追憶の航路
トルティーヤ忠信
1
彼方が茜色に染まり、そして濃紺に塗り重ねられていく空の中、微かな汐の薫りが凪にゆらめいていた。
水平線は淡い橙の弧をゆったりと描き広大な海原は紫紺に色映え、浜に向かって紅色の路が延びていた。海鳥達が遠く岸壁の寝ぐらに戻っていく。
海沿いの街には明かりが灯り始め、通りや駅近くに軒を連ねる居酒屋には人々の喧騒に溢れていた。沖合いには数隻の内航用の小型の貨物船や油槽船が停泊し、港近くの波止場には漁船が幾艘も繋留されている。重々とした汽笛が響き渡る。遠い岬に聳える灯台が燭光を放ち始めていた。
緩い坂を下る途中、僕はふと足をとめた。どこからか詩が聴こえるのだ。
哀しくて胸の奥が締めつけられ聴くものに時の流れを忘れさせる様な音色、そこにはある種の諦念を感じずにはいられなかった。感想を求められたのなら正に悲壮という言葉を誰しもが言ったであろう。だが何故だろう、全くの見知らぬ聞いたことのない詩であるのにどこか郷愁の念を感じた。僕を呼んでいる、いや待っている様に思えた。そして不思議なことに僕以外には聴こえていないらしい。恋バナに花を咲かせている女子高生達や家路を急ぐサラリーマン、これから現場に向かう土工も坂の中腹で佇んでいる僕を尻目に通り過ぎていく。
夕雲は黄金色に輝き、樹々は次第に黒ずみ、影をのばしている。
吹きはじめた陸風におされるように僕は聲の聴こえる方角へ走りはじめた。
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