第34話 教会の裏 後編


『聖血に毒あり』


これは連盟の医療研究の中で生まれた小さな警句のひとつ。

 祟りへの抗体を身に着ける為には高い血性が求められる。そして、血性を後天的に高める唯一の方法として、輸血がある。

高質血を低血性者に与えると、高い方へ置き換わるという寸法だ……ただし、適合すれば・・・・・。元の血と接種する血の血性差が大きいと、拒絶反応も無視できないものになる。極端な例を言えば、一般人に聖血を注射すると死ぬ。

そのため、教会連盟は収集・培養した高質血をあらゆる人に輸血できるよう、拒絶反応を減らす為の加工技術を研究している。これが現状、最重要課題にして、十数年進展のない悲願である。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 担当医の彼らは二人がかりで私を床に取り押さえ、嘲笑うように言った。


「全くこいつ……毎度手間かけさせやがって」

「お前はモルモットなんだよ、いい加減諦めたらどうだ」


彼らは今度、私を仰向けにする。そして、前触れも無く顎を掴んで口をこじ開けた。


「うぅ……」


そこへ無理矢理布を詰め込んで、私の声を遮断すると、腿に深く注射器を突き刺した。刺された自覚を持った途端、神経から急速に伝播してくる痛み。


「ッ!!」


声も上げられないまま悶えるしかない。傷口からゆっくりと血が染み出し、皮膚の上に丸い雫が乗った……その生々しさが余計と私の苦痛を引き立てる。

だが、彼らはそれを止めるどころか、注射器をグリグリいじって傷を掻き回して来る。

私にはもう抵抗する力も無くて、体の先の方だけがガクガクと震えた。


「ハハッ、情けない動きしてるなぁ……でも、こんなので済むと思うなよ?」

「お仕置きだ‼」


彼らはようやく注射器を抜いたものの、代わりに私の患者衣を引き千切った。


聖血の力があれば大きな傷でも数日で治ってしまう……実質的に不死身なので、テオドール教授はそれを良いことに残虐な実験を行う。祟りの研究とは関係無く、普通の人では試せないような危険なものが殆どだ。

そしてそれを部下へ完全に委託しており、彼らは実験の中で不必要に私を傷つけては喜ぶのだった。抵抗すれば、「お前の師匠がどんな刑罰を受けてもいいのか」と脅される。それが脅しでしかないのは見え透いていても、保証はどこにも無いから、屈するしかない。

本当にそうすることなんてできる筈も無いけれど、「もう死んでしまいたい」と何度も思った。


 涙が頬を伝って落ち、心が壊れかけたそのとき、鉄扉が開いて光が差した。それと同時に、長く伸びた人の影が私の傍まで映る。


「取り込み中だったかい?」


落ち着いた男性の声。そのように問い掛ける彼の隣には少年少女が一人ずつ控えている。光に慣れていない目への逆光でかなり見え辛いが、どこか見覚えがある。


(サリヴァーン、司教?)


私を嬲っていた二人の担当医は、少し身形を整えて振り返った。


「失礼ですが、誰ですか、あなた?」

これ・・の担当は僕らなんですけど」


そう言ってまた乱暴に私を掴んで引き寄せた。その際、四肢に繋がれた鎖がジャラリと鳴る……サリヴァーン司教の態度が一気に威圧的になったのは、これを聞きつけたからだろうか。

声色は低く、抑揚は大きく、しかし静かに彼は言う。


「あぁ、分かっているよ。君たちの名前まで確認済みだ」

「はい?」

「ダニエルとアーノルドだったか、君たちには相応の処分を下す……今すぐその手を放しなさい」


司教は、担当医が私を拘束する手を細長い指で差した。


「いや、だから――」


担当医が反論しようとすると、彼はカツカツと力強く杖を突き、祭服を翻しながら素早くこちらに寄って来た。


「聞こえないのか? ……手を、放しなさい!」


サリヴァーン司教は担当医の腕を掴んで今一度言う。

次の瞬間、みすぼらしく痩せた腕が発したとは思えない程の握力が担当医の腕を襲った。


「い、痛ぇ!」


担当医が投げ出すように私から手を離したところを、サリヴァーン司教が受け止める。また、ベテルギウスとリゲルもいつの間にか担当医の鍵を没収し、速やかに鎖を外した。

こうして私はあっけなく解放された。

 サリヴァーン司教は私を見る訳でも無く、何かを話す訳でも無く、自身のローブを私に被せたまま部屋から連れ出した。ただ連れられて歩いている状態に困惑して、私はつい口を開いた。


