第36話 歓喜の歌
遅めの朝、他の皆はまだ眠っている中、俺は一人目を覚ました。
……汚染の主討伐から数日。
あの時、俺は集中し過ぎて気付いていなかったが、すぐ後ろは住宅街という所まで来ていたらしい。結果、多くの民衆の眼前で脅威を討ち果たした
俺が最後の一撃を加えた後は喝采の嵐が生まれていたくらいだ。その様は夜に潜み、静かに狩る弔いの在り方にはそぐわないので、そそくさと退散しようにも、皆が皆俺を取り立てて讃えんとするものだから大変だった。
当時は厄介事でしかなかったし、主を看取ったばかりで手放しに喜べる気分ではなかったけれど、今の本心はまた別である。
自分が褒められるのは勿論、弔いという役職自体がこうして認められたのは喜ばしいこと。
そんな清々しい気持ちで表に出て、朝の空を仰ぎ、伸びをする……雲ひとつ無い快晴だった。
ふと、ポストの口から紙の端が覗いている事に気が付いた。
「珍しいな」
手に取って見れば、教会の紋章で封蠟がされた手紙だった。
「……スレッジ宛てか」
それを持って屋内へ戻ると、丁度、起き出したスレッジがカウンターにより掛って水を飲んでいた。
「おそよう。これ、手紙」
「おう」
俺は手首のスナップを利かせてフリスビーのようにパスした。スレッジがそれを受け取り、封を開けて二人一緒に目を通した。
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―スレッジへ―
まずは久し振りとでも言って、色々語りたいところなのだが、私も忙しくてね。主題だけ簡単に書かせてもらう。
数ヶ月前の話にはなるが、シルビアを保護した事実を共有しておこう。
次に、君には弟子? の少年が居るだろう。丁度、汚染の主を狩ったという話も聞いた。そこで、彼さえ良ければ私の所へやって欲しい。その気になったら明後日、第四宿場町に来るようにしてくれたまえ。
アイデン・サリヴァーンより
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それを読み終えたスレッジは開口一番、
「シルビアって誰だったっけ?」
などと言い出すものだから、間髪入れずその肩を引っ叩いて教えてやった。
「|ローレンス≪あの人≫の愛弟子だよ! 忘れんなバカ」
「悪い、悪い。そうだった」
「ところで、このサリヴァーンってどんな人? 聖職者なのはなんとなく分かるけど……」
「お前ぇこそ無知だなぁ!? サリヴァーンは新政権で一番有力な大司教になってんだぞ」
「あ~、チラッと聞いたことあるわ。で、彼とはどんな関係? 信頼に足る人物なの? そこが一番の問題だ」
「アイツはローレンスと並んで俺の旧友だ。信頼は……しても良いと思うぜ。良い意味で、アイツはめちゃくちゃ狡猾だ。ヘマをするような奴じゃねえ。」
「そっか。なら、シルビアも安全な環境に居るっぽいな……」
深い溜め息を吐いて安堵する俺を、スレッジは肘で小突く。
「お前ぇ、シルビアに惚れてるんだろ?」
「……⁉ ……あぁ、もう! 駄目かよ」
図星を指されて一瞬焦ったが、ここは開き直るまで。
「いいや。大いに結構! 彼女の顔を見せに来いよな、ハハッ」
スレッジは俺の背中を豪快に叩いた。(……義手だから地味に痛い。)
「じゃあ、お前サリヴァーンの所に行くってことで良いのか?」
「あぁ……まぁ、そうなる」
これまでの俺の目的は、強くなってシルビアと再会を果たすことで変わりないのだが、いざここを立つと思うと少し寂しい。世話になっておきながら、用が済んだらおさらばみたいな形になるのも申し訳無い。
だが、スレッジはむしろ俺を急かした。
「明後日までに第四宿場町って書いてあるぞ。もう今日出た方が良い」
