第7話 弁護人依頼相談 村井邦彦

 神野にとって正式裁判で争うのは望み通りではあった。ただ、レユニオン島での100マイルトレイル出場の夢は1年先送りになってしまった。

 何もやっちゃいないのだから裁判では無罪になるであろうが、1年先送りは結構ショックでもある。少しでも若いうちにチャレンジしたかったのである。


 弁護人依頼書が2週間ほどで届くようなので、それ迄に私選弁護人か国選弁護人かを決めておく必要があった。こんな明らかな冤罪事件で私選弁護人に依頼するのはばかばかしいとは思う。しかしながら弁護人の良し悪しによって判決が大きく変わるという話を何度となく聞いた事がある。神野は迷った。

 大友裕子がN警察署に訴えたのは本人の意志であるはずがない。嫉妬狂いのおばさん達の入れ知恵によるものであろう。これこそ日頃から神野のクレームに苦い思いをしていた本店長にとっては正に渡りに船であったことだろう。話を大袈裟にして退会させる千載一隅のチャンス。そう思ったに違いない。


 まだ焦る事はない。神野の脳裏にはかってKスポーツクラブで同僚だった一人のラン友の顔が浮かんでいた。村井邦彦という神野より2,3歳年長の男である。国の内外を問わず、かってトライアスロンやアドベンチャーレースで実績を残している男だ。今は何をしているのかよく分からないが、いろんなポケットを持っていて交友関係が幅広く、法曹界にも顔が利くかもしれない。


 早速その夜、連絡を取ってみる。大まかな内容を話し、後日改めて会う事を約束してその日は終わった。

 数日後2人は、かってよくランニング中にすれ違ったり、ときには共にトレーニングに励んだ馴染みのピクニックロードのすぐ傍にある静かな喫茶室で数年ぶりに再会した。窓ごしに渓谷が見られる風光明媚な場所にある西洋風の瀟洒た部屋である。


「久しぶり、村井さん。まあどうぞ」

 先に来ていた神野が向いの椅子を勧めた。


「ほんと、久しぶりやね。えらい目に遭ったね。まあ、詳しい話を聴くわ」

「いや、全く。まさか自分の人生でこんな経験をするとは思わんかったよ」


「先日の話でおおよその事は解った。弁護人云々の前に詳しく知りたいので、ゆっくり聴かせてもらうわ」

「ああ…。前からな…、股関節や膝は固かったけど腰だけは柔らかかったのにここ10年ぐらい腰が曲げられないんよ」


「うん…」

「それで、オレら "走り屋" のベストストレッチである例の "前屈して脚をもう一方の脚の前に合わせて膝で押す" ストレッチングがやり難くなってきてね。で、何とかこのストレッチングができる程度に柔らかくしたいと思っていたんだわ。アンタにも聴いた事があったとは思うが、ランナーの誰に聴いてもオレの知ってる方法ばかり。その時イヤと言うほどやって少しましになったかなと思っても、翌朝にはしっかり元に戻っているからね」


「そんなに固かったか! オレは身体の固さで悩んだ事はない」

「羨ましいね、マッタク! それでも、年寄か!」


「70歳過ぎたから、年寄だろ。それで?」

「うん。あの日、マシンフロアでエルゴメーター、漕ぎ終わった後でね…」


 神野はKスポーツクラブでの出来事を詳しく話した。

 その後、N警察署での尋問聴取、K地方検察庁でのやり取りを一通り話した。

 村井は静かに聴き入っていた。


「で、ねえ。こんな明らかな冤罪事件で金など使いたくはない。それで最初、国選弁護人に依頼しようかと思ったんだけど、弁護人によって判決が全然違うとも聞くしどうしたものかと思ってね。村井さん、この手の事件、詳しい?」


「詳しい訳ではないが、弁護士なら何人か知ってるよ。この手の事件に詳しい弁護士に当たってみるわ。少し時間を貰えるかな?」


「ああ、頼んます。2週間ぐらいで弁護人依頼書が届くので、それまでに弁護人を決めないと。心当たりがなければ、先方で紹介してくれるらしいよ」


「まあ、碌なんじゃないだろね」

「そうなん?」


 味方かどうかも判らない知らない相手に紹介して貰う弁護士より、自分の親しい仲間に紹介してもらうこういった分野に強い知人弁護士の方がずっと安心だ。

 神野は少し安堵した。

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