16.候補者と王家の社交
この夜会へ出るに当たって、女神からは、こう助言されていた。
「お前はどうも、自己を肯定する力が低い。いいか、堂々としろ、とまでは言わない。ただ、狼狽えるな。……なに、微笑んで相槌を打つだけで、だいたいは上手く躱せるだろう」
まあ、愛想は大事だ。そこは、世事に疎いテオドアでも、分かることだった。
だから今、ここで素直に実践しているわけなのだが。
(ど、どういう対応が正解なのか分からない!)
微笑みの下で、テオドアは密かに狼狽えていた。
意地でも顔に出さないよう、それだけは頑張っているけれど。許されるならすぐにでも、この場から逃げ出してしまいたかった。
なにせ、早々に、ウルリーケ王女と二人きりにされてしまったのである。
いや、国王はなにか話したそうにしていたのだが、アンゲリカ王女が彼の手を引いてどこかに行ってしまった。
幼い王女は去り際、こちらを強く睨みつけていた。なにか、思うところがあるのだろう。
その後は数分ほど、壁の近くに寄り、ウルリーケと他愛のないお喋りをしていたのだが。
……上手く躱すどころか、ひとつ返答するだけでも心臓が破れそうなほどで、背中には冷や汗がこれでもかと伝っていた。
王女は完璧なまでに、社交界での振る舞いを身に付けていた。美しく微笑み、感情を感じさせない声で話す。しかし、無機質だとは思わせない。巧みなものだ。
もちろん、王女なのだから、経験値が違って当たり前だろう。付け焼き刃のテオドアでは、とても太刀打ちができない。
社交界から断絶されていた弊害が、こんなところに現れるなんて。別に興味もなかったのだけど、これなら母に聞くだけは聞いておけば良かった、と密かに後悔した。
平民出身とは言え、貴族の仲間入りを果たした母になら、それなりの心構えも聞けただろうに。
「そういえば」
ぐるぐると考え込んでいたテオドアを、知ってか知らずか。ウルリーケはふと、思い出したように言った。
「わたくしの父と、当代のヴィンテリオ公爵は、学院時代からの親友だと伺っております。ですから、貴方さまがお選ばれになったと知ったときは、それはもう大喜びでしたのよ」
「……国王と、公爵が?」
「ご存じでなかったのですか?」
「ああ、その……こ、父とはあまり、顔を合わせないもので」
顔を合わせないというか、物心ついたころから会ったことがないというか。物は言いようである。
しかし、ウルリーケはなにやら納得してくれたらしい。なるほど、と頷いてから、綺麗に話題を変えてくれた。
「先ほどは妹が失礼をいたしました。本当は、今日の夜会には、父とわたくしだけで出席する予定でしたの」
だが、アンゲリカは不服を申し立て、父親が心配だから自分も連れて行けと言ったという。
まだ社交界に出ていないことを理由に断られれば、この夜会の直前に、社交界デビューを無理やりねじ込んだ。
十歳くらいの少女を社交界に出すのは、異例のことなのだという。
しかし、彼女は国王の娘の中でも特に賢く、早くから公式の場に出してはどうだろうと、家臣からも打診が相次いでいたらしい。
そのような打診をした者にとっては、王女の申し出は渡りに船だったのだろう。
言い訳を潰され、年齢を理由に断ることもできなくなり、ついでに遅くにできた娘に甘い国王は――周辺国からどう見られるかは度外視に、こちらへ連れてきた。
そのような事の次第らしい。
「あの子には困ったものです。……自分が正妃の子であると意識し過ぎているようで」
「正妃の子?」
「うふふ、実は――わたくしを含めて、あの子以外の国王の子どもはみんな、側妃の生まれですのよ」
最後の方は少しだけ声をひそめて、ウルリーケはすすすとこちらに身を寄せた。あまりに自然な流れ過ぎて、避けることもままならなかったほどだ。
いや、この状況で露骨に避けるのは、あまりにも失礼すぎるだろうけど。
「ですから、わたくしも、貴方さまに是非お目にかかりたかったのです」
「……それは、どうして」
「テオドアさまとわたくしでは、家庭の事情はだいぶ異なりますが。第二夫人のお生まれだとお聞きして……勝手ながら、少し、親近感を覚えました」
「……」
「何も知らないくせをして、と、お怒りになりますか?」
「……いいえ」
ウルリーケはまた綺麗に微笑み、つと身体を離した。
相変わらず、完璧に社交界慣れした女性の振る舞いだが、今の言葉はお世辞ではないと思う。そう信じたかった。
「テオドアさま。この会場、少し暑くなってきていませんこと?」
「そう、でしょうか」
テオドアは周囲を見渡した。
会場の室温は、精霊たちが完璧に配慮しているだろう。だが、人も多い。知らないうちに人波に当てられて、暑くなっているのかもしれない。
「ですから、テオドアさま」
あくまで自然な仕草で、左腕にほっそりとした手が添えられる。離れたはずの距離が再び縮まっていた。
「わたくしと外へ涼みに出ませんか?」
(あれ、なんだろう……? 雲行きが怪しくなってきたような……?)
