承するのは別に構わないわ。でも騎聖エリセ、大道芸部伯木料朋毅の彼女が継承するのは由々しき事態よ」
「大道芸部伯が日本舞踊研究会伯領の共同統治者となれば二年生、三年生の文系クラス12教室が木料の支配下に置かれることになるわ」
「だが、日本舞踊研究会伯領は文系三年生の一教室だけだ。大道芸部伯領が一教室分増えたぐらいで大勢は変わらないと思うが」
僕がそう言うと襲ユリはそれはどうかしら、と先ほど払いのけた学園内の地図を拾って机の上に広げる。
「みんなも知っての通りこの学園には本館、東館、西館、南館、北館、体育館、図書館、講堂、特別教室棟、部室棟、礼拝堂とここ生徒会館の全部で12の主要な建物があるわ。そして——」
襲ユリの指は文系クラスが置かれている北館から渡り廊下を通って本館に、そして本館から中庭を迂回するように敷かれた渡り廊下を道なりに進み南館へなぞられていく。僕はようやく迫りくる事態の深刻さに気付いた。顔が強張る。
日本舞踊研究会伯領は北館の一番南に位置している。かの初代生徒会長に連なる系統を継承する由緒ある同好会であり、現生徒会とも近い。それ故に同伯は僕たち生徒会にとり、手品部伯を継承し強大化しつつある大道芸部伯の南下を防ぐ北への防壁の役になっていた。しかし、その防壁がいま陥落しようとしているのだ。
だが、ここで断っておかなければならないことがある。日本舞踊研究会伯はたしかにその類系は初代生徒会長に連なり、現生徒会に近い。しかし、だからといって必ずしも生徒会の影響下にはないということである。僕たち生徒会が同伯の存在を北への防壁と考えているだけであって当人は全くそのような考えは持ってはいないし、当人はそれを嫌うだろう。くどいようだが彼ら諸侯のひとりひとりが一個の独立した勢力なのであり自律的な思考をする、そういう存在なのだ。そして僕たち生徒会、というより文芸部伯にして仏暁学園生徒会長襲ユリは諸侯と横並びの同輩でしかなく、生徒会長とはつまるところ同輩中の最有力者に過ぎない。しかもその”最有力者”の意味するものは学園自治の理念を体現する正統な係累に属する者であり、”学園最強”の称号ではないのだ。
であるからこの学園に覇を唱える襲ユリの野望は遠く険しい。しかしだからこそ僕の学園生活を懸けるだけの価値があるというものだ。
「北館を拠点とする大道芸部伯が南下して版図を拡大すれば、文芸部伯領ともその境界を接することになるわ。強大化した大道芸部伯とやりあうほどの力なんて我が生徒会ましてや文芸部伯にはない。そしてブラスバンド部伯とオーケストラ部伯と同盟を締結したとの噂もあるわ。さらに科学帝国の膨張もこの頃急速に進んでいる。今じゃなきゃダメなのよ。じゃないともう手のつけようがなくなるわ」
僕たちは地図を黙ったまま眺め続ける。現実と近接する未来を地図は冷徹に僕らに向かって突き付けてくる。俯く僕らに対して襲ユリは地図を高みから睥睨して腕を組んでいた。
「今の情勢を鑑みてこちらから先に仕掛けるのには賛成するわ。でも勝算はあるのかしら?」
大伴先輩が襲ユリに問いかける。襲ユリはその問いを待ってましたとばかりに快活に応える。
「勝つことがすべてではないわ。次に繋がるきっかけができればよいの。今回の目標は勝利することではないわ」
「で、では今回の目標はな、なんなのですか?」
中臣先輩が恐る恐る尋ねる。
「日本舞踊研究会伯を生徒会領に併合するための正当性をつくることよ」
そう言い放つと襲ユリはニヤリと笑って生徒会室のドアに向かって声をかける。
「入ってもよいわよ」
ドアの向こうから「わ、わかりました」と声がした。ドアノブが慎重に回される。いったい誰なのだろうか。
ドアを開け入ってきたのは一人の女子だった。怯えてはいないが緊張している面もちだ。彼女の胸を見て僕は驚く。物部先輩や中臣先輩、大伴先輩も僕と同じような反応をしている。
彼女の胸には「アメノウズメに扇と榊」の胸章がつけられていた。つまり彼女は——。
「日本舞踊研究会の
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