島の各所に散らばっている幾つかの大都市は街道で繋がっており、都市と都市の間には約1日分の移動距離ごとに宿場町が置かれているのである。第四宿場町と言うと、この歓楽街から二日分の距離にある場所だ。
「うん、荷物まとめて来る」
支度に必要な物を商店街で調達し、店まで戻って来たのは昼過ぎのこと。
ただ、俺はドアを開ける前に店先で立ち止まって、看板を眺めた。
「『
当然のようにここへ帰って来て、食事をして、寝て、起きて……そういう毎日も今日で終わりなのだ。結局、この店名の由来も分からず終いだった。
そんな寂寞をしみじみと感じながら、ドアを開けた次の瞬間、俺は降って来た大量の紙吹雪で埋もれた。
「こりゃちょっとやり過ぎたね」
「ヘーゼルがやろうって言ったんだよ?」
犯人はすぐ横で籠を引っくり返したジュリエッタとヘーゼル以外なさそうだが、奥には店の常連客や先日助けた人々が沢山居て、拍手しまくっている。
「これは……急にどうしたのさ?」
俺が紙吹雪を払いながら訊くと、それを手伝いながらジュリエッタが答える。
「どうしたも何も、オーナーから聞いたわ。もう行っちゃうんでしょ? だから急遽、皆さんを呼んで送別会!」
「送別会……」
「というかルドウィーグ。お前、もしスレッジが言ってなかったら黙って行く気だったの?」
「ごめんよ、ヘーゼル。自分でも何て言っていいか分からなくて」
そうして二人と話していると、客の皆が手招きをして言った。
「ほら、説教はそれくらいにして座った座った!」
「あんたがこのパーティの主役だぞ」
ヘーゼルの顔を窺うと、「行ってきな」と言わんばかりの優しい表情になっていた。
また、姿が見えないと思っていたクロエとジーナは何十人分のシャンパンを持って来てくれて、グラスを皆に配った。
勿論俺にも行き届くと、女主人たち4人は声を揃え
「「「「ルドウィーグ君の活躍と旅立ちを祝しまして、乾杯!!」」」」」
とグラスを高く掲げた。
「「「「「「「「「「「乾杯!!」」」」」」」」」」」」
周りと同じようにグラスを高く掲げる間、俺は
(この人たちが今笑ってるのを――この人たちの幸せを、俺が守れたのかな)
などと考えていた。
「ほら、君が飲んでくれなきゃ俺たちも飲めないだろ?」
「あ、ああ」
隣に居たブランドン(【怪獣砕き】を提供してくれたスレッジの仲間)から諭されて、俺は急ぎシャンパンを飲み干す。
こんな大規模な祝杯の場に来たことなどなかったので、その盛り上がりに圧倒されているのが正直なのかも知れない。
そういう時は音楽で心を落ち着けるに限る。ある程度食事や酒に手を付けた俺は、席を立って店の隅へ向かう……以前ジーナが存在を教えてくれた、アップライト式ピアノの蓋を開ける時が来たようだ。
音質を突き詰めればグランドピアノに劣るらしいが、こういうカジュアルな場では気にならないだろう。
「何だ何だ」と後ろで皆がざわついているけれど、俺は気にせず着々と準備を進める。
椅子を引いて、リラックスしたまま腰掛ける。蓋を開けて、キーカバーを除ける。弾く曲は心に決めたので、所定の位置へ静かに指を置いた。
『歓喜の歌』
この曲は俺が作曲を始めた比較的最初の方のもので、メインとなる旋律はあまり難しくない……というか簡単過ぎてつまらない。
でもだからこそ、より純粋に幸福を願い、謳った頃の自分が宿っている気がして、俺はこの曲を気に入っている。
ちなみに、自分の技量が上がるたびに何度も手を加え、今では十分に雄大な雰囲気を纏うまでに至った。
こうして耳を傾けている皆が、少しでも俺の思いを感じてくれるように、ひいては天に召した汚染の主の魂にも届くように、俺は一音一音心を込めて鍵盤を押すのだった。
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