かけがえ

小狸

短編

 自分が何かになることができると思えない。


 自分が何かになるという想像ができない。


 これは幼い頃からの話である。


 父と母は、とても優しい。


 しかし、僕は知っている。


 彼らが欲しかったのは、男の子ではなく、女の子だったのだ。


 それを僕は、小学校の時に、ひょんなことからの両親の会話によって、知ってしまった。


 子どもの性別ばかりは、どうしようもない。


 自分が女であれば、何かが変わったのだろうか。


 そう思うことがある。


 LGBTが配慮されるようになった今だからこそ、打ち明けられる悩みである。


 しかし僕は男である。


 生まれた時から、僕はどうしようもなかった。


 何かの代わりでしかなかった。


 学校での三者面談で、「将来が不安です」と言った時、先生から笑われたことは、未だに覚えている。


 ああ。


 この悩みは他人とは分かり合うことができないのだな――と理解した。


 そうしてそのまま、僕は大人になった。


 今でも、あの頃の考えとは変わっていない。


 自分は誰かの代わりでしかなく。


 自分は何かの唯一にはなることはできない。


 たとえ自分の居場所らしき所があったとしても、それは自分がいなければ誰かに取って代わられるだけであり、そこにいるのが自分である必要は、どこにもない。


 社会の歯車、などという表現がある。


 それは社会を巨大な機械群に見立てて言ったことなのだろうが、僕から言わせれば、歯車になることができるだけ羨ましいと思う。


 僕のようなどうしようもない人間は、社会と噛み合うことすら許されない。


 面接がある。 


 面談がある。


 試験がある。


 そこで選ばれるのは、いつだって綺麗に整えられた歯車である。


 あるいは、綺麗に整えているように見えている歯車、か。


 大半が、後者にあたるだろう。


 そうやって、自分を少しずつ削りながら、噛み合う場所を見つけてゆくのである。

 そういう人々は、恵まれている。


 頑張っていれば報われるのだから。


 努力していれば、実るのだから。

  

 精進していれば、届くのだから。

 

 いびつな歯車は、どこにも嵌ることはないのである。


 ならばどうなるかと言われれば、破棄される以外に何があるだろうか。


 ずっと誰かの代わりだった。


 誰かがそこに居ないから、誰かの代理を務めてきた。


 そんな人生だった。


 その度に自分を変え、削り、摩耗させてきた。


 限界が来たのである。


 次に形を変えようとすれば、芯に到達してしまう、個が壊れてしまう、歯車が歯車として成立しなくなる。


 人ではなくなってしまう。


 それは同時に、決別でもあった。


 もうこれ以上、他の歯車と同じ道は歩むことはできない。


 いつか限界が来るのは、分かっていた。


 僕は、止まることができなかった。


 止められなかった。


 こうする以外に、自分の生きる術を知らなかったのだ。


 極端な自己犠牲。


 異常な自己破壊。


 重度の自罰。


 過度な自虐。


 その結果として、今の僕が在る。


 二度と他人と顔を合わせることはできない。


 二度と他人と噛み合うことはできない。


 贅沢な悩みだと一笑に付されることを承知の上で、たずねさせてほしい。


 教えてくれ。


 それでも僕は。


 生きなければ駄目か?




《Alternative gear》 is not Q.E.D.

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かけがえ 小狸 @segen_gen

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