ショートストーリー

普遍物人

死にかけのネズミ

 両親を失ったか弱い富豪のお嬢様など、もはやただの娘である。どれだけ良い暮らしを以前していようとも、命なくなればそれらは一目散に逃げてゆく。それは私とて、例外でなかった。

 まぁでも、人生色々あっても、なんやかんや上手くいくと言われる所以はなんとなくわかる。

「次はネズミを持ってきなさい。」

「はい。」

 皇太子の結婚という千載一遇の機会を私は見逃しはしなかった。条件のない花嫁の募集とは、まさに私にうってつけであったわけだ。何処の馬の骨かも分からぬあの継母とその娘共によって幾度となく邪魔を食らい、それはもう実現しないように思えたが、なんと世の中はうまくできているのだろう、私の前にある1人の老婆が現れて私を助けてくれるというではないか。まさに最後のチャンス、これを逃すわけにはいかない。

私は言われた通りネズミを持っていった。

「これでいいですか。」

老婆はネズミを両手で抱えて唸る。

「それはやめておきましょう。」

「なんでですか。」

私はすかさず聞く。

「死にそうだもの。」

老馬はそこにあった切り株に腰をかけながら言う。

「そうでしょうか。」

私は老婆の手中にあるネズミをじっと見つめた後、老婆に視線を向けて続ける。

「まだ動きますよ。」

 そういうと老婆は少し戸惑ったような表情を浮かべて手中のネズミを見つめた。そのネズミを指先で少しつついたかと思うと老婆は微笑んでこちらを向く。

「いいえ、その、あまり働かせたら可哀想じゃありませんか。」

「このネズミがそんなことを考えているとでも。」

とうとう引き攣り始めた老婆の目が瞬きせずに私を見つめる。途端に私も刃向かう気持ちで老婆を見つめかえす。

「えぇ、あなたなら分かるでしょう。」

逃げるように老婆は私から目を逸らしネズミの方へと意識を向ける。

「気にも留められなかったこのネズミは、不当な扱いを受けてきたはずだわ。最期ぐらい。」

「そうでしょうか。」

少々食い気味に私は老婆に問いかける。

「そのネズミは差別をされなかったわ。」

そして私はネズミを指さして答える。

「このネズミの周りのネズミはみんなそうだったはずよ。」

「あなたの方が可哀想だ、と。」

老婆は震えた声で私に縋った。

「えぇ、そうよ。」

途端に老婆はベンチから立ち上がり目を吊り上げながら私の方へ向かい、私の胸ぐらを両手で掴む。そしてはくはくと何かを言おうとして、そして私の顔を見て、その手を離した。

「そんな人だとは思わなかった。」

老婆は足から崩れ落ちる。その杖をだらしなく地面へと向け、そして項垂れる。そんな様子を見ても、あぁ、当時の私は何も思わなかったのだ。

「でもあなただって、私の周りが同じような人たちばかりだったらきっと出てこなかったでしょう? 貧しくても幸せな家庭であったら、その仲を引き裂いたりはしないはずだわ。」

貧しくても仲がいい家族、以前そんなような童話を母から聞いた。木のテーブルを囲んで木のカトラリーで行儀のなっていないマナーで、満面の笑みで粗末なご飯を食べる。それを美談と言ったのは、君たち大人だっただろうって。

項垂れた首をゆっくりと上げて、そして私の目をじっと見つめ、老婆は目を閉じ、ため息をつく。

「そうね。」

「可哀想だなんて、所詮そんなものよ。」

そう言うと老婆はゆっくりと立ち上がった。

「ごめんなさい。私は大きな勘違いをしていたみたいね。」

すとんと一度肩を下にやって、手を腰に当てながら再びため息をつく。

「いいえ、私こそ。こうやって助けてくださっているのに。ついカッとなってしまって。」

なけなしの気遣いを手遅れに押し付ける。ただその様子を見て老婆は背を向けてただそう言った。

「大丈夫よ。そうやって物怖じせずに主張するのはいいことです。」

あぁ、でも

老婆は手中にあるネズミの尻尾を掴んでぶら下げ、冷たい声で言い放つ。

「このネズミは死にかけだから、使い物にならないかもね。」

「あら、そうですの。ならごめんなさい。」

私は老婆からネズミを取り、それを放つ。それほど早くない速度でそれが向かった先を確認しようと、私はその後を追った。

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