第36話 公判・被告人質問
翌月、最後の公判、被告人質問の日がやってきた。
これに先立って神野は山本弁護人の模擬質問を受けるべく2度ほど山本法律事務所を訪れていた。神野が繰り返し念を押されたのは、”ストレッチを施そうとした理由を明確に述べる事”、”裁判官を怒らせない事”の2点だった。
山本弁護人の話によると、定年間際のこの老裁判官は結構気が短い上、『疑わしきは被告の有利に』の基本原則は苦も無く破り原則よりも自分の経験による勘を信じるタイプであり、大企業優先の判決が多いようだ。
一方山本弁護人はj神野の多少の血の気の多さを気にしているようだ。村井氏から何か聞いたのであろう。
公判に先立ち山本弁護人は、受付から鏡を見た時に鏡に映る範囲を描き加えた間取り図に、3度に亘る公判で原告、目撃証人が証言した位置を描き足した図を作成していた。
腹筋台は頭側が西、足側が東を向いている。
原告が横たわった腹筋台の位置がG1
そのすぐ北側で指導を受けた被告人の位置がH1
原告が最初に前屈をさせられたと証言した位置がG1のすぐ南側のG2
被告人が腹筋台から最初に移動した位置がH1から西へ3mのH2。*最終的に目撃証人はここを現場と証言する。
原告が痴漢被害に遭ったと証言した位置がG2から西へ1.5mのG3。*最初は目撃証人も同様の証言をするが、撤回する。
その時の被告人の位置がすぐ西側のH3
山本弁護人は最初にこの間取り図のコピーを裁判官、検察官2名、被告人に配った。
弁護人の強い要請にも拘わらず、原告は入廷を固辞していた。表向きの理由は被告人と接触したくないとの事のようだ。
山本弁護人により、被告人質問が始まった。
「被告人に質問します。今回被告人が告訴されているのは腹筋台での接触、前屈ストレッチングでの臀部への接触の2点です。よろしいですね?」
「ええ、まあ」
「被告人、『よろしい』と言う意味ですね?」
「腹筋台は心当たりは有りませんが、今までの公判の中でそのように感じてました」
「具体的に話してくれますか?」
「腹筋台に誘ったのは原告であり、私は従っただけです」
「ではその時の動きを話してください」
「エルゴメーターを30分漕いだ後、Tシャツを着替えて更衣室からフロアーに戻ってきたところで原告に会いました。エルゴメーターの機種が前回までのとは替わってたので、その事を話したら『こちらのマシンも替わってます』と言われたので、『じゃあ、見せてくれる?』と言ったら、そちらに案内するそうなのでついて行きました」
「腹筋台に案内されたのですか?」
「それが…元々殆ど使ってなかったマシンでもあり新機種らしき物は見えなかったので、途中で以前から知りたかった事を訊いてみました」
「どんな事でしょう?」
「『身体が硬くなり、Kスポーツクラブ入会時には18cmだった立位前屈が現在-20cmになり腹筋で起き上れなくなった』と言ったところで、『腹筋ならこちらに…』と言われ腹筋台に案内されました」
「腹筋トレーニングは貴方の望んだ事ですか?」
「いいえ。私は腹筋は、いや腹筋持久筋は結構強いです。私が言おうとしたのは腹筋で上体起こしができないほど腰が硬くなってしまった、という事です」
「それじゃあ、『腹筋を鍛えたいのでなく、腰を柔らかくしたい』と言う事ですか?」
「その通りです」
「にも拘わらず、腹筋台に案内された?」
「そうです」
「そこで改めて、その話をしましたか?」
「それがねえ、しなかったんですよ」
「どうしてですか?」
「自分も時間は十分ありましたし、彼女もいつも暇だらけでしたし、折角教えてくれると言うんなら、知らないふりして付き合ってみようと思いました」
「それから?」
「彼女が腹筋台に乗り、前部の2本の平行棒の間に膝から下を入れ固定してから上体を起こす動作をし、上半身と下半身で作る角度を左手で指し示しながら、『この角度が90度になるように』と説明してました。その時釣られて右手で彼女の背中下部辺りに軽く触れました」
「触れたのは背中だけですか?」
「はっきり憶えているのは背中だけですね」
「左手は?」
「太腿に触れたかもですが、左手は反応が鈍いのでよく分からないです」
「その後は?」
「私はそのまま後ろに、彼女にストレッチをマスターして欲しい位置へ戻りました。彼女も反対側に降りて私の近くに来ました」
「腹筋台周辺に居た時間はどのくらいでしたか?」
「3分ぐらいだと思います」
「原告は腹筋台を降りた後、移動する前に何かしましたか?」
「いいえ。降りてすぐ私の近くに来ました」
「それはこの図のどの位置ですか?」
「私はH2,原告はそのすぐ東50cmですね」
「G2の位置で原告は前屈をしませんでしたか?」
「してません。したのはH2のすぐ東側です」
「解りました。因みに腹筋台では貴方の方から膝の角度とかの指導はありましたか?」
「いいえ。腹筋台では彼女の方からの指導なんで、私は一切何も話してません」
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