第30話 狩りの支度 前編


「ルドウィーグは?」


いそいそと二階へ向かうジュリエッタを呼び留めて、ヘーゼルが尋ねる。


「憑き物の毒で弱ってるだけだって。寝てれば治るってオーナーが」

「そう、なら良かった」

「これ、ルー君に持って行って」

「ありがとう」


元々持っていた薬箱に加え、ジーナからリンゴの皿を貰うと、ジュリエッタはルドウィーグの居る部屋へ入って行った。

それを後ろから眺める二人は


「……ジュリエッタってルドウィーグと仲良かったっけ?」

「昨晩何かあった、とか?」


などと呟いていた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 意識が戻ってからある程度経った。

目覚めた場所は、またしても店の二階にある空き部屋。ここに来たときと同じベッドの中に居た。

あの時と違うことを挙げるなら、ジュリエッタが積極的に来てくれること。丁度今も


「具合はどう?」


と優しく語りかけながら、彼女はドアから入って来た。


「う~ん。まだ頭痛が気になるけど、それ以外はおおむね平気」


俺はそう答えつつ、彼女が枕元の椅子に掛けて、薬箱や見舞いのリンゴをテーブルに置く様子を眺めた。その動作はシルビアにも劣らず丁寧で上品に思える。

……シルビアが俺の中で分かりやすく絶対的な美人だから、どうしても比較してしまう。正直なところ、彼女のことが恋しいのもあるが、これはあまり良くない癖だからやめよう。



 包帯替えや服薬も済んで、俺にリンゴを食べていた。

噛み締める度にシャクシャクと心地良い音がする……少し若いリンゴの触感だ。俺が一番好きな食べ頃のそれは、瑞々みずみずしくて、さっぱりと甘い。

最高だ――この食べ方を除けば。


「あ~ん」

「……」


いい歳して「あ~ん」とか何だよ! 俺に餌やり体験すな!

このひと切れを飲み込んでから、俺はようやく喋ることができた。


「ジュリエッタ、これどういうつもりだよ?」


彼女はちょっぴり頬を膨らましてこう言う。


「私はぁ? 情けないところ、見せちゃったから……ルドウィーグにも、恥ずかしいことするの!」

「Ha?」


ナニッイテンダ、コイツ。

ジュリエッタの意味不明発言によって脳機能に深刻なダメージを負い掛けたが、ようやく何のことか思い出せた。


「あ、もしかしてアレのこと? 屋根から落っこちた後、縋り付いて来たアレ?」


ジュリエッタは急速に赤らめた頬に手を当てて、俺から目を逸らすように呟く。


「だって……死んじゃいそうだったところを、あんなカッコイイ助け方されたら、その……頼りたくなるっていうか、甘えたくなるっていうか――」


これまであれほど関わりの薄かった彼女が、今目の前で照れ顔を晒しているこの状況。

……なるほど、面白いぞ。

俺は早速いけずなことを思い付いた。


「イヤ~、あの時の君は面白かったナァ~! それまでツンツンだったのに急にデレデレだもんナァ~」

「……」


白々しいセリフを吐きながら彼女の方を一瞥すると、耳の先まで真っ赤になって震えていた。もう顔も上げられないらしい。すっかりオーバーヒートして、恥ずかしの煙を立ち昇らせているかのようだ。

だが、まだもう少しイジらせていただこう。


「顔をベチャベチャにした……そうだな、猫。子猫ちゃんみたいにくっ付い来て。アハハッ! 可愛いなぁ」

「むん!」

「ンゴッ! やべろ゛、びょおに゛んらぞ!」(日本語訳:やめろ、病人だぞ!)


彼女がムキになって俺の口にリンゴを詰め込んで来るものだから、色々滅茶苦茶になって、お互い子供みたいに騒ぎ立てた。

そのせいで気付かなかったのだが、いつの間にか部屋に入って来たスレッジが、あっけらかんとした表情で喋りかけて来た。


「なんだ、喧嘩か? ベッドが揺れるのと一緒にあられもねぇ声が漏れて来るもんだから、俺ぁてっきり……」

「そそ、そんな訳無いでしょ、オーナー!! それよりこの人酷いの、乙女心を煽り散らかして来るんだから!」

「スレッジ、この子も大概さ! 意味分かんない因縁付けて来て俺にあ~んを強制するんだぜ⁉」

「よく知らねぇが、ジュリエッタは可愛い。ルドウィーグは羨ましい。それで良いじゃねぇか」

「「それはアンタの感想だ!」」



 愉快? なやり取りを経て、本題に入る。

スレッジは普段から肌身離さず持ち歩いている酒瓶のラベルをいじりながら言った。


「ルドウィーグ、お前の武器のことでちと相談があってだな」

「……スレッジからそんなことを言い出すのは珍しいね」


仮にも師匠のような立ち位置にいるのだから、俺を心配してくれているのだろうか。そう思うと、俺は少し嬉しくなった。

が、彼は酒を口にしてからこう言う。


「一人の武器職人として、拘りが抑えきれなくて口出しをするってだけだ」


……期待した俺がアホでした。これがいつもの彼でしたね、ハイ。

この落胆ショックは一旦横に除けておいて、会話を続ける。


「それで、内容は?」

「……お前、俺が来るまでの間ぬしと戦ったのか?」

「うん」

「自分が与えた攻撃を覚えてるか?」

「うん。左手に一発と、腹に大きな傷を――」

「腹のヤツはいい、腕にどんな攻撃を入れた?」

「え~っと――」




「忘れたの、ルドウィーグ? 二階から飛び降りて切りつけてたじゃない」

「あぁ、あの下攻撃ので君も落ちた・・・んだった」

「やかましいわ!!」

「という次第だよ、スレッジ」

「……なるほど、よく分かった」

「?」


スレッジはベッドの傍に立て掛けてある俺の大剣を指差してこう言い放った。


「それ、ナマクラだ」

「え?」


ローレンスから受け継いだ、いかにも由緒正しそうなこの品。実際、彼はこれに光を纏って奇跡を見せしめた……そういう神秘の剣だと、俺は信じて疑わなかった。

なのに、それが突然ナマクラだと言われたら流石に動揺を隠せない。


「その……度合い、みたいなやつってまだ使い様はあるとか――」

「二階からの落下攻撃であの程度の傷しか負わせられねぇようじゃ、残念ながらただの金棒だ。同じくらいの大きさと重さの剣なんざ幾らでも出回ってるがな、そっちを使った方がよっぽど良い……全く、ローレンスもよくこんなんを使い続けてたなぁ」


スレッジがこう言うからには、今後使って行くに堪えないということなのだろう。

誓いの証とも言えるこの剣を手放すなど考えたくもない一方で、十分な備え無しに進んで行けるほど俺の置かれた状況は易しくない。

俺はベッドの上に座ったまま思い滞ってしまった。


「待てよ、ルドウィーグ。この話には続きがある、そんなすぐ表情を曇らせるんじゃねぇ。陰鬱なジジイみたいになるぞ!」

「そんなに言うなら速く続きを言ってくれよ……」


スレッジの遠回しな励ましを受けたものの、ひそめた眉を戻す気にはまだなれない。

すると、彼は黄ばんだ歯を見せてニッと笑い、


「……実物を見に行こうか。その方が早い」


俺をベッドから叩き出した。


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