第31話 導き


「それじゃあ、ルドウィーグ。気を付けて」

「うん、ありがとう」


俺はジュリエッタたちに見送られて外に出た。待っていたスレッジは


「やれやれ、俺もあれくらい心配されたいぜ」


などと小言を言い、


「あんたはベテランだろ? オッサン」


俺も適当に返しながら歩き始めた。




 弔いとして夜の狩りに出るのは初めてで、緊張のせいもあってか、向かってくる空気が冷たく鋭く思えた。


「……今日・・狩りに誘ってくれた理由を訊いていい?」


ふと、前を歩くスレッジの背中に問う。


「確かに、コートなら1週間前に仕上がってた。だが、空を見てみろ」


言われた通り視線を持ち上げると、藍色の夜空に碧白い満月が浮かんでいた。


「月が満ちて行くにつれて憑き物は活発化する。ぬしも同じだ、ヤツを狙うならこういう日しかねぇだろうよ」

「なるほど……リスク=チャンスってわけか」

「ああ。ここ数日、グチャグチャに食い散らかされた死体が、蛆だとかカビ塗れになって見つかってる……居るのは間違いねぇよ」


この時の俺はまだ「死線の一つや二つ乗り越えてやろう」などと余裕な意気込みを抱いていた。



 人の多い街の中央から離れていくと、次第に灯りは減って行き、廃屋街のような所へ出た。防壁街程の規模はないが、明らかに憑き物が出没する雰囲気を前にすると、押し殺していたうすら寒い恐怖が甦って来るのだった。

また、道も荒れてきて石ころなんかもよく爪先にぶつかるようになった。

戦闘中、こういったものに躓くだけでも命取りになるのは想像に難くない。狩りとは思っていた以上に細かい点にも神経を使うのだと気付かされた。

 林に差し掛かる辺りでスレッジが足を止めたので、俺もその場に立ち止まる。


「この辺りには向こうのバーグ砦から下水が来てる」

「なるほど、確かに。若干嫌な臭いがすると思ったんだ」

「おっと……思ったより話してる時間無かったな」


周囲を見回すと、暗闇の中で光の点が四つ浮かんでいた。二点一組で平行移動している……


「あれ、憑き物の目?」

「おう。正面の二体、やれるか?」

「やってみせるさ」

「よっしゃ、じゃあ俺は後ろのだ」


言われて初めて気が付いたが、確かに後ろにも二体居る。

ただ、ここはスレッジを信頼して、正面に集中するとしよう。

背中に掛けてある【怪獣砕き】を握ると、俺は足元の石ころを拾い、光っている目に向かって投げつけた。それを躱すように暗闇から跳び出て来たのは熊狼。速度を上げてそのまま駆け寄って来る。

その様を見ていると、俺は思わず身震いをした。武者震いと言いたいところだが、これは単なる慄きだ。

正直、恐ろしい……とても恐ろしい。普段感じることのない「死の危険性」に直面しているからだ。あの強烈な腕に捕まったら最後、獰猛な牙によって体を引き千切られるだろう。

そのプレッシャーが熊狼を何倍も大きく見せる。当然、向こうは心の準備など待ってはくれない。すぐに跳び掛かって来るのだった。

俺はその熊狼以外何も見ることができないまま、瞬きすら忘れて剣を振るった。

……次の瞬間、熊狼は地面に脚が付く前に両断された。泣き別れた上半身と下半身は吹き飛ばされ、俺の前方遥か遠くに転がる。

肉が弾ける感触、臓物ぞうもつが千切れた音、ばら撒かれる血雫の色。何もかもが自分を変えたのが分かった。大剣を振った際のたった一歩の踏み込みで、俺はを越えたのだ。

けれど、感傷に浸っている暇は無い。潜んでいたもう一体が目の光を翻して街の方へ駆けて行った。大抵の憑き物は人の姿を認めるや否や、問答無用で襲い掛かって来るのに対し、この相手は逃亡を選択する……高い警戒心とすばしっこい動きから「牙猿」だと分かった。薄汚れた灰色の毛並みが特徴で、大きさも体格も丁度猿くらいしかないが、発達した犬歯で憑き物らしく人肉を食す。きちんと抹殺しなくてはならない。

俺は一本道で姿を捉えると、その背中に向かって思い切り【怪獣砕き】を振った。直前に敢えて接続機構のロックを解除しておいたので、追加パーツだけがすっぽ抜けて飛んで行き、狙い通り牙猿を叩き潰した。


「ハァ……やっぱり威力は折り紙つきか」


一息吐いて、パーツを回収しに死体の傍へ寄ると、頭骨が砕け散って脳がはみ出ていた。

これには流石に吐き気が込み上げて来て、目を背けざるを得ない。


(こんな惨い殺し方をするつもりはなかったのに……申し訳ない)


俺は近くの草葉を取って死体に被せると、反省の念と共に手を組んで祈りの仕草を取った。




「平気か、ルドウィーグ?」

「勿論」


発煙筒を使って廃屋街で合流した俺たちは、グータッチをしてお互い笑った。


「にしても、まだ臭う……下水が流れて来るって言ってたけど、範囲広くない?」


俺は鼻を擦りながら言う。


「いや、そんな筈――」


スレッジは俺の疑問に反論しようとしているようだが、内容がイマイチ入って来ない。俺は彼の背後にある茂みの陰に意識を向けていたからだ。


「おい、聞いてんのか?」


肩を軽くはたかれた時、陰には何かが潜んでいると確信した。

が、俺が目を付けていた暗い塊はそのごく一部に過ぎず、目を凝らすとより巨大な化け物の姿が浮かび上がった。


(……まさか!!)