夜会であるからか、王女のドレスは襟のないデザインになっている。大人の女性たちに比べて控えめだが、それでも、胸元が見えそうで見えない絶妙な大胆さだ。
王女とテオドアは、同じくらいの身長である。彼女は、少し下から覗き込むように、テオドアを見上げた。
「もしよろしければ、二人きりで。……いかがでしょう?」
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「それでどうした?」
「……そのとき、アンゲリカ王女が駆けてきて、『お姉さま! ご自分を安く売ってはなりません!』と言って、ウルリーケ王女をどこかへ連れて行ってしまいました」
「あはは、妹の前では姉の策略も形無しか。とんだ邪魔が入ったものだな」
お前も残念だっただろう? と女神に問われ、「いえ、特に……」と返すと、さらに笑われた。
もう少し余裕があれば、王女の麗しさにも目が行っただろうが。内心かなりいっぱいいっぱいだったので、それどころではなかったのだ。
この一週間で恒例となったお茶会は、試練の発表後も変わらずに行われた。
もちろん、他の候補者には内緒である。また、ほとんどが使用人のいない応接間で行われるが、今日は違う。二人のテーブルのそばで、三人の女性使用人が忙しく立ち働いていた。
女神は身を乗り出し、「他にはあるか?」と聞いてきた。
心なしか、わくわくしているようだった。
「そ、そんな面白いことは、なにも」
「本当か? 女に囲まれてヴェルタの候補者に助けてもらった、と聞いたが、嘘だったか」
「どこでそれを!?」
あれはどこの国からの賓客だったか、美しく着飾った初老の女性が、会場の隅で体調を崩してしまった。
自分の近くだったので、特になにも考えずに裏へお連れして、精霊給仕の誰かに託したのだが……。
それを目撃した者から、伝言式に
――していませんよ!?
噂とは恐ろしいものだ。テオドアはそう学んだ。
さらに、テオドアの会場での振る舞いが、参加している女性のみなさまにはとても好印象だったらしく。
先の噂も相俟って、夜会の終わりごろには、テオドアの周りを十数人の高貴な女性が取り囲んでいた。というわけだ。
一人一人丁寧に対応していたが埒があかず、見かねたルチアノが用事を作って助けてくれた。
……ルチアノから「やあ、テオドアくん。ご歓談中に失礼するよ」と上品に笑いかけられたときは、目の玉が飛び出るくらいに驚いたけれど。
あれが彼の「場に相応しい姿」なのだろうと、なんとなく理解した。控え室に着いた途端、「いつもの」に戻ったので。
女神は心底おかしそうに笑いながら、焼き菓子をひとつつまんで食べた。
「ああ、笑い過ぎて消滅しそうだ。こいつの見目に惹かれて集まった女が、こいつの鈍感にいったいどれだけ耐えられるのか、考えるだけで笑えるな」
「候補者さまにご自覚させるのが早いのでは?」
と、使用人のうちの一人が言った。
女神は首を振り、「百年経っても無理だな」と切って捨てる。
「これの鈍感は筋金入りだ。自己肯定感も低い。特殊な経歴がそうさせるのかもしれないが、それにしてもひどい。自分がどう思われているか、客観視というものができない」
「あまり驕り高ぶるのもどうかとは思いますが、自己評価が低過ぎるのも考えものですね」
「あの……たぶんですけど、悪口言われてますか……?」
本人を目の前にしてその言いよう。さすがに傷つく。
自分に自信がないのはその通りだが、鈍感すぎるとは心外である。
「はあ、つまらないな。誰ぞにキスのひとつやふたつしてきたかと期待していたんだが」
「いきなりそんなことできませんよ……」
「だが、ウルリーケ王女……だったか? あちらは親密になれるよう仕向けたかったようだが」
「だとしても、初めて会った人にキスはしません」
女神はむっと唇を尖らせ、わざとらしくそっぽを向いた。
「それがつまらないと言っている。すべての女は恋愛の話に飢えているんだ。少しくらい貢献しろ」
「すべての女、ではありません。光のお方。そこまで恋愛を面白がれるのは貴女さまだけです」
「他人の恋愛ほど面白いものはない。私がまったく絡んでないならなお良い」
使用人も慣れているのか、それとも諦めたのか。
はあ、と溜め息をついて、こちらに目配せをする。「お前も諦めろ」、ということなのだろうか。
テオドアは小さく頷き、女神へと視線を戻した。
「その、天界では、恋愛話を聞くことはないのでしょうか」
「あるが、何百年も同じ顔ぶれだと飽きてくるだろう。百年単位でくっついたり離れたり乳繰り合ったり……まあ、退屈は凌げるが」
なにしろ、と、女神も深く息を吐く。
「今は『愛の神』が不在だからな……。早く生まれてくれれば良いんだが、難しいものだ」
「『愛の神』さまは、いらっしゃらないんですか?」
「先の大戦で消滅した。もういない」
女神はやれやれと前を向き、まだほのかに湯気が立つお茶に口をつけた。
「……今の世界に、愛はない、ということでしょうか?」
「いや。神が司ろうがなかろうが、愛は自然に芽生えるものだ。愛のために祈る先がなくなっただけだ、あまり気にするな」
そのとき。
テオドアは、女神の素振りに違和感を覚えた。
わずかに眉を寄せて、彼女の仕草をじっと見る。
(……気のせい、かな)
なんだろう。『愛の神』に、なにかあるのだろうか。
目の前の女神のことすらあまり知らないテオドアに、答えを導くことはできなかった。
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