「あ、あの……サリヴァーン司教。これは? それに、大切な祭服が賤しいもので汚れてしまいます」


司教はゆっくりとこちらを向いて答える。


「君はとても優しい……が、また裸に戻りたいのかね?」

「……」


私は返す言葉も無く、服をギュッと掴んで黙り込んでしまった。




 その夜、サリヴァーンはわざわざ自身の院長室にシルビアを泊めた。

ソファに毛布を敷き、彼女はそこへ横になっていた。


「済まないね、そんな所に寝かせることになってしまって」

「いえ、昨晩までに比べればもう――」


シルビアはそこで言葉に詰まり、毛布を顔の方まで引っ張り上げた。自分の言葉で、辛かったことを思い出してしまったようだ。

サリヴァーンは枕元の椅子に腰掛けてから、手探りで彼女の指を見つけ、しっかりと握ってやるのだった。


「安心したまえ。この部屋は高官しか立ち入れない最上階にある。それに、今晩は私が付き添おう」


それは流石に申し訳無いと思うシルビアだったが、「私は大丈夫です」と断れるほど精神的な余裕はなかった。代わりに


「……いいんですか?」


と聞き返せば、


「勿論だとも」


と快い返事が帰って来た。

シルビアはローレンスに手を握ってもらって眠った夜のことを思い出した。大きくて、分厚くて、硬くて、とても温かい掌だった。

それに比べてサリヴァーンの手は長いけれど骨ばっていて、あまり健康そうではない。

けれど、今はその冷たさが心地良い気もした。


 サリヴァーンはサリヴァーンで、彼女のことを憐れんでいた。元々彼の視力は酷く減退しているものの、以前会ったときに比べて痛ましいものであるのは十分分かった。

たいへん美しかった銀髪は荒れ果て、四肢にはくっきりと鎖の跡が残っている。元々華奢だった体は更にやせ細っており、傷跡も多い右手は特にミイラかと思う程である。今日一日風呂と食事を用意しただけでどうこうなるものではない。

ただ、あの碧い瞳だけはまだ色褪せていなかった。


「サリヴァーン……先生・・でよろしかったでしょうか?」

「あぁ、そう呼んで欲しい」

「改めて、助けてくださって本当にありがとうございます……」

「いいや、私はむしろ遅過ぎた。ここの新たな院長として――いや、ローレンスの友としてせめてものことをしたまでだ」

「そうだ……今、師匠たちは?」

「……済まない、ローレンスについては私でも分からない。だが、君のルドウィーグ彼氏の方は無事らしい」

「そうですか……」


サリヴァーンの嘘に対して、シルビアは複雑な表情を見せた。

以前の彼女だったらローレンスのこととなるともっと取り乱していただろう。

が、彼と引き剥がされたというか、親元から離れたことで、少し大人になったのかも知れない。


「どうすれば会えるでしょうか?」


彼女はサリヴァーンに助言を求めるように言った。

サリヴァーンとしては、今日は何も考えず休ませるべきだと思っていたけれど、彼女からそのような話を切り出したのだから、付き合うことにした。


「一番手っ取り早い方法を教えよう。実績を上げて出世しなさい」

「出世……」


シルビアは悩ましい顔をするが、サリヴァーンは堂々と話し続ける。


「そうだとも。世の中、財力と権力ばかりで飽き飽きするだろうが、それを挫くにもまた財力と権力が必要なのだよ」

「……となると、私は弔いとして実績を積むのが良いのでしょうか?」

「それは君の判断に委ねるが、最大限のサポートはしよう……私は今や枢機卿。かなり手厚いものを期待してもらって構わない」

「具体的にはどのようなものをお考えで?」

「狩長の下で世話になる気は無いかね?」

「……狩長・・ですか⁉」

「ああ。かの有名なレオン・アインハードと伝手があってね」


シルビアは、ローレンスが彼に関する新聞の記事を眺めていたときのことを思い出した。その際に、知り合いのようなものだとも言っていた。それをおずおずと切り出してみると、


「その、狩長殿も師匠の顔見知りと聞いたのですが……」


サリヴァーンは良い意味で大袈裟にそれを否定した。


「顔見知りも何も、彼はローレンスの三番弟子だよ?」

「そうなんですか⁉」

「ああ。だから信頼に足る人物だ」

「確かに、師匠はとても立派な方です。だからきっと、あの人に関わる皆さんも親切な人だと信じてみます」

「それは良かった……」


そこからサリヴァーンは別の話を一つ繋げる。


「代わりにというわけではないのだが、私からも君に頼みがある」

「?」

「私は、ドリフト諸島腐り切った狭い世界で私服さえ肥やせれば良いと思っている連中とは違う……とにかく多くの人を救いたい。本気で祟りの真相を突き止めたい。そう考えているのだよ」


理屈的な性格に反し、理想主義者だった。

けれど、甘い理想を抱いて溺れ死ぬようなものではなく、自分にできる最善を求め続ける野心家だと、少なくともシルビアはここでそう思った。


「それにはやはり――私には、君の協力が必要だ。分かってくれるかね?」

「私はもう先生も信頼していますとも」


サリヴァーンはその返答を受け取り、ようやく肩の力を抜いた。


「ありがとう……さぁ、そろそろ目蓋を閉じて静かにしようか」

「はい、おやすみなさい」


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