それが汚染の主だと分かった直後、向こうも木々をなぎ倒し、口を全開にして襲って来た。俺は咄嗟にスレッジを掴み、一緒に土へダイブするようにしてその突進を躱した。


「危ねぇ……助かったぜ」

「オッサンを抱っこするのはこれが最後だからな!」


減らず口を叩きながら起き上がると、主もこちらを振り向いていた。

以前の戦闘で、近くにいると分泌される毒を吸ってしまうことを知った。今回はスヌードを引き上げて口と鼻を覆う。

これでスレッジと一緒に挑もうと思ったら、彼がいつまで経っても立って来ない。どうしたのかと後ろに目をやると、木の陰に隠れているではないか。謝っているような仕草と、何となく見える口の動きで俺は察した。


(『足を挫いた』⁉ ……クソッ、一人でやるしかないのか)


心に不安の波が押し寄せて来るが、自分の握っている剣が何の為にあるのかを思い起こし、その波を押し返す。

踏ん切りが付いた俺は【怪獣砕き】を大槌モードに変形させると、雄叫びを上げながら立ち向かった。




 汚染の主がまたもその著大な左腕を持ち上げる。


(今度は何だ……)


主がその巨体を生かして繰り出す攻撃の数々――殴り、踏み付け、噛み付きなど、これらはいずれも直撃すれば瀕死の重傷となるだろう。当たり所が悪ければ即死もあり得る。

今回は、外側へ振り被るような仕草が微かにあった。


(払いか!)


俺は主の左脇の下へ入り込むようにステップを踏むと、直後には背ろで凄まじい破壊音がした。

……攻撃の見極めには成功したようだ。毎度ギリッギリで回避が間に合っているから死なずに済んでいるものの、酷く肝を冷やされる。

幸い、動き自体は鈍重かつ単調なので、慎重に回避をしつつ、隙を突いては【怪獣砕き】をお見舞いする。その繰り返しだ。この重い一撃を与えれば、流石の主でも少しは怯むらしい。


このまま堅実に立ち回っていれば、優勢を保つことはできる。しかしながら、俺の心中には焦りと不安が混在していた。

……それだけでは汚染の主を攻め落とす事が叶わないのだ。

以前、俺の落下攻撃とスレッジのロケットパンチを受けた左腕が、再びまみえた今日、完全に回復している。主の姿がイモリといった両生類に近いので、再生能力に長けているのだろう。

この驚異的な生命力を削り切るより先に、俺が毒で倒れてしまう。

短期決戦に持ち込まなくてはならないというのに、あまりにも厄介な性質だ。


(もっと攻撃のペースを上げなきゃ……いや、上げる。上げてみせる!)


相手に臆してはならない。自分の弱音に支配されてはならない。

能動的に打ち勝つ為に、俺は前へ前へとステップを踏んで、力の限り攻めの姿勢を取り続けた。



 異変が起きたのはその最中だった。俺が動く度、周りに霧状の碧い光が現れるようになっていたのだ。実ったキノコの傘を弾くと胞子が舞うようにポワッ、ポワッ……と。

ローレンスが纏っていた輝き、剣を受け継いだ際の不吉な蟲どもと同じだ。それも、恐らく自分しか知覚していない言わば幻覚。


(これが現れるのは……スレッジと会ったときの喧嘩以来か?)


光は流れを成し、剣筋や足捌きをなぞるように宙を泳ぎ始めた。俺は主の動きを見極めるのに集中している筈なのに、視界の中をいたずらに瞬き舞うそれらが気になって、しかし邪魔だとは全く思わなかった。

実際、それはいたずら・・・・なものではないとすぐに気付かされた。俺の動きの軌跡を追うだけだった光の流れに、やがて追い越されたのだ。

碧い光は導いてくれるのだと信じ、今度は俺が光の後を辿った。そうしているうちに、この導きは主に2種類ある事にも気付く。

一つは回避の導き。目の前に浮かんだ光球が様々な方向へ飛び回るので、それを追って移動すると丁度危険を避けることができる。相手の攻撃の死角となる僅かな安全圏へと誘導してくれるのだ。

もう一つは攻撃の導き。こちらは剣の先や手の辺りに現れるものであり、前者は狙うべき相手の弱点を、後者はそのタイミングを教えてくれる。強く閃く瞬間に合わせて剣を振るえば、的確に隙を突く動きが可能になるらしい。



 カエルのようにネバつく舌を伸ばしたり、ヘドロじみた胃酸を吐きかけたり、全身の腺から毒液をまき散らしたりと、主の攻撃は著しく激化している筈なのに、完封している状況は揺るぎない。

俺は体も軽くて、空気も澄んでいるように思えた。碧い光の正体も、この現象の仕組みも、どうでもいい。この導きに全てを乗せている間は、楽譜をなぞっているかのように心地良い。


(……楽譜、歌?)


ふと、心の中で歌が聞こえ始める